タヌキとキツネ

 『おれはさあ、お前がいないとこのさき生きていけないんだよお』

 今日が終わるまであと一時間というころになって、彼から電話がかかって来た。酔っぱらうと彼は電話をかけてくる。そして、いつも恥ずかしいことを口走る。

『おれ、父さんの会社継ぐことになってるから、将来は安泰だよ。早く一緒になったって、何の問題もない』

 これだからボンボンは。わたしはため息をついた。

 大学で出会った彼は、都会のお金持ちのお坊ちゃんだった。付き合い始めてそろそろ一年になる。

『おれさあ、お前と一緒に居られないと思うと死んだ方がましだと思うんだ。なあ、いいだろ。悪いことなんかなにもないじゃん』

 学生の恋愛で、結婚なんて考えてもみなかった。地方の国立大学の閉鎖的なキャンパスで、夢みたいな恋をふわふわとできれば、それでよかった。

『もう、好きで好きでしょうがないんだ。だから、その気がないなら早くフッてほしい。おれは東京で就職するから、ついてくる気がないならそう言って。じゃないとおれ、期待するから。ね?』

 どこが好きか言ってみなさいよ。どうせ「顔」とか言うんでしょ。

『フるなら傷が浅いうちにしてよ、ねえ。四年の卒業間際とかにフラれたら、おれ本気で死んじゃうよ』

 ああ、もう、めんどくさい。

 酔ってこういうことさえ言わなければ、彼は極めて紳士的な男だった。実家がお金持ちだからケチケチしてないし、あまりべたべたしたくないわたしの意を汲んで、心地いい距離を保ってくれる。

『ねえ、何が気に入らないわけ』

 もうこのやり取りを十回は繰り返している。時計の短針は、そろそろ2を指そうとしていた。わたしはまた、ため息をついた。

「そういうとこだよ。世の中甘く見てるとことか、酔ってそういうこと言っちゃうとことか。何より信じられないのは、このこと明日になったら全部忘れてること。今日はもうこの話やめよう?」

『忘れないよ。本気だし』

「はいはい。もう切るからね」

 まだ何か言っていたけど、わたしはぶちっと電話を切った。三時間も付き合ってあげたんだし、いいでしょう。

 そんなに好きだっていうなら、ぎりぎりまで焦らしてポイしようか。いやいや、それは性格が悪すぎるか。

 嫌いなわけではない。だから別れたくはない。

 でも、そんな大事なこと、すぐには決められない。

 わたしは一切の思考を放棄して、布団をかぶった。




 電話は強引に切られた。

 本当は酔ってなんかいない。いや、コップ一杯くらいはひっかけたけど。それくらいじゃ酔わない。

 ああいうことを言うと、彼女の反応がかわいいから。なんにも言わなくなって、ちょっと怒ってるみたいな雰囲気を出して、たぶん心の中では「めんどくさい」なんて憎まれ口も叩いてる。

 普段クールでおとなしい彼女が家でそんなふうになっているなんて想像したら、それだけでもうかわいい。

 これだけ「別れよう」と言っても、なんだかんだで付き合い続けているところも、やっぱりおれのこと好きなんじゃん、てなってかわいい。

「これだからやめられないんだよな」

 おれはスマホのカレンダーアプリを起動して、次の電話をいつにするかを計算した。

 彼女はまだ、この電話がきっかり四十二日ごとに来ることに気づいていない。

 

 【完】

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み・てそろ 吾野 廉 @ren_agano

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