第863話 魔術攻防
グライフの尾が天高く伸びあがり、宙空で向きを変え急角度で打ち下ろされる。
さらにその尾先は高速で落下しながらぎょに、と奇怪な音を立てその先端を二股に分けた。
狙うはヘルギムとフェイック。
荒鷲団の専門術師二人である。
それと同時に彼の肩口に黄色い渦が生まれ、直後に眩い光と共にそこから稲妻が放たれた。
〈
物理攻撃と同時に放たれたところをみると高速化されているのだろう。
一体彼の能力はどれだけ強化されているのだろうか。
「
だが……聖職者フェイックの祈りと共に彼の周囲に光り輝く星が数個生まれ、それが渦を巻くようにして上昇し直下のフェイックとその隣のヘルギムをその尾撃から護らんとする。
そしてそれより一瞬早く、ヘルギムの口からも詠唱が走った。
「
いかに高名な冒険者とはいえ荒鷲団は定命の者達で組まれたパーティーである。
高位魔族のグライフとの魔力の差は歴然だ。
だから攻撃呪文の撃ち合いとなれば仮に同じ位階の呪文同士であっても彼我の魔力量によってダメージに格段の差が生じてしまう。
まあ実際にはそれに加えて互いの耐性と耐久力の差によってさらにどうしようもない格差が生まれてしまうのだが。
ただ……両者が使用した呪文が完全に同一であったなら、話は別だ。
完全に同質の呪文同士は干渉し合い、打ち消し合う。
対抗魔術の理論である。
この時互いの魔力量は一切関係ない。
完全に同質であるかどうかだけが重要なのだ。
ゆえに仮にグライフの〈
同質の呪文妖術は、互いに打ち消されて消える。
そこに例外はないのである。
ヘルギムはそれを利用して少ない魔力の呪文で破滅的な破壊力を誇るグライフの妖術を打ち消してのけたのだ。
だが……ここに根本的な齟齬がある。
本来グライフの放った≪絶望のオーラ≫は、相手の気力を根こそぎ奪い去り、何かの行動をしようとすら思わせぬ絶望の淵へと追いやる妖術だ。
まともに喰らえばその場に崩れ落ち絶望の表情で震え一切の身動きが取れなくなってしまう。
喩え敵が目の前に来て首を斬り落とさんとしても抵抗する気力すら湧いてこない。
まさに絶望的な効果である。
さらにはもし抵抗に成功したとて大きく気力が減退し、いつもの半分程度の動きしか取れなくなってしまう。
これではまともに呪文など唱えられ
るはずがない。
クラスクはミエの≪応援≫によって≪状態異常追加抵抗≫の効果を得ており、こうした抵抗に成功しても一部の効果を受けてしまう特殊攻撃を、抵抗に成功さえすれば完全に無視する事ができる。
先程クラスクだけ怪訝そうな顔で通り過ぎる黒い霧を見送っていたのはそのためだ。
だが他の者はそうはゆかぬ。
抵抗に失敗して効果を完全に受けても、抵抗に成功して一部だけ受けても、その後の戦闘には致命的な隙が生まれてしまうからだ。
だからこの状態は即刻治療せねばならぬ。
だが抵抗に成功しても致命的な効果を受けてしまう以上、効果を受けてから治療していては遅いのだ。
グライフの漆黒の霧の範囲内に入りその効果を受ける。
全員[精神効果][恐怖(絶望)]を受ける。
その状態が危険なので、次の行動で治療呪文を唱え、[精神効果]を治療する。
そう、普通に動いていたのでは治療が効果を受けた次に回される。
攻撃を受けてから治療までの間、皆被害を受けたままになってしまっているわけだ。
さらに言えばこの場合、治療する者自体も妖術の効果を完全に、或いは一部受けてしまっている。
それにより呪文が失敗するリスクもあるし、あるいはそもそも治療自体を行う気力を失ってしまっているか危険がある。
最悪何もできずに詰み。
最善であってもつまり一手番損している。
そして高位魔族相手に行動するチャンスを一回失うという事は、そのまま勝負を決められてしまうということに等しい。
ゆえに、治療は[精神効果]を受けたその瞬間に行わねばならぬ。
だがそんな事は通常は不可能だ。
なぜなら皆それぞれ自分のやるべきことをあらかじめ考えながら行動しているからだ。
敵であるグライフが次に何をしてくるかなど事前にわかりようはずがないのである。
それでは同じタイミングで治療などできるはずもないではないか。
……が、聖職者の呪文には数少ないながらそれを可能にするものがある。
〈
遥か昔に失われた遺失呪文のひとつであり、神と個別に契約を交わさなければ使用条件を満たせぬため、他の奇跡と違って誰もが平等に唱えられる呪文ではないが、その効果は非常に強力である。
この呪文の対象は『目標:術者』であり、術者に神秘的な洞察力……ごく単純な予知能力を得る呪文である、
簡単に言えばほんの1秒、2秒先を『見る』事ができるようになる呪文だ。
これにより術者は知覚などの各種判定や戦闘時の命中・回避などに予知によるボーナスを得られる。
が、冒険者に於いて重要なのはそこではない。
この呪文はほんの少しだけ未来が見えるゆえ自身の本来の行動とは別に他人の行動に備え介入する事ができるのだ。
対抗魔術などを用いる際に発生する、相手の呪文詠唱を聞いて素早く呪文詠唱を合わせるための、いわゆる『待ち状態』。
ネッカが赤竜戦に於いてほぼ相手の呪文に合わせるためだけに自分から自発的に呪文を唱えられなかったのはこの待ち状態をずっと維持していたからだ。
〈
グライフに限らず魔族の放つ妖術はそのほとんどが魔導術由来であり、聖職者であるフェイックはそれに対抗呪文で抗する事はできぬ。
対抗魔術に必要な同質の呪文も、対立属性のそれより上位の呪文も用意できないからだ。
だが受けた恐怖効果自体を即座に解除する事はできる。
〈
[恐怖]などの精神効果や無理矢理動物などに変化させられた者を元に戻したりするのが主な使用法である。
ただし『治療』ではなくあくまで『解除』であるため、あらゆる精神状態を治せるわけではない。
何者かによって付与された恐怖心などを取り除く事はできるが、自然に湧き上がる恐怖を治せるわけではないのである。
ともあれ聖職者フェイックはこの呪文を近くにいた全員に付与した。
相手が呪いそのものなどでなく個人の場合、この呪文の対象は『目標:複数人』だからである。
何人に同時にかける事ができるかは当人の実力次第だが、とりあえずフェイックはその場ににいた全員にかける事ができたようだ。
本人も含めて、である。
通常の手順であればフェイック自身が恐怖効果を受けてしまい、仮に抵抗に成功してさえ手は震え声が震え心は乱されて動作要素や音声要素、精神集中などが阻害され
だが『待ち状態』で相手の恐怖効果と同時に自身に、そして他の全員に〈
そしてそれができたがゆえにその直後に仕掛けてきたグライフの追撃に対し、聖職者フェイックが尾の一撃を受け、同時に魔導師ヘルギムが対抗魔術で相手の〈
ほんの一瞬の攻防ではあったが、相当にかなり高度な攻防が行われていたのである。
ちなみに〈
主に戦闘中に唱える呪文であり、通常の効果時間は術者の実力にもよるがだいたい数分程度……なのだが、先ほどの呪文によって得ていた『待ち状態』を使用してしまった場合、残りの持続時間がいくらあろうと呪文効果が失われてしまうのだ。
こうした特定のボーナス効果を使用することにより呪文本来の残り時間がキャンセルされてしまう呪文群を『チャージ消費型』呪文と呼ぶ。
〈
……が、そこにクラスクとグライフが時間停止解除と同時に一瞬にして現れて、高位魔族の恐怖効果を喰らって、このままでは致命傷になりかねないからとせっかく準備した強力な呪文を一瞬にして使い切ってしまった、というわけだ。
まあそれがなければパーティーが一瞬にして半壊していただろうから、ある意味先見の明と言えなくもないのかもしれないが。
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