第738話 周到
アルザス王国北部…魔族どもが潜むとされる
この国だけでなく、
もし魔族どもとの戦争になれば、各国の軍隊がこの北部へと駆け付け、魔印を交わしていない国家であろうと手を取り合って死力を尽くし戦うだろう。
魔族との戦いというのはそういうものだ。
王国の北、と言っても森が広がっているのは王国の主に北西部であり、ドルムが王国北西部に建造されたのはまさにそれを見張るのが目的だ。
ドルムからは昼も夜もなく巡回の兵士や冒険者たちが次々と出発し、
そしてその様子は定期的に魔術通信によって王都へと伝えられ、危急の事態ともなれば即魔導師達によってそれが各国へと伝達されるのだ。
まさに鉄の包囲網と言っていいだろう。
さてドルムの近くにも衛星村はあり、農民たちが畑を耕し麦を育てていた。
一見すると危険極まりない自殺行為にも映るが、これは魔族と対峙する防衛線としては決して譲れない措置でもある。
魔族は瘴気の中では不死身に近い力を誇る。
そしてその瘴気を彼ら自身が纏い、放っている。
ゆえに魔族などが断続的に攻めてきて小競り合いなどが発生した時、単に撃退に成功したのみだと魔族側に利が残る。
放った瘴気がその地に留まり、沈着、蓄積されてしまうからだ。
それを幾度も繰り返せば、やがてその瘴気は淀みとなってその地から放たれるようになり、そしてそうした場所では魔族への攻撃はほぼ通用しなくなる。
いわゆる『瘴気地』と呼ばれる領域の完成である。
そのため魔族が徘徊、跳梁するドルムの付近では、定期的に周囲の土地を浄化する必要がある。
ドルムの城壁のみを堅牢にしていても駄目なのだ。
それではいつか城の周囲を瘴気に囲まれ、孤立無援の中不死身に近い魔族どもに包囲され殲滅されてしまうことになる。
それに対抗するためのの農業と耕作である。
土の下に沈殿した瘴気を掘り返し浄化するという意味でも、土地の開墾と開拓は瘴気対策として非常に有効なのだ。
だがそんな危険を地への入植を、農民のような非戦闘員が望んで冒すだろうか。
…というと、これが存外いるのである。
多くの世界に於いて既得権益というのは強力だ。
土地にせよ、財産にせよ、地位にせよ、『すでにある』『すでにいる』『すでに持っている』を後発や新参が覆すのは難しい。
もちろんそうしたことができる者も少数ながら存在するが、それは才気煥発な、優秀で有能な者に限られる。
広大な耕地を持つ土地権利者…地主達の下で働き続ける小作人は、自分達で土地を耕し、種を蒔き、己の手で苦労して収穫するにもかかわらず、地主に地代を払い続けなければならぬ。
一見するとクラスク市と似ているようにも見えるが、その実体はまるで異なる。
小作人は麦の管理をするのも種籾を残すのも己の責任だ。
土地を借りているだけでやっていることは通常の農作業となんら変わらない。
天候不順や飢饉などが発生して麦の収穫が見込めなくなっても、野盗やオークなどに襲われ収穫を奪われても、変わらず地主に地代……借地料は支払わねばならぬ。
さらに彼らの収入は収穫物を領主におさめ、残った麦や育てた家畜の肉などを売ることで初めて発生する。
それまではどんなに労働しても必要な費用は昨年までの収入から持ち出すしかない。
一方でクラスク市の畑で働く賃金労働者は作物の保管も蒔くための種も己で責任を負う必要は一切ない。
それらはすべて街が管理しているし、もっと言えばそうした事を専門に行う労働者(ただしこちらは頭脳労働だ)がその任を受け持つ。
仮に凶作になろうが何者かに収奪されようが彼らに支払われる賃金は変わらぬし(厳密に言えば街自体が貧しくなれば翌年以降の賃金が下がることはあるだろうが、現在そうした事態には陥っていない)、そもそも収穫を待つ必要なく働けばその働いた分の賃金をその日のうちに即金で受け取れる。
クラスク市に貧しい者達が集まるのはこの賃金労働制の『即金』の部分が大きいとされている程だ。
…ともあれ。そうした貧富の差は本来なかなか埋まるものではない。
まさに持つ者と持たざる者の構図である。
ただ……この世界には例外がある。
以前にも述べた、瘴気地への開拓団である。
瘴気地へと赴き、瘴気の中で荒れ地を開墾すればその土地は己の所有するものとなる。
つまり地主である。
誰でも勇気と胆力と根気さえあれば地主になれるのだ。
それが瘴気地開拓である。
開拓は当然ながら王都を中心に広がっていった。
速めに募集した者ほど王都の近くにあてがわれた。
南方の開拓も比較的順調に進んだ。
山を越えればバクラダ王国が控えているため人材を送り込みやすかったからだ。
そして遅れて募集した者達に割り当てられたのが……北方のドルム周辺の開拓団である。
当然魔族は怖い。
恐ろしい。
だが延々とうだつの上がらぬ小作人を続けるより、一念発起して地主へと成り上がる方がまだ層倍マシであると信じた者達が、その危険な任務へと賛同し、北部開拓団へと参加した。
そして魔族の跳梁を防ぐため、多くの兵士と騎士達に護られながら、北方の開拓団が進軍していった。
これが現在のドルム近郊の基礎である。
各村には周囲に土塁が張り巡らされ、簡素ながらしっかりとした砦となっている。
村々には皆兵士たちが詰めており、必ず魔導師と聖職者が控えている。
これは対魔族の貴重な戦力であると同時に、いざという時にドルムへと占術によって通信を行う役目を担っているからだ。
ドルムから足蹴しく出立する巡回の兵士達もまたそれらの村々を廻り、最悪の事態に備えている。
こうして魔族どもの
だが…その情勢に変化が訪れた。
魔族たちの跳梁が激しくなり、複数の村落が同時に襲撃された。
砦は破られ、村人が次々と
兵士達がドルムより急行し応戦し、幾体かの魔族が倒されたもののその勢いは止められず、魔族どもの増援がみるみる増えてゆく。
今までのような小競り合いとは違う。
魔族どもの軍団が一斉に蜂起したのだ。
こうした緊急事態の時、防衛都市ドルムは各村の村民たちを保護し守護する義務がある。
そうした契約の下で彼らはこの最前線での開拓に従事していたからだ。
周囲の村から非難する村人たちを受け入れるドルム。
たちまち城壁の内側は人であふれ返った。
「だが……ここで大きな問題が発生した」
事情を説明しながらキャスが一度言葉を切った。
「それはいいんですけど…これまでの事情はその早馬の方から聞いたんですか?」
ミエの挙手しながらの質問に、キャスは小さく首を振る。
「当たらずとも遠からずと言ったところだな。彼が携えてきた書状に記されていた内容だ」
「なるほど…」
「で、なんじゃ問題というのは」
せかすようにシャミルが尋ねる。
「食料だ。ドルムには食料がない」
「ない……? ないじゃと?」
一同は怪訝そうに顔を見合わせた。
「そんなわけないニャ。食料を満載した馬車が昨日も一昨日もその前もここからドルムに向かってたはずニャ」
「ああ。私も見ている。それだけでなく王都からも常に大量の荷駄がドルムへと向かっていたはずだ」
「「ですよね!」」
ミエとイエタが互いに頷き合った。
この世界の食料…特に戦争時の糧食などは〈
それゆえ司教であるイエタにも他人事ではないのだろう。
「だが…ここ最近、それらの荷馬車が帰ってきたことはあったか?」」
「「「!!」」」
キャスの指摘に一同がハッと息を呑む。
「無論うちが管轄している隊商ではない。クラスク市を出立しドルムに荷を搬入、そのまま北方回廊を通って王都ギャラグフへ向かった可能性も十分に考えられる。だが…そうでない可能性も捨てきれん」
「そうでない可能性…というと……?」
「既にドルムが魔族たちに包囲されており、クラスク市及び王都ギャラグフから向かった荷馬車が壊滅している可能性だ。それも、だいぶ以前から」
「………………………っ!!」
ミエはようやく事の重大性が理解できてきた。
そしてその深刻さも。
「ええっと、それじゃ、もしかして、ドルムの周辺の村を襲ったのは……?」
「間違いなく意図的だろうな。我々
「あの……それって当然ですけど〈
「無論試したようだ。だがその魔導師は魔術によって姿を消したまま帰ってこないそうだ。戻ってくることもない。おそらく…魔族たちの何らかの罠に嵌ったものと考えられる。通信士によれば王都からは幾度も支援を送ったとの連絡が届いているが、なんの進捗もないそうだ」
「…………………!」
アーリが冷や汗を拭いながらぽつりと呟いた。
「それは……思った以上にまずい状況なんじゃないかニャ?」
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