あたしたちはクッキーを上手に焼けない

 けんかの後には、必ずクッキーを焼くことにしている。

 あたしがクッキーを渡したら、それは一時停戦の合図。向こうもそれがわかっているから、あたしのクッキーを受け取ったあとはぎこちなさを残しながらも、普通に接してくる。

 

 幼稚園で出会って、十二年も一緒にいれば、それなりにけんかもしてきた。ちいさな嘘とか、ちょっと恥ずかしい秘密を誰かにもらしただとか。

 あいつは意地っ張りだから、絶対に自分の非を認めない。少なくともあたしの前では。もし自分から謝るなんてことが起きたら、きっと明日は槍が降る。

 でも、あいつは自分の非を知っている。わかっていてなお、そういう態度をとるから、あたしは仕方なしにクッキーを焼くのだ。ほんとは仲直り、したいんでしょ、って。

 あたしがごめんねと言ってクッキーを渡すと、あいつは、

「あんたがそう言うなら」

 と受け取るけれど、きっと内心ほっとしているんだ。自分からは絶対に言い出せないから。

 でも、今日という今日は、焼いてあげない。もう絶対に、クッキーなんか焼いてあげない。

 

 幼稚園という初めての社会的な場で、一番最初に声をかけてくれたのがあいつじゃなければ、あたしたちは友達ですらなかったかもしれない。まだ四歳にもなっていないのに、いっちょうまえにひらがななんか読んじゃって、あたしは名乗ってもいないのにあいつに名前で呼び止められた。

「ねえ、上の名前、なんていうの」

 そのままあたしは靴箱の前まで引っ張られて行って、あいつはあたしの名字を指さした。

「おばあちゃんがひらがな教えてくれたんだけどね、わたしこんなの見たことないよ。なに、このちいさいの」

 訊ねられても、あたしも知らなかった。自分の靴を入れる場所は、名前じゃなくてリンゴのマークで覚えていたから、ひらがなが読めなくても困らなかった。

「ねえ、お名前は」

「ちょうの、いろは」

「ふうん、ちょ、って読むんだ」

 変な奴だなと思った。みんな遊具やおままごとに夢中なのに、ひとりだけ靴箱の前でみんなの名前を読んでいるだなんて。

 あいつのうしろ姿を見ると、今でもあの日のことを思い出す。細くて柔らかい髪の毛が、陽の光に透けて茶色く輝いていたのが、妙に印象的だった。


 あたしがクッキーを焼いてこないから、あたしたちはすれ違ったままだった。教室移動しようとしても、あいつは一人で行ってしまうし、昼休憩はこれ見よがしに本を読んで、周囲を完全シャットダウンしていた。

 そこまでされたら、仲直りしようという気も失せる。そもそも、あたしだって怒っているのだ。あいつが授業中にあたしの方をちらちらうかがっているのは気づいていたけれど、知らないふりをすることにした。

 

 それから三日経った日の放課後、あたしはあいつに呼び止められた。

「これ」

 むすりとした顔で、大きな袋を差し出す。開けてみたら、B5のノートくらいの大きさのクッキーが一枚入っていた。

「なに、これ」

「クッキー二十枚、作ろうとしたんだけどさ、オーブンの中で溶けちゃって、一枚になった」

 あいつからの「ごめん」が聴けるかと思って訊ねたけれど、予想の斜め上の答えにあたしは思わず噴き出した。

「もう、あたしのクッキーに文句言えないでしょ」

「難しいのは分かった。でもさ、あんたのクッキー、いつも生焼けなんだもん」

 

 仲直りのクッキーがけんかの種だなんて、あたしたちはどれだけくだらないことをしているのだろう。

 いささかバカバカしさを覚えて、あたしは大きなクッキーをかじった。

 待ってなさいよ。次こそは上手に焼いてみせるんだから。

 

【完】

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