第785話 個体固有種
「ココニ来タ事に後悔ナイ。ドうせココ落ちタラうちが困ル」
「それはそうでしょうが…」
ドルム城代ファーワムツも理解している。
長らく入植が進んでいない王国南西部は現状戦力が手薄だ。
クラスク市というオーク族の街が急速に発展してはいるが近隣に他の大きな街がなく、純粋戦力としては圧倒的に兵の数が足りないはずである。
ドルムを落として後顧の憂いを断ったのなら魔族どもは速やかにクラスク市を襲撃、蹂躙し、他国と距離が離れているのをいいことにそこに居座って瘴気地と化すだろう。
先日クラスク市で出た議題だが、実際ドルム側でも同じようにな認識だった。
ゆえに彼ら防衛都市ドルムとしては王都でのクラスク市自称太守クラスクの謁見事件以来、王国はクラスク市と講和を結ぶべきだという意見が主流になったほどだ。
ただ……そうした政治的な動きをするより早く魔族どもが動いてしまったわけだが。
「それにイザトなっタら連中倒せばイイ」
「倒す……」
クラスクが腕まくりして大きな力こぶを作り鼻息荒くするのを見ながら宮廷の者達は呆れかえった。
この五十年の彼らの苦心惨憺を知らぬのだろうか。
まあオークだしな…と誰もが思ったのだ。
「それは頼もしいですな」
「さっき包囲網突破シタ時思っタ。前に会った奴ほど強くナイ。あれくらいなら数イテモそンア怖くナイ」
そう口にした後顎に手を当て、少し首をひねって思案する。
「訂正すル。少シハ怖イ」
「前に会った……? 魔族と邂逅した事があるのですかな」
宮廷魔導師ヴィルゾグザイムが興味を惹かれ尋ねた。
どの種族と会ったか、どういう邂逅だったのか、それは単なる純粋な興味だけではない。
魔族の情報はとにかく少なく、それがどんなものであれ貴重な情報となり得るからだ。
ただ……クラスクの答えは彼の予想を超えていた。
「会った。確かグライフ・クィフィキ……? ダカナンダカ名乗ッテタナ」
「ッ!?」
その名を聞いて、ヴィルゾグザイムは驚愕に目を見開いた。
「グライフですと……かの
「
クラスクはけげんそうに眉をひそめ、ネッカの方に振り向いた。
「ナンダソレ知らナイ」
「そうでふね……ここには黒板がないので言葉だけの説明になりまふが……魔族はネッカ達
「アリカタ」
「はいでふクラさま。魔族は階級社会で、基本的に下の者は上の者に絶対逆らえないそうでふ」
「強イ奴偉イッテコトカ」
フム、とクラスクは魔族の生活を想像してみた。
強者が上に立つのはオークの論理としては何もおかしくはない。
十分納得できることで、彼はうんうんと腕組みをして頷いた。
「強いやつ……とはちょっと違いかもしれないでふね。魔族は種族ごとに階級が決まってるんでふ。階級には下等魔族、下級魔族、上級魔族とあって、さらにその中にも厳密な階級差がありまふ。この階級序列は絶対に覆せないんでふ。なので下等魔族の
「種族で決まっテルのか……それハつまらンナ」
どんなに個としての力を磨いても種族による格差が絶対的では己を鍛える意味がない。
クラスクはがっかりし魔族の階級社会に幻滅した。
「ナラドンナニ努力シテモ無駄カ」
「それは違いまふクラさま。種族間の格差は絶対に覆せないでふが、その個体が出世する道はありまふ」
「あルノカ。ドうすルンダ」
出世できるのなら多少はマシなのかもしれないけれど、結局種族間の格差が埋められないならたかが知れているのではないか。
クラスクがそんな疑問を持ったことを目線で察したネッカは、けれど小さく首を振った、
「違いまふクラ様。魔族は出世すると種族が変わるんでふ」
「ナニィー!?」
目玉を大きく見開いて驚愕するクラスク。
そんなこと彼の常識では全く及びもつかない事だったのだ。
「種族!? 種族変わるノカ!?」
「はいでふクラさま。例えば下等魔族である
「ナンダソレ魔族面白イ! 面白イナ!!」
クラスクは咆哮し、感嘆した。
つまり種族間の階級差は絶対で抗う事はできないが、功績を上げる事でその上位の種族に成る事はできるわけだ。
それならいくらでもやりようはあるではないか。
「で、順調に出世してゆくと最終的には上級魔族の頂点、
「ナンダソレカッコイイナ!」
いかにもクラスクの好きそうな話である。
ネッカは少し微笑むと、やっと今回の主題に触れる。
「で……でふね。基本的にはこの
「マダあルノカ」
「はいでふ。どういう条件を満たせば上にゆけるのか、どれほどの功績を上げればそこに辿り着けるのか一切不明でふが、ともかく全ての魔族の目的であり憧れである
「オオー」
すっかり興奮して鼻息を荒くするクラスク。
「ただ……
「種族ガ……ナイ? 魔族ダロ?」
「はいでふクラさま、魔族は魔族でふ。ただ魔族の内の『同じ姿かたちで同じ性質を持つ魔族』……いわゆる人種ならぬ魔種でふね、その魔種は
「個体……? つまり見タ目トカ特性トカカ完全に独立シテルっテコトカ?」
「はいでふ。こうした完全な一種一個体の存在のことを……
ネッカは大きく息を吐き、その存在について告げる。
「ほぼ全ての魔族たちの上、上級魔族よりさらに上の階級……詳しくはまだ判明してないでふが、彼らより上は魔王しか存在しないとすら言われている者達……
ネッカの言葉に……クラスクはぽく、ぽく、ぽく、と三拍ほど間を置いてからぽんと手を叩いた。
「ナルホド。つまりアイツ強カッタノカ」
「そうなりまふね。クラさまにわざわざ会いに来た魔族として気になって色々調べてたんでふ」
当時のネッカはまだそこまで魔族について詳しくなかった。
詳細な知識を手に入れたのは魔導学院の学院長に収まり様々な蔵書や魔導書を閲覧できるようになったからだ。
「ソリャヨカッタ。アイツくらイ強イノガゴロゴロイルト思っテタ」
「強い…ということは戦われたのですか? アレと?」
驚きと好奇心の入り混じった声でヴィルゾグザイムが問いかける。
「戦っタ。歯立タナかっタ」
「…でしょうね。というよりむしろよく五体が無事で」
「向こうは戦う気なかっタ。あシらわれタダケダ」
当時のクラスクは体格も今ほど大きくはなかったし、そもそも手にしていた斧もただの斧で魔法の武器ですらなかった。
「ダガ今ハ違ウ。今ならアイツ殴れル」
クラスクは……魔族どもがひしめくこのドルムへと自ら飛び込んできたもう一つの目的を、ここで初めて口にした。
「今度こそ……アイツぶん殴ル。そシテ勝つ!」
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