第906話 こことではないどこか

ぱちくり。

目をしばたたかせて意識を取り戻す。


サフィナはむくりと上体を起こ……そうとしてがくりと腕の力を失い、そのまま崩れ落ちんとしたところで何者かに抱き留められた。


「大丈夫ですか!? サフィナちゃん!? しっかり!!」


≪応援≫がサフィナの身体に力を与え、未だ震える腕でなんとか上体を起こし切る。


ミエである。

ミエがサフィナの横から支え背中をさすり、懸命に声をかけていた。


「おー…ミエがいる」

「はい、ミエです! サフィナちゃん意識しっかりしてます?!」

「おー……」


再びぱちくりと目をしばたたかせたサフィナは、己の両手を前方に持って来てその両掌を見つめた。


「おー……サフィナ生きてる……?」


そして、なんとも不思議そうな顔で首を傾げた。


「サフィナちゃん死ぬつもりだったんんですかー!?」

「おー……?」


半泣きでゆっさかゆっさかとサフィナを揺するミエ。

上半身をがっくんがっくんと揺らしながらぼんやりとした表情のサフィナ。


「おー……めがまわる」

「きゃーっ!? サフィナちゃん大丈夫ですかー!?」

「おー……すごくゆれる……」


錯乱するミエにさらに揺すられぐるんぐるんと首を回しながら。サフィナはぼんやりと思い出す。

自分がかつて見た光景を。

己の最期と思しき景色。


さっきはそれが今ここだと思っていた。

こここそがその場所で、命を賭けるべきは今なのだと。


けれど、違う。

今にして思えば決定的にが違う。

違っている。



つまりここは彼女が思い定めた死地などではなく……

己は今日を生き永らえた、ということになる。



(でも……なんで……?)



理屈はわかった。

ここは彼女が予知で見た場所でも状況でもなく、ゆえにで死ぬべき彼女は生き延びたわけだ。


だがだとしても『あれ』を唱えた後に己が無事であるという状況がよく呑み込めぬ。

あれはのはずではないか。


いや厳密には死なないのかもしれないけれど、その場合はずだ。

そのはずではないか。


ならばなぜ……

なぜ自分はここにいる……?


「おー……わからない」

「何がわからないんですかサフィナちゃん!?」

「おー……めがががまわってかんがえがまとまらななななななn」

「きゃー!?」


ぐりんぐりんとミエに揺すられ頭部を回し続けたサフィナガ青ざめた顔でそう告げ、ミエもようやく己のしでかしに気づいた。


「だだだだいじょうぶですかー! しっかりしてくださぁーい!!」


そしてミエの≪応援≫でサフィナの体調が少し戻った。


「おー……」

「大丈夫ですか? 大丈夫ですか?」


少しくらくらとしながらサフィナが呟いた。


「おー……生きてる」

「死ぬつもりだったんですかー?!」

「おー……?(がっくんがっくん」



二人は、しばらくそれを繰り返すことになる。



「……………………………」



一方で教会の外で唖然とそれを凝視しているのは親衛隊長のキャスである。


外では魔族どもの自爆攻撃からギリギリ難を逃れたオーク兵どもが負傷した仲間の治療にてんやわんやしていた。

部下を守りながらひたすら奮戦し、最後には角魔族ヴェヘイヴケスを前に必死に防戦しながらも奮戦むなしく倒れたワッフが特に重傷だが、彼に関しては先刻キャスが素早く応急手当てをして血止めを施している。

ただそれ以上の治療は回復魔術を扱えぬキャスには不可能だ。


「きゃー!?」

「きゃああああああ!? なんですかこれ! なんですかこれ!!」


と、そこにこの教会の修道女チュツオル、イエタの教え子たるラニルとユファトゥーヴォが駆けてきて目を丸くする。


「なんか戦鬼トロールとか牛頭人ミノタウロスとかもいるしー?」

「一体何がどうなって……?」


困惑して目を丸くする二人。

この二人はミエが王都との通信をする際通信士が魔族の結界効果を受けてしまった時の対処のため通信室に詰めていて、その後こちらに戻る前に魔族の襲撃を受けずっと通信室にかくまわれていたのである。


そして戻って来てみれば教会の前には人外の怪物と負傷したオーク兵が大量に倒れているというなんともわけのわからぬ事態。

混乱するのも当たり前だろう。


「落ち着いてください。まずは負傷者の手当てを」

「「きゃー!?」」


にゅっと上から首を伸ばしてきたのは人面獅子スフィンクスのアンジェス。

最初はやけに丈の高い女の人だな、などと油断していた二人は、けれど彼女の首から下に目をやって互いに飛びつき抱き合って悲鳴を上げた。


「心配なさらずに。私は敵ではありません。街を襲った魔族と戦うためやってきた者です」

「そ、そうなんですかぁ……?」

「はい。神聖魔術を扱える者です、信頼していただいて構いませんよ」

「神聖魔術を……?」


神の奇跡を唱え得るならその性質が神に近いということだ。

確かにそれならば安心できるかもしれない。

二人はほっと息をついた。


まあ彼女は己の信仰している神の名を明かしておらず、実は邪神の信者でした、という落ちもかんがえられるのだけれど、聖職者ゆえか二人はその発言を疑うことはしなかった。


「さ、急ぎ手当てをしましょう。私か向こうの傷を治してきますので」

「は、はい、お願いします!」


人面獅子スフィンクスアンジェスに指示されながら目をくるくる回して治療に当たる修道女チュルォルラニルとユファトゥーヴォ。

オーク達がわらわらと集まって来るが、彼らは満身創痍の己よりも真っ先に隊長であるワッフのところへ彼女達を急行させた。


教会の階段に倒れ伏すようにぐったりとしているワッフは胸から腹にかけて激しく切り裂かれていた。

現在はキャスの応急処置とオーク達がぐるぐる巻きにした包帯によってかろうじて命を取り留めているけれど。


けれどキャスはその後に起きたことにすっかり目を奪われて、教会の東方……街の中央部を凝視していた。

そこに生まれた巨大な樹木を、愕然とした表情で見上げながら。




まあエルフの血を引く者が突然世界樹ンクグシレムを目の当たりにすれば、呆然とするのも当然だろうけれど。




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