第903話 おひさま、あめ、めぶきのとき
「くっ、やはり止められなかったか……!」
目に見える範囲の魔族達は皆自爆した。
遠く、城壁の上で連鎖的に爆発する黒い渦が見えたけれど、あそこで戦っている者達にも声が届いて退避していると信じたい。
けれどその後のことはどうしようもない。
大量に残された瘴気溜まりをどうにかできるのは高位の聖職者しかいないが、この街にはそれが決定的に足りていない。
このままでは遠からずこの街が瘴気に沈んでしまう。
クラスクをまんまと釣り出され、彼が帰って来た頃には街が瘴気地と化しているだなど、軍事顧問としてあるまじき失態である。
キャスは苦悶に顔を歪め、がくりと膝を折った。
「まだ諦めるのは、早いわ」
けれど……この状況に於いて、一切絶望も失望もしていない娘が、一人いた。
サフィナである。
「ふぇ? あれ? なんかサフィナちゃん口調違いません?」
今更ながらそれに気づき、キャスの背を追って教会外へと向けられていた視線を祭壇の方へと向け直すミエ。
「あまり雰囲気は変わってませんけど」
それを聞いてイエタはぱちくりと目をしばたたかせ、サフィナは少し感心したように目を細めた。
今のサフィナは明らかにおかしい。
言動もそうだが性格がまるで違う。
彼女を知っている者なら雰囲気が一変したと感じるだろう。
けれどミエの言うことも間違っていないのだ。
サフィナの本質はほぼ変っていない。
ただその出力の仕方が違うだけなのである。
ただ普段の彼女を知っている者であればあるほど強い違和感を感じるのもまた間違いない。
変貌したと認識してもなんらおかしくはないのだ。
つまりミエは、サフィナの外面ではなく内面を見ていることになる。
それに気づいたからこそイエタは驚き、サフィナは喜んだのである。
「イエタさん、それを真上に打ち上げてください」
「え……? でもそうすると教会が……」
「教会なんて多少崩れたとしても後で直せます。でも今この街に生まれたあれをなんとかしないと将来にわたる人類の禍根になる。ですから急いで」
「わ、わかりました!」
イエタは精神を集中させ、右腕を高く掲げ掌を上に向ける。
ずず、と彼女の頭上にあった虹炎を纏った光珠が最初はゆっくり、だが徐々に速度を上げて上昇し、そのまま天井を突き抜けて教会の上に昇って行った。
「ほへー。なんかコロナを纏っておひさまみたいな呪文ですねえ。ってあっつ!? なんですこれー!?」
ミエがイエタの操る光の球を見てそんな感想を抱き、そして直後にむわっと感じた熱気に顔をしかめ慌ててその場から飛びのいた。
天井から床に何かが降って来た。
それはべちゃりと音を立てて教会の床に落ちる。
やや粘り気のある、
「ふぇぇぇぇ……? これってもしかして溶岩……?!」
呆然とした表情でミエがそのそれを見つめる。
そう、それは教会の天井の石材がどろどろに溶けた溶岩であった。
どういう仕組みなのか、先ほどの熱珠は教会自身を融解させることなく、けれど己の進路上の石材のみ溶かして教会の天井を突き抜け空へと浮上したのだ。
街中の者がそれを見た。
街の者すべてがそれを目撃した。
聖ワティヌス教会の屋根が突如眩く輝いたかと思うと、そこに太陽が生まれたことを。
そしてその太陽が、ゆっくりとクラスク市の上空へと昇ってゆく様を。
あまりにも明るく。
あまりにも眩しい。
その凄まじい光芒ゆえ旅館や商店に避難していた者達、或いはアパートの自室などに退避していた街の者達すら窓越しにそれに気づき、そして建物の中からそれを目撃していたのだ。
その太陽はゆっくりと、だが徐々に速度を上げながらクラスク市上空の影へと入ってゆく。
そこには雲があった。
クラスク市全域とその周囲を覆っていたどんよりとして薄黒い雲である。
それはこの戦いの端緒に於いて、魔族達がこの街に設置していた瘴気溜まりから生み出したものだ。
その瘴気溜まりは街の各所に潜ませてあったけれど、占術対策で魔族達が自らを犠牲に生み出したものよりもだいぶ小ぶりで濃度も低く、しかもそうして隠蔽していた上でそのあちこちをサフィナやイエタに間引かれていたため、今日この日までの間に街を瘴気に堕とすまでには至らなかった。
結局その瘴気溜まりは街の上空を曇天を変え、魔族が好まぬ陽光を隠しつつ瘴気地の外で魔族が受けるペナルティーの軽減する、といった程度の用途に終わっていたけれど、ともあれそうした理由でクラスク市はずっと曇天に覆われていた。
その黒雲の中へと……太陽が吸い込まれてゆく。
そして次の瞬間、その黒い雲が絹を裂くように引きちぎられ、一瞬にして青い空が現れた。
「太陽が……」
「ふたつ、ある……!?」
それを目撃していた人々は、建物の中から窓際に集まりそれを見つめ口々に呟き、或いは心の中で思った。
驚愕と驚嘆と、そして畏敬の入り混じった声だった。
街に覆いかぶさっていた雲が一瞬にして消え失せたその上には、常と変わらず街を照らす天の太陽と、この街の教会から空に昇っていった小さな太陽の二つが輝いていた。
まあそのうちのひとつは高位とは言え単なる呪文であり、持続時間が切れれば消えてしまうのだけれど、街の者達にはそのあたりはさっぱりわからない。
ただ奇跡が起きたと。
この街に今まさに奇跡が起きているのだということだけを、彼らはその肌で感じていた。
……直後、「どじゃっ」、と音がする。
まるでマシンガンのような音が響き渡り、街中の道路を、建物の屋根を何かが乱打した。
雨である。
黒雲が一瞬で消えた後、その水分が雨となって降り注いだのだ。
もし本物の雲がその疑似太陽の熱によって一瞬で蒸発したのならその高熱によって大気中の飽和水蒸気量が上昇しているはずであり、雲を構成していた水滴は水蒸気となって漂いすぐに雨となるわけではないはずなのだけれど、そもそもそうした理屈を言うなら街の上を覆っていた雲の高度があまりに低すぎる。
なのでその雨はサフィナが生み出したその小さな太陽か魔族の作り出した黒雲のなんらかの魔術的効果或いは副作用なのかもしれない。
ともあれ空は一気に晴れ上がり、同時に青空から土砂降りと呼べる域の大雨がほんの一瞬だけ降り注いだ。
差し詰め青天の霹靂ならぬ青天の
狐の嫁入りと呼ぶにはあまりに勢いが強すぎて、狐たちも婚礼を取りやめかねない勢いである。
そんな奇妙な状況の中……太陽が如き光球が消えたことですっかり冷え込んだ教会で、サフィナが何かの詠唱をはじめた。
ミエにはその意味がわからない。
そしてイエタにもわからない。
ということはそれは精霊語の詠唱である。
「呪文……? 詠唱、なのかな、これ」
その言葉に耳を傾けながら、ミエは少しだけ怪訝そうに首を傾けた。
魔術に詳しくないミエではあるが、サフィナの唱えているそれが彼女にはどうも呪文の詠唱に聞こえなかったのだ。
「詠唱って言うより、むしろ……歌?」
ミエの耳にそう聞こえたのは、サフィナの発している言葉から単なる呪文詠唱とは異なるものが感じられたからだろう。
それは……感情。
サフィナは、明らかにそれを、楽しげに唱えていたからだ。
「
謳うように、踊るように。
サフィナの詠唱が教会中に響き渡る。
「
街が、揺れた。
クラスク市全体が、まるで地震のように激しく揺れ……やがてゆっくりと収まっていった。
その後に起きたことは……のちに史書にも、そして伝説にも語られるクラスク市の一幕である。
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