第861話 詰め将棋
時間停止中に魔族グライフが放った数々の妖術。
クラスクはそれらを『その時の自分』に向けて放っていたと思い込んでいた。
グライフの唱えた〈
二人はほぼ同時に停止した時間の中に飛び込み、互いの肉体武器と刃とを打ち合わせ、この世にお互いしか動く者のいない静寂の世界で鎬を削っていた。
彼我の実力の差はあれど条件は同じ……に見えて、実は違う。
己自身で呪文を唱えたグライフと異なり、その効果を模倣したのみのクラスクのその呪文の細かい仕様……『効果』を知らぬ。
だから時間停止がいつまで続くかもわからぬし、どう時間が元に戻るかもわからない。
同じ凍れる時の中にありながら、情報格差がある状態での戦いを強いられていたわけだ。
まあそれでも相手だけ一方的に動ける状態で何が起こったか理解もできぬまま殺されるよりははるかにマシな状況ではあるのだが。
ゆえに先に述べた通りクラスクは相手に妖術を行使されたらその場から逃げるしかない。
それらの妖術は発動直後に時間停止に巻き込まれその動きを止めてしまうけれど、いつその停止が解けてこちら目掛けて飛んでくるかわからないからだ。
そうして逃げて、逃げて、逃げ続けて……
時間が戻ったその瞬間、彼のいた地点目掛けてその全てが飛んできた。
読んでいたのである。
クラスクの行動を全て。
いや全ては言い過ぎだ。
クラスクは己の手にした武器が手を離せば時間停止に巻き込まれる事を見越してグライフの攻撃を幾度か凌ぎ反撃してのけた、あれは読めてはいなかった。
だからグライフはその都度攻撃の手段を変え、攻撃の方向を変え、クラスクの動きを微修正した。
その上でクラスクが最終的に立っている地点がある程度ブレる事を予測し、放つ妖術の角度を少しずつずらしていた。
結果としてそれらの妖術はクラスクのいる地点目掛けて全て放たれたわけではなく、クラスクの立っている場所の周囲に絨毯爆撃のように着弾したことになる。
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
どずん、とクラスクは咄嗟に地面を大きく踏んづけた。
めこり、と硬い地面に彼の足型がついて、時間停止中に乱れた大気に巻き込まれ崩れた体勢を無理矢理立て直す。
直後にめきき、と踏みしめた足の全筋力を動員して横っ飛び。
だがグライフの妖術はクラスクの周囲に放たれている。
このままではまだその包囲網から抜け出せぬ。
再び地面を蹴ってさらに遠くへ逃げなければ。
だが顔面から地面に落下しつつある今彼の足が地面を蹴るには距離が足らぬ。
クラスクは迷わず己の左手から武器を手放した。
そして地面すれすれになったところで己の左手を地べたに思いっきり打ち付ける。
腕力だけで全身を運び、さらにひと跳び。
そして腕を打ち付けた事で上半身が伸びあがり、その分足が地面に近づいたことでさらにもうひと蹴り。
それを全て一瞬でこなし、恐るべき妖術の包囲網から間一髪、転がるようにして抜け出した。
直後、大爆発が巻き起こる。
時間停止中に順次設定された妖術は、時間が動き出すとともに同時に放たれる。
ゆえに設置タイミングはバラバラでも着弾はほぼ同時なのだ。
ぎりぎり。
本当にぎりぎりもぎりぎりである。
クラスクが着弾点の中央にいたらおそらく避け切れなかっただろう。
だがグライフはクラスクの最終到達点を完全に読み切れてはいなかった。
だからこそ攻撃を周囲に散らしたわけだ。
結果として、クラスクはその大量の攻撃妖術の絨毯爆撃……そのやや西側に寄って立っていた。
彼が時間停止を利用して己の剣や斧でグライフの攻撃を受けた……あの反撃の分だけ彼の予測が狂い、クラスクを理想の目標地点まで誘導できなかったのだ。
だがそれにしても四方八方に攻撃妖術が飛んで来る事に変わりはない。
その中で一番弾幕が薄いだろう…なにせそう決断し地を蹴った時点ではまだ着弾していないのだから…と思い定めた方角がまさに的中していたのは彼の直観が異様に鋭いからか、それともその異常な豪運からか。
ともあれクラスクはなんとかその死の包囲網から逃れる事ができた。
「グ……ガ……ッ!」
そのクラスクが、苦しげに呻いている。
脇腹に何かが突き刺さっている。
黒く光る楕円形の球のようなものだ。
そして左足にも。
こちらは
一見すると時間停止前にクラスクが喰らいそうになった攻撃に似ている。
…が、違う。
これらの呪文は範囲攻撃ではなく、そして対象目掛けて誘導する。
クラスクの足の向こうで連鎖的に爆発した他の範囲攻撃に比べ威力は低めだが、基本的にかわせない。
グライフはクラスが避ける事まで見越してかわしようのない攻撃を仕込んでいたのだ。
それが全ての攻撃を凌いだと油断した一瞬にクラスクを貫いたわけである。
「さて、よくここまで私の攻撃に耐え続けた。称賛に値するよ」
先程まで遠方にいたグライフが一瞬にしてクラスクの前に現れた。
〈
彼はこれを回数無制限で使う事ができるのだ。
流石の高位魔族と言ったところだろうか。
「が、どうやらここまでのようだな。今の攻撃……着弾を全て避けても死ぬレベルで設定したつもりだったのだが。流石にしぶとい」
ガイン! とグライフの左側から音がする。
先程クラスクが地面を突くために手を離した彼の愛剣、
それが主人を救うべく宙を舞い、グライフの隙を作らんと彼の右脇腹目掛けてすっ飛んできたのでる。
けれど彼女の渾身の一撃がその魔族に届くことはなかった。
あらかじめそれを知っていたかのようにグライフが己の右手を彼女の方向にかざすと、魔竜殺し《ドラゴン・トレウォール》は先程の乾いた音を立てて空中に縫い留められた。
力場……空間魔術である。
知性を持ち意志を持ち自ら空を飛ぶ聖剣であっても、彼女、魔竜殺し《ドラゴン・トレウォール》はあくまで剣、あくまで物品、あくまで無生物である。
主人クラスクの助けなくこの魔族が扱う力場の妖術から逃れる事はできないのだ。
イイイイイイイイイイイイイイン……!
激しく振動する音。
彼女なりに必死にその場から抜け出そうとしているのだろう。
だが力場に固定された物品はその持続時間が切れるまでそこから逃れるすべはない。
「では……終わりにしよう」
そう、彼女は……その聖剣は黙って目の前で主人が殺されるところを見続けるしかないのである。
「そいつはどうかな!」
「!!」
その時……グライフの背後から声がした。
振り向いたグライフの目の前……いや足元付近に、何者かがいる。
声からして男性のようである。
その男は上体を深く沈めた体勢で、己の腰に差した剣の柄に手をかけている。
普通に考えてそのまま右足を蹴り上げて殺せそうな相手だ。
なにせ彼が腰に差しているのは大剣である。
こんな近くまで接敵しておいてまだ納刀したままでは、抜刀が間に合うはずがない。
はずはないのだが……グライフは思わず腰を引き、後ろに跳ねた。
わからない。
だが直感する。
それは受けてはならぬ攻撃だ。
ぶおん、と音がする。
その男が腰から剣を抜き放った音である。
ただ普通の剣を抜いたにしてはその音が少々妙だ。
それもそのはず。
その男が腰から抜き放ったのは眩く輝く光の剣だった。
かわし切れない。
受け止めねば。
理性が止めるより早く反射的に体が動いてしまう。
そしてその一撃を肘に生えた角で受け止めんとして……
グライフの右腕に生えた三本の角、その全てが吹き飛んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます