第884話 最後の審判

微かに震えている。

如何に気丈にふるまっていても怖くないわけがない。

恐怖に身は竦み、小さな物音にもびくりとその身体を震わせてしまう。


吐いた息が湿っぽい。

なにもできずただじっとしているしかない身が情けない。


だが、けれど。

ならば、一体、どうすればいいのだろう。


「シャミルさぁん…」

「ダメじゃ」

「まだ何も言ってないんですけど!?」

「言わんともわかるわ。ここから出たいと言うんじゃろ」

「だってここにいたって事態は好転しないような…」

「阿呆か。お主が捕まれば好転どころか最悪になるわ。太守殿の前に質として連れ出されたいか」

「それは嫌ですけどー……」

「じゃろうが」

「でも旦那様に会えるなら……!」

「阿呆か!」


ここは居館の二階、円卓の間。

そしてその奥の台所に隠れ息を殺して身を潜めているミエとシャミルである。


今回の対魔族戦最大の苦戦の理由、それはミエの≪応援≫がないからである。

街全体に長時間有効な≪応援≫が飛ばぬことで、皆少しずつ少しずつ力が足りず手が足りず、不利な戦いを強いられていた。


だがミエは出てゆけない。

彼ら魔族どもの目的が自分だと聞かされているからである。

だからこうして城に籠って皆を頼るしかない。


だがそれが彼女にはどうにも耐えがたかった。

夫であるクラスク相手以外でも、彼女は常に何かをタイプなのだ。

だからこうして先刻からシャミルと幾度も押し問答をして、その都度言い負かされて凹んでいるのである。


どずん! と大きな音がして部屋全体が揺れた。

ミエとシャミルはびくりと身を竦ませて、けれどその場から動かない。


なにせ隠れている身の上である。

迂闊に様子など見に行って居場所がバレたら元も子もないのだ。


部屋の向こう、廊下の方から物音が聞こえる。

おそらく誰かが戦っているのだ。

ここに討ち入らんとしている魔族の猛攻に対し衛兵が必死に抵抗しているのだろうか。



…ギィ、という音がした。

台所の向こう、円卓の間から聞こえてくる。



喧騒は未だ止んでいない。

円卓の間の外で、戦闘は続いている。


その剣戟の音は一瞬大きくなった後、またすぐに小さくなった。

それが意味するところを、ミエとシャミルは既に察しがついていた。


「……誰かが扉開けましたね」

「じゃな。そしてすぐに閉めた」

「味方でしょうか」

「それなら呼びかけてくるはずじゃが……」


何者かわからない存在が、円卓の間の扉を開けて中に入って来た。

円卓の間はそのままこの台所に繋がっている。

うっかりこちらが顔を出せば目が合いかねない場所である。


もしそれが敵なら……

この攻城戦、ほぼ詰みと言っていい。


「……味方じゃなさそうですね」


ミエの言葉には小さな確信がこもっていたいた。


その何者かは円卓の間を探るように歩いている。

助けに来た者でも、守っていたものでも、味方陣営なら円卓の間の構造は全て把握しているはずだ。

探るように歩いているのはここに入るが初めてだからに他ならず、つまり敵である公算が高い、ということになる。


「じゃな。はしておけ」

「覚悟……ええっと」


ミエは必死に考える。

魔族に捕らえられ、クラスクの前に人質として引きずり出される。

だがその間に一体何をさせられるのだろう。


「魔族さんのところで旦那様のお弁当って作らせてくれるんでしょうか?」

「だからそうしてそうなるんじゃ!?」


半泣き半笑いで、だができる限りの小声でシャミルがツッコミを入れる。

うっかりすると大声で怒鳴りつけているところだ。


だがミエは本人に邪気が一切ないがゆえ他人の邪悪を想像できぬ。

シャミルやアーリに言われて思い至り真っ青になることはあっても、自分からは上手く想像できないのだ。


こう頑張りに頑張ってもせいぜい魔族が自分の頬をぶにーっとつねってふにふにしてくる様しか出てこないのである。


「こっち、に…」

「うむ、近づい、て…」


小声での会話が囁き声に変わり、やがて二人とも一切口をきかずただ息を殺し押し黙る。


守り手は扉の外。

その彼らが戦っている音が聞こえながら敵が部屋の中にいる以上、何らかの手段でバレずに侵入したか、或いは圧倒的な実力差があって問答無用で突破したのか。

いずれにせよ非戦闘員の二人では相手にならぬことは確実である。


一歩、また一歩、その足音が近づいてくる。

歩幅と足音からおそらく背格好は人型生物フェインミューブのそれに近い二足歩行の相手だ。


魔族だろうか、それとも……



「バウッ!!」



その時、円卓の間の扉が今度は勢いよく開き…いや勢い良すぎて吹き飛んで、何者かが中に踊り込んできた。


「グルルルルルルルルルルルルルルルルルゥ…………」


低い、低い唸り声。

明らかな殺気が込められている咆哮。


その声だけでわかった。

ミエとシャミルにはすぐに分かった。


今度部屋に飛び込んできたのは味方だ。

コルキである。

コルキが主人であるミエを助けに来たのだ。


そう、魔族どもが人型生物フェインミューブの姿に化け周囲の人々を挑発し操り彼を罠に嵌めんとしていたあの時から、コルキはこの街の異変を嗅ぎ取っていた。

そしてそれが主人のピンチに違いないと察すると、臭いを辿ってこの居館の円卓の間まで急行していたのである。


途中幾度か彼を防がんとする魔族どもと戦いになり、その都度切り裂き引き裂き踏み殺し、そして今この場に立っている。

主人を守るために。

主人を助けるために。


何者かの声が聞こえた。

ミエにはそれが何を言っているのかはわからない。

ただ驚くべきことに、


「やはり魔族じゃな」

「ええ……? 魔族さんにも女性っているんです?」

「わしらが考えておる雌雄とは概念が異なるが、まあ体型としては女性の魔族はおるにはおるぞ」

「ふぇ……?」


麗魔族サイヴォークィ

青白い肌、美しい容姿、性的な魅力にあふれた肢体を持つ女性型の魔族である。


女性と言っても魔族に恋愛や結婚、配偶者といった社会制度や通念はない。

彼等はそもそも性交と出産によって数を増やす種族ではないからだ。


から大量に生み出された粘魔族イクァワック

彼らが功績を上げ進化して他の魔族どもへと変貌する。


全ての魔族はそうやって成り上がって上の現在の地位を獲得しているのだ。

小鬼インプですらそうなのである。

恐ろしい程の階級社会と言えるだろう。


話を戻そう。

麗魔族サイヴォークィは性交をする事ができるがそれは同族と子を為すためではない。

妖術によって肌の色を変え、防御術によって占術を防ぎ、人型生物フェインミューブの男性に取り入って性の虜にするためだ。

言ってみれば篭絡役、ハニートラップ専門の魔族というわけである。


麗魔族サイヴォークィは下級魔族の中ではだいぶ強力で、位が高い。

単なる諜報篭絡だけでなく戦闘力も高いのだ。


ただし下級魔族どもにとって麗魔族サイヴォークィはあまり憧れの姿ではない。

下級魔族の中では最上位に近い位階であるにも関わらず、である。


なぜなら麗魔族サイヴォークィから上級魔族に成り上がる手段が少なく、また成り上がってもそのルートが一種類しかないのだ。

それも同系統の女性型の上級魔族である。

そしてそこがゴールで、その先がない。


言ってみれば麗魔族サイヴォークィルートは魔族にとって出世のハズレコースなのである。


だがだからと言って仕事に手を抜くわけにもゆかぬ。

この状態で降格などそれこそ目も当てられない。

それゆえに麗魔族サイヴォークィは他の魔族より仕事を熱心にこなす傾向があるようだ。


「グルルルルルルルル……ガウッ!」


円卓の間で、決戦が始まった。

女性型の魔族と、魔狼コルキの戦いが。






この街の運命を決する……獣と魔族の戦いが、始まったのだ。





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