27 荒川城攻防戦 美濃からの知らせ



 騎馬の蹄の音が聞こえてくる。木瓜の旗印が棚引き、騎馬の軍勢が姿を現した。その彼方から土煙を上げて騎馬軍団が追ってくる。

「殿、引両紋が見えます。今川軍が押し寄せてまいります」

 太田信定(ウシ)が叫ぶ。


「イヌめ、まんまと誘き寄せたな」ぼくは胸を膨らませて大声を上げる。

「戦陣を張れ」

 千の歩兵が五百ずつ横に広がり、二段に構える。前列は矢の防御板を構え、敵の攻撃に備える。後列は弓を構え、攻撃の態勢をとる。退いてきた騎馬軍は左右に分かれ、両サイドからの攻撃に備える。


 我が軍の両サイドには、そえぞれ百の長槍隊と二百五十の鉄砲隊が枯れた葦の茂みに潜ませている。僕の命令で、一斉に火を上げる段取りになっている。

 今川の騎馬軍団は、百メートほど先で立ち止まった。

 甲冑姿の侍大将が、一人前進してくる。わが軍を舐めるように眺めると、踵を返して戻っていく。


 今川軍の指揮官松井忠次は、織田軍が鳴海城軍と交戦中であることは知っているはずだ。

 ぼくは息を殺して今川軍の反応を待った。

 松井忠次がわが軍の数が少ないことをどう判断するかだった。兵を割いたため少なくなったのか、それとも策略があるのかを、どう見抜くかである。ただ、我が軍が総勢二千であることは、既に承知しているはずだ。三千の今川軍は、自軍が有利と見れば、交戦に向かって突き進んでくるだろう。


 騎馬軍団の後方から、弓を持った歩兵が出て来た。

 敵軍の法螺貝が響き渡る。今川軍が前進を始めた。

「構えよ」

 我が軍の侍大将が叫ぶ。

 前列は腰を落とし、防御板を構える。二列目は弓を構える。

 ここまでは、従来の戦法だ。


 敵の放つ矢が天を覆い、降り注いでくる。防御板に無数の矢が当たり、弦の響きのように唸りを上げる。

 敵の歩兵が槍を構えて、一歩一歩、着実に近づいてくる。

「矢を放て」

 我が軍の歩兵は一斉に矢を放った。接近してくる敵の歩兵は一人一人と崩れていくが、それにもめげず、槍を構えた二千の歩兵が突き進んでくる。


「構えよ」

 我が軍の侍大将が叫んだ。

 前列の兵は防御板を置き、後列は弓矢を置き、全員が長槍を持った、二段構えの槍衾態勢をとる。


 両軍は真正面でぶつかりあった。

 激しい槍での叩き合い、差し合いが始まる。

 やがて数の力で、我が軍は徐々に後方に推しこまれていく。

 敵軍の押せ押せの掛け声と、我が軍の堪えよ堪えよの掛け声が混ざり合って、戦場を覆いつくす。押され潰されると、我が軍は支離滅裂状態になる。


 二、三十メートルほど後方に押された時、ぼくは近習に狼煙を上げるように命じた。ぼくはこの時をひたすら待った。

 青空に灰色の狼煙が立ち上がる。その狼煙に交戦中の敵歩兵は気付かず、戦闘が続く。


 今川軍の両サイドに向かって、銃声が鳴り響いた。

 敵兵が次から次と倒れていく。敵軍の進撃が止まった。

「鉄砲を潰せ。横に向かえ」

 悲鳴の中から、指示の号令が聞こえた。

 敵兵は槍先を横に向け、突き進んでくる。歩兵が長槍を構え、その攻撃に備える。正面の長槍隊も両サイドに廻り、鉄砲隊を守る。


 敵の歩兵は鉄砲隊に向かう途中で、被弾し次から次と倒れていく。

 今川軍の密集戦法が、弱点をさらけ出し、崩れていく。

 正面から我が軍の騎馬部隊が切り込んでいく。

 今川軍はパニックに陥り、大混乱に陥った。


 勝敗は一時間ほどで決した。

 撤兵の法螺貝が鳴り響く。

 今川軍は矢作川を渡り退却していった。


「負傷兵を手当てせよ。今川の兵は捕虜にし、十分な手当てをせよ」

 ぼくは勝利のかちどきの代わりに、そう声を張り上げた。

 

 水を飲み、食をとり。二時間ほどの休息をとった。

 物見の兵が、今川軍の残兵は荒川城に向かっていると言上した。軍を整え、装備を点検すると、ぼくは進軍を命じた。



 荒川城の城主は荒川義広という人物だった。兵の数は分からないが、千を超えることはあるまい。


 夕暮れまでに、我が軍は荒川城を包囲した。

 攻め落とすつもりはない。圧力をかけ、心理戦に持ち込むだけだ。挨拶代わりに、大手門に向かって、鉄砲を散発的に撃っただけである。城内からは、何の反応もなかった。

 夜になって、小六が戻ってきた。

 奥三河の松平反乱の知らせである。松平彦佐衛門が居城鹿勝川城を出て、今川の居城泰梨城の栗生永信を攻めたのである。

 ぼくはほっとして満足気に頷く。


 ぼくは信定を呼び、和議状を書かせる。

 条件は簡潔だった。

 三河守護の居城西条城を吉良義昭に無条件に返還すること、奥三河の豪族松平と菅沼の行動については、お咎めなしとすること、松井忠次軍は直ちに撤退すること。この三点である。

 その見返りとして、捕虜を解放し、尾張の軍は直ちにこの地から撤退するというものであった。


 陣屋で、ぼくは藤吉郎の報告を待った。奥三河の菅沼が反乱を起こしたと知れば、今川方に大きな揺さぶりになるであろう。

 

 だが、先に届いたのは清州城からの知らせだった。

 カナデが息を切らせて、ぼくに書状を渡す。美濃の斎藤道三からの書状だった。その内容は、息子義龍と戦をすることになった。支援を頼むというものだった。ぼくは帰蝶を呼び、その書状を見せた。

「信長殿、お願いがござります」すがるようにぼくを見詰める。

「わたしを、美濃に遣わしてくだされ。父を説得いたします」


 ぼくは頭を抱えた。たとえ帰蝶が出向いても道三の決意を変えることはできまい。かと言って、帰蝶の決意を変えることは、もっと難しいだろう。

「よかろう。だが、決して無理をするな」

「心得ております」

「ハチを連れていくがよい」

「はい、必ず父を説得してまいります」

 帰蝶は陣屋を出た。


「ハチ」ぼくは大声を上げた。

 小六が陣屋に駆け込んでくる。

「チョウが美濃に行った。そなたは、チョウと共に行ってくれ」

「何事がありましたか」

「美濃で親子喧嘩が始まる」

「畏まりました」

「ハチ、チョウを頼むぞ」


 

 素っ破による藤吉路からの知らせが入ったのは、真夜中だった。

 島田城の菅沼孫太夫が今川方の亀山城を攻撃したという内容であった。


 和議書を携えた近習が大手門の前に立った。

 彼は大声を上げる。

「我が軍からの和議の申し入れである。受け取られ、返答願いたい。期限は明日の日の出。返答なきときは、日の出と共に攻撃する」

 ややして、扉が開き武者が一人現れた。彼はゆっくりと歩いてくる。和議書を手にすると、何もなかったかのように戻っていった。


 荒川城の輪郭は、我が軍の篝火によって赤く浮き上がっている。

 陣屋の中で、ぼくは一睡もできなかった。和議の行方より、美濃の動向が気がかりだった。

 

 日の出前に、守護義昭が三百の兵と共に、到着した。事の次第は伝令により伝えてある。時を同じくして、藤吉郎も戻ってきた。


 東の空は赤みを増してきたころ、大手門の扉が開いた。

 引両紋の旗指物姿の兵二人が現れ、その後から武将がゆっくりと歩いてくる。

 そして立ち止まると、大声を張り上げた。

「われは松井忠次である。尾張の御大将、織田信長殿に申し上げる。和議書の条件をすべて受け入れる。西条城は吉良様にお返しいたす。わが軍は直ちに撤退する。信長殿もしかるべき行動を」


 ぼくは前に進み出た。そして大声を上げる。

「われは織田信長である。委細承知」

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