第876話 竜の事情
「
クィルが羽を広げ空を滑空しながら説明を続ける。
「でもこの地は違った。ここは長いことあの赤き竜とその眷属が独占し、席巻してきたわ。だからそれに対抗する国家を超えた法…『国際法』、その固有法の制定が必要だった。その理屈はわかるわ」
紅き竜。
伝説のイクkスク・ヴェクヲクス。
この地の固有法『
「ただ竜の中でも私たちは穏健派。無闇な争いは好まないわ。そして少数ではあるけれど私たちの主義に賛同している竜種もいる」
「そんな竜の報告一度も聞いたことがありません」
「強大な彼…赤き竜が支配し、それに対抗するためあらゆる竜を討伐対象とする法が制定されているこの地は、迂闊に踏み込めば私たち自身も討伐対象とされてしまう。だから長い間距離を置いてきたの。でもその彼はこの街の太守に討伐されてしまったでしょう?」
「でも……貴女にも収財欲求はあるんでしょう? それで私達
そう、エィレにはそこがずっと引っかかっていた。
竜種の財宝を集め、専有したいという欲求は種族本能であり、生来のものであるはずだ。
それが我慢できるとは思えない。
だからこそ竜は討伐しなければ…というのはこの地の者であれば誰しも教わるものだ。
「そうね。っと、もう到着するわ」
大使館街の上空に辿り着く。
壁を張り巡らされた大使館街の内側には、予想通り避難民が大勢いるようだ。
大使館の面々が緊急避難として自主的に彼らを受け入れたのだろう。
大使館街の前には兵士達がいる。
そしてそこに詰め掛けているのは魔族どもだ。
どうやら門を突破して中に突入せんとしているらしい。
「あいつら空から侵入しないのかしら」
「この区画の上部だけ強い結界があるみたい。防御術だからたぶん上空からの侵入を拒むタイプね。町全体を覆ってないのは魔力不足か予算不足かしら。エィレの説明通りここだけセキュリティが高いっていうなら納得ね」
竜の姿のままクィルが呟く。
「援護に向かうわ。私のことは上手く言いくるめてね」
「え、ええ…ってそんな無茶ぶりー!?」
「あとしっかり掴まってて」
「って? え? うっきゃあああああああああああああああああああああああああ!?」
翼を畳み、空から一気に急降下するクィル。
大慌てで彼女の胴体にしがみつく二人。
自由落下が如く真っ逆さまに地表付近まで急降下した彼女は、そこでばっと巨大な翼を広げ空気を受けて空中で急制動をかける。
ふわ、と一瞬にして落下が止まった。
彼女の体格と重力を考えると物理的にはあり得ぬ制動で、なんらかの魔術か妖術を使っているのかもしれない。
ともあれ突然竜が出現し、その場にいた一同がぎょっとする。
魔族もだが衛兵達もである。
それはそうだろう。
彼らからすれば魔族とは別種の脅威が襲撃してきたとしか思えなかったのだ。
すううううう……と大きく息を吸ったその白銀の竜は、その口の奥に青白い光を明滅させ、そして迸らせた。
ごう。
それは口から放たれた。
≪竜の吐息≫である。
ただそれはかの赤竜のものとは異なる青白い吐息であった。
一瞬身構える衛兵達。
だがその吐息は彼らの方には向かわず、放射状に広がり魔族どもをまとめて巻き込んだ。
周囲の空気が大きく動き、ぶわ、と爆風のように空気が周囲に広がってゆく。
とてつもない寒さである。
そう、それは冷気。
彼女が放ったのは氷結のブレスなのだ
魔族どもの幾体かが氷漬けになる。
けれど全員は倒し切れなかった。
それは彼女の体躯から放たれる≪竜の吐息≫の威力がまだ低いこと。
そして魔族達には冷気に対するある程度の耐性があるためだ。
だが……氷漬けにこそされなかったものの魔族どもの足がその場で止まる。
倒し切れないとしても彼女の吐息は冷気と凍気なのだ。
炎の吐息がダメージと同時に発火と延焼と類焼を巻き起こすように、冷気の吐息は氷結と凍結をもたらす。
びしり、と魔族どもの足元に霜と
上体だけが彼らの意思を受け、けれど下半身が付いてこず大きく体制を崩す。
「今です! とどめを!」
「姫様!?」
竜の背に乗るエィレの姿に衛兵達はぎょっとするが、すぐに我に返り手にした槍を深く握り直す。
そして気合と共に魔族どもへと突撃し、その槍を次々と突き立てた。
その後の戦いは短時間度終わった。
魔族どもの足元の氷が溶け砕ける前にそのほとんどを突き殺し、残りの連中が慌てて逃げ出す。
「待てー!」
「追わないでいいわ! ここを死守します!」
「ハッ!」
急ぎ追撃しようとする兵士達をエィレが止める。
彼らはキャスの配下たる元翡翠騎士団の者達ではないが、この街に住み着くまではアルザス王国の民だった。
ゆえにエィレの言葉には彼らを従える強い力があったのだ。
「ひ、姫様、ところでこれは一体…」
「大丈夫、彼女は私達の味方です」
「そ、そうですか…」
エィレの隣にそびえる白銀の竜を見上げながら衛兵達がおっかなびっくり尋ね、エィレが言葉短めに彼らを安心させる。
「ええ、いい指示ね。貴女を信じて正解だったわ」
竜の姿のまま、人の言葉を喋る。
シャルはやや胡乱げに、エィレは不思議そうに彼女を見上げた。
衛兵達の表情は……なんとも筆舌に尽くしがたいものだった。
「先ほどの話の続きをしましょうか。私たちの収財欲求の話だったわね」
「はい」
長い首を少し曲げ、エィレの方に顔を向け白銀の竜が語り掛ける。
「私達にも財宝を集め己のものにしたいという欲求は確かにあります。それは竜の本能ですから拭い去る事はできませんし、そうする気もありません」
「ですよね…」
それはそうだろう。
いかに強い理性があろうと本能には抗えぬ。
中には隠れ里ルミクニの村長ユーアレニルのような例外もあるがそれは数少ない例外中の例外のはずだ。
「けれど例えば
「それは……まあ、確かに」
竜に財宝を奪われたら基本は泣き寝入りだ。
強大な竜種相手に村や小さな街では対抗できぬ。
そして国家や強力な冒険者が仮に竜を討伐した場合、
つまり竜に財宝を奪われた者達は基本それを己のものと主張する権利自体がないのである。
「それに私たちは家族の形見とか一族の宝とか、そうした希少で大切なものであれば返却の交渉に応じる用意があります」
「本当!?」
「はい。無論竜種ですのでそれに等しいだけの財宝を求めはしますが、それでも交渉の余地があるだけだいぶ違うでしょう?」
「そ、それは確かにそうかも…」
「そして私たちは
「そのかわり……対価として財宝を?」
「はい。放っておけばどうせ彼らに奪われるのですから、それなら事前に私達に貢いで禍根を断った方が建設的ではないですか。どうです? これなら私たちが貴女達と共存しながら財宝を集めることは決して不可能ではない、そう思いませんか?」
「……確かに。できそうですね」
竜の耐えがたき財宝への欲求。
だがそれを対価と報酬と言う形に替えるなら、確かに検討の余地は十分にある。
実際この街のオーク達も襲撃の分け前を仕事の報酬という形に替えて定着する事ができたのだ。
より賢い竜種であれば今の話は十分実現可能な案に聞こえた。
「私達の要求はこの地の
「それは……ええっと、この街じゃないとダメなの? だってここは……」
そう、この街はかの赤竜を討伐した竜殺しがいる街である。
竜種にとって縁起が悪いのではないだろうか。
だが…エィレの疑問を、クィルはその長い首を振って否定した。
「……いえ。むしろこの街でないと駄目。そしてそれは貴女達の国にも関わる、そして貴女達が気づいていない大事な大事な問題なの」
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