第877話 提案と対案
「大事な…」
「問題…?」
エィレとシャルが互いに首を捻って考え込む。
「考えてみて。竜は縄張りを持つ。そしてそれは年経た強大な竜ほど広大になるわ。それは知ってるわよね?」
「はい」
「私はなんとなくしか知らないけど」
エィレが明快に答え、シャルも曖昧に頷いた。
「なら……あの赤き竜がいなくなった今、この地は彼が主張していた縄張りが失われて、竜にとって広大な縄張りの空白地帯が出現しているとは考えられない?」
「「あ…っ!!」」
エィレとシャルは同時に声を上げ、同じく真っ青になった。
そうだ。
その通りだ。
赤竜イクスク・ヴェクヲクスは強大な古き竜で、この地に於いてかの
この地方の他の土地はだいたい彼の子んだことのある産む雌竜か、彼の子供達の縄張りである。
だがその赤竜が消えた。
彼の広大な縄張りが丸ごと空白地帯となった。
となれば当然他の地方から竜たちが大挙して乗り込んで縄張り争いを始めてもおかしくないではないか。
竜の縄張り争いは過酷かつ大規模なもので、取っ組み合いに巻き込まれた街が更地になったという記録すらある。
魔族とは別のかなり剣呑な危険であり、しかも近いうちに起こり得ると予測できる明確な脅威でもあった。
エィレはそのことにすぐ思い至らなかった己を恥じる。
「でもそういう動きはあまり聞かないわよね。こう空飛ぶ竜をたくさん見かけたみたいな報告も隊商たちから聞かないし」
「…言われてみれば」
シャルの言葉にエィレは頷きうん? と首をひねる。
単純な縄張り争いなら先にその地に飛び込み自己主張した側の方が有利なはずだ。
先の現場の地理を把握し地の利を得られるからである。
ならもっと各地からドラゴンの目撃情報が上がってもいいはずではないか。
「この街のせいよ。いえ貴女達からすればこの街のおかげかしら」
「あ……」
その疑問にさらりとクィルが答え、エィレがすぐに察した。
「そっか、クラスク様……!」
「ええ。空白地帯となった広大な赤き竜の縄張りに後から居座ろうというのなら実力的には最も強い者でも彼と同格、ほとんどの場合彼よりずっと格下のはずでしょう? その赤き竜を討伐した英雄が未だ存命の時にすぐにちょっかいはかけたくないわけ。目をつけられたら自分が狩られかねないわけだしね」
「ちょっとわかるわソレ。私達人魚族もそうだけど寿命長いと考え方が悠長になるし、クラスクが邪魔なら寿命で死ぬまで待ってから動いても遅くないって思ってるでしょ」
「それもあるわね。オーク族の寿命は
「それは……まあ」
それはその通りだとエィレも思う。
たった数年でこの規模の街を造り上げられる者が傑物でないはずがない。
それも元は言葉すらわかり合えなかったオーク族を率いて、平和裏にそれを成し遂げてのけたのだ。
同時代に生きる偉人、英傑と言っても過言ではないだろう。
「だからこそのこの街なの。赤き竜を討伐した竜殺しが存命の間であれば、これまでとは異なる私達……人と交渉できる竜種の存在とそのための法改正を彼の発言で推進する事ができるでしょう? かの赤竜のために制定された法律ですもの。『赤竜殺し』の発言を軽視はできないはずよね。さらに言えば彼が存命の間であればもし私達共存を主張している竜が貴女達
確かにそれは十分考慮に値する条件だ、エィレは思った。
この地にはかの赤竜が消えた後にもまだ竜種が残っている。
ただ基本的にそれらはかの赤竜の妻や子供達で、例外なく邪悪で人を襲う連中だ。
クィルの弁が正しいのなら彼女たちがこの地に住み着けば財宝を求めてそうした邪竜達を襲い、討伐してくれるという。
「だから今日の貴方の演説は実は渡りに船なの。竜種の中にも人の手助けをする者がいる、ということを知ってもらうチャンスだもの。場所もちょうどいいわ。大使館街なら各国の大使にも見てもらえるしね」
流石竜種である。
エィレが王族の娘で外交官であることを知った上で、エィレの計画通りに隠れ里の者達が各所に援軍として派遣されるなら、エィレの向かう先が大使館街であろうことを察し、率先してそこに加わってちゃっかり自分達の安全性と利便性と強さとをアピールをしておこうというわけだ。
なかなかに如才なく抜け目のない立ち回りである。
「……ねえクィル。少し思ったのだけれど」
大使館街の正門前で、衛兵達と並び魔族どもの襲撃を警戒しながら、エィレは隣にいるドラゴンに話しかける。
会話をするなら少女の姿の方がいいのかもしれないが、残念ながらイエタの放った〈
もしクィルガーファが己の妖術を使って少女の姿になろうとしても、たちまちその正体が看破され元の竜の姿に戻ってしまう事だろう。
「なにかしら」
「貴女の説明通りなら貴女達の種を受け入れたらこの地方の各地に貴女や貴女と同じ意見の竜たちが棲みつくのよね」
「そうね。そうなってくれたら嬉しいのだけれど」
「そしてまだこの地に残っている悪い…ごめんなさい、私達
「できれば。最終的にそういう形に持っていけるならそれが一番なのだけれど」
「でもそれからは? 財宝はそこからほとんど増えなくなるのよね。村や町が貴女達に怪物討伐の依頼を出すことはあっても出せる報酬は常識の範囲でしょうし、街を襲って根こそぎ財宝を奪おうとする『悪い』竜に比べるとその、収入は減るのよね?」
「……そうね」
エィレの呈した疑問に、クィルはその長い首で小さく肯いた。
「あえて語らないようにしていたけれど、その通りよ。邪竜と貴女達が呼ぶ彼らより、私達の巣穴は質素だわ。それでもある程度あれば我慢も効くし、あとは貴女達
「うん……」
クィルの言葉はエィレの予想の範囲内にもので、彼女はそこで深く考える。
「どうしたの?」
「クィルの妖術って、貴女達その……
「全員ではないわね。私達銀竜を除けば黄金竜や青銅竜などが使えるけれど、全員ではないわ」
「
「……居心地的な問題はあるけれど、そうね、可能だと思うわ」
「なら貴女達の幾人かを、クラスク市で雇うわけにはゆかないのかしら」
「!?」
エィレの言葉に、クィルと横にいたシャルが目を剥いて驚いた。
「雇う? 私達を?」
「エィレ、クィルってそもそも今でも働いてるんじゃない?」
「クィルの今の仕事はこの議題の折衝でしょう? 労働じゃない。そうじゃなくってクラスク市に恒常的に戦力として雇われる気はない? って言ってるの」
「戦力……」
クィルの呟きに、エィレは大きく頷いた。
「竜が守護する街、ということになれば戦力としても宣伝効果としても抜群だわ。街には今回のような空からの攻撃に対する大きな備えができる事になるし、そもそも飛行生物を寄せ付けない抑止力にもなる。そして街に務めている限りその竜には給金が出る。ドラゴンを怖がって脅威が誰も近づいてこなくなるのなら、それこそなにもしないでも毎月お金がもらえるようになるわ。それを貴女達の恒常的な収入にできる。北のドワーフのところに行って宝石に替えてくれるかもだし。どう? 悪くない話だと思うけど」
「……驚いた」
目をぱちくりとさせたクィルは、その首を少し下げてエィレに軽く頬ずりする。
「それすごくいいわエィレ。気に入った。そうね……」
クィルの台詞の後半部分は、けれど巨大な地響きによって掻き消された。
「まって、まってえええええええええええええ」
どたどたどた、と通りに向こうから地響きが聞こえ、巨人が通りを駆けてくる。
ぎょっとして槍を構える衛兵達をエィレが制し、その巨人……ヴィラを迎え入れた。
竜を味方と言い、巨人族を味方と言い、いったいこの王女はなんなのだろうか。
彼女達と仲良く語り合うエィレを、衛兵達は驚嘆と驚愕を以て見つめていた。
「ふふ、そういう仕事なら……わたし貴女の乗騎になってあげてもよくってよ」
「クィル? 何か言った?」
「いいえ、なにも」
ヴィラの泣き言を聞いていたエィレは、先程掻き消された台詞を小さく繰り返すクィルの方に振り向いた。
けれどクィルは笑顔でかぶりを振り、その身を寄せるようにエィレの隣に立つ。
そう、長きにわたり邪竜に席巻されてきたこの地方には、ドラゴンに騎乗する『騎龍』、そして彼らを操り空を駆ける、いわゆる『竜騎士』と呼ばれる者達はこれまで存在していなかったのだ。
エィレがその最初の一人となり、やがて『竜騎士王女』と呼ばれ讃えられ恐れられるようになるのは……もう少し先の話である。
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