第719話 村娘たち

「こるき…」

「コルキさーん…?」


きょろきょろと街の外を見て回るが、それらしき影は見当たらない。


「そういえば二人はそのコルキって守護獣見たことあるの?」

「あるわよー。でも最近街中では滅多に見かけないわね。昔はちょくちょく街を出歩いてたみたいだけど、街がおっきくなりすぎたせいかあまり寄り付かないみたい」

「ある。畑でおしごとしてると遠くの方かけてるオオカミいる。いっしょにおしごとしてるニンゲンがあれだっておしえてくれた」

「へえ……」


エィレの認識では狼は魔獣になり得る危険な駆除対象であって、遠方とはいえ畑仕事をしている人がいるところでそんな獣が自由に闊歩しているのは少々信じがたいし、そんな牧歌的なやりとりをしていい存在とも思えないのだけれど、一体何がどうなってそれが街の守護聖獣などと祭り上げられているのだろう。


いや理由は無論知っている。

噂を聞いた時に耳を疑って事情を調べたことがあったからだ。


太守夫妻に懐いている狼。

魔物と見紛うばかりの巨体で、太守クラスクの隣で幾つもの戦場を共にくぐりぬけてきたという歴戦の猛者。

狼でありながら決して人を襲わず、まるで人語を解するかのように振舞う。

それだけ聞けば確かに守護聖獣と呼ばれても納得の存在ではある。


「ただあれは聖獣ってゆーかねー…」

「違うの?」

「ちがうの?」


シャルの言葉にエィレとヴィラが反応する。


「いやー、ま、会えばわかるでしょ。さ、行きましょ。探すのもお仕事なんだから」

「そうだった! おしごとがんばる!」

「そうだね」


ヴィラはネッカやユーアレニル、それにミエに最初に言われたことがよほど身に染みているのか、仕事となるとスイッチが入るらしい。

意気軒高となり気合を入れるヴィラの横…もとい下で、エィレもまた小さく頷いた。


それから三人は街の外をあちこち歩いた。

だが「あそこで見かけた」「昨日はあっちにいた」のような目撃証言は数あれど。なかなか当人…もとい当の狼を見つけられぬ。


「今日は機嫌が悪いのかしら」

「どーかしらね。そもそも最近はあまり見かけないことも多いし」

「へえ…何かあったのかな」

「知らないわよコルキの事情なんて」

「それもそっか」

「こるきー? おーかみー? いない…」


畑と牧草地の間の小道を歩きながらそんな会話を交わしていると、隣の畑で農作業に従事していた娘達が顔を上げた。


「あんたたちコルキ様を探しているのかい?」

「あ、はい! ええっと、お仕事お疲れ様ですっ!」


エィレの返事に少し意表を突かれたらしき娘はだがすぐに相好を崩す。


「あはは。そんな風に声かけられたのミエ様以外じゃ初めてだよ!」


娘の言葉に他の女性達も愉快げに笑う。

好天の下、みな激しい農作業で汗だくだ。

だがその割に全員辛そうな素振りがまるでない。

大変な仕事を、だが楽し気にやっている風に見える。


王族たるエィレはそれが…そうした空気を醸成することがとてもとても大変であることをよく知っていた。


エィレは改めて彼女たちをよく観察する。

畑仕事をしやすいような格好で、そして皆とても若い。

いわゆる中年女性がこの中にはいないのだ。


……これは普通の街で考えたら少しおかしな話だ。


多くの地域で農作業をするのは農民であり、農民にとって農作業は基本全員の協力の下に行われる。

普段であれば自分達の所有する畑に対し家族全員で作業する程度で済んでいるが、農繁期と呼ばれる時期ともなれば村の全ての畑それぞれに対して村人総がかりで仕事に当たることになる。

そうでなくば厳しい農作業が必要な期間中に終わらないのだ。


作物というのは育ち、花をつけ、結実するのにそれぞれ必要な気温や湿度などが異なる。

例えば稲は冷涼な気候でも青々と育ちはするが、ある程度以上の気温がなくば花も実もつけてくれぬ。


それもある程度の期間その温度に浴して初めて意味がある。

一瞬だけ暑くなってもダメなのだ。


つまりどんなに大変だろうと重労働だろうと、種蒔きなどの農繁期の作業は必ず一定の時期に全ての畑で終わらせないとならないのである。

それは村人総がかりの作業にもなろうというものだ。


この世界では二甫制と呼ばれる麦と牧畜を交互に繰り返すことで畑を休ませ地味を回復させる農法を行っているが、これが少し進むと夏麦・冬麦・牧畜の三圃制に発展する。

これは単純に二つの畑の半分で麦を作るより三つの畑の二つで麦を作った方が生産量が上がる、という意味もあるが、それ以上に大きな意義がもう一つある。



農作業の負担の軽減である。



冬麦は冬に蒔いた麦を越冬させ晩夏に収穫する。

夏麦は春に蒔いた種を秋に収穫する。


収穫に関しては時期にさほど差がないが、種蒔きの時期に関しては完全に二つに分割することが可能だ。

そしてそうすることで大幅な作業軽減となるのである。

そうして空いた時間で農民たちは他の作業や余暇の利用などができるようになったのだ。


いずれにせよ三圃制ならぬ二圃制であろうと農作業は農村の全員作業であり、当然ながら中高年の参加も当たり前のように行われる。

にもかかわらずエィレが見る限りこの近辺で作業している者の多くは若い女性ばかりである。

それ以外に目につくのはオーク像の男性で、中高年がいるとしたら人間族の男性がちらほらいる程度だろうか。


だがこの光景は、クラスク市に於いてはさして不思議なものではない。


そもそもこの街の特性上若い女性を優遇しており、中高年の、というかの受け入れは優先されていない。

そしてこの街自体がとても若く、、というのが一人もいない。


それらの結果として、この街には中高年の女性と、数歳以上の子供が殆ど存在しないのである。

街の光景としては少々不思議で、急速に発展した街だからこそのいびつさであると言えるだろう。


「そっちの子は巨人族かい?」

「そ、そう! わたしヴィラ!」

「ヴィラちゃん! おっきいねえ!」


娘達はヴィラの大きさに驚きながらも恐れや怯えを見せぬ。

これまたなかなか珍しい反応である。


「驚かないんですか? その、巨人族なのに」

「驚いてはいるさ。ホントにおっきいねえ!」

「でもあたしらこの子のことちょくちょく見かけてるからねえ」

「ホント!?」


娘達の言葉にヴィラが目を丸くする。


「ホントさホント。あんたが街の周りでまめまめしく働いているの何度も見てるからねえ。ま、いっつも遠くからだけどさ。なにせあんた目立つから」

「あはは。確かに」


娘達がどっと笑い、ヴィラが嬉しそうに頭を掻いた、


「仕事頑張った甲斐があったたわね、あんた」

「うん! あった!」


そしてシャルの言葉にヴィラが大声で叫んだ。


「あはは。じゃあ今度はあたしらの仕事手伝っておくれよ」

「わかった!」

「あは! 頼もしいじゃないか!」


ふんすと鼻息荒く請け負うヴィラに、娘達がまた笑った。


「いやホント、巨人族とかゴブリンとかさ、まーたミエ様が変なコト始めたと思ってたんだけど、蓋を開けてみりゃあ全部上手く行っちまってねえ」

「さすがミエ様だってみんなで言ったもんさ」

「そうそう。なにせ竜殺しの主婦様だしね!」

「こーら、あんたそれ言うとまーたミエ様がへそ曲げるよ!」

「「「あはははははははははは!」」」


なんとも朗らかで、それでいて太守夫人相手に随分と距離感が近い。


「で、なんでコルキ様を探してるんだい?」

「あ、そうだった。きじ! かく! しんぶん!」

「「「うん……?」」」


ヴィラの言葉に娘達はけげんそうに首をひねった。

聞いたことのない単語だったからだ。

いや『新しい紙モイトヴェヴォル』という単語自体は聞き取れたはずだ。

ただそれの意味が分からなかったのである。


「ええっと新聞モイトヴェヴォルって言うのは…」


まだ公にされていない者を軽々しく喋ってしまっていいものだろうかと僅かに逡巡しながらエィレが軽く説明する。

そもそもここは畑のど真ん中で怪しい人物が近くにいるわけでもないし、仮に隠れ潜んでいた密偵などに聞かれ他の国や街に伝わったところで、クラスク市を先んじて新聞を導入できるような技術が他国にはないと考えたからだ。


ただ……もしミエがこの場にいたら明快にこう述べたことだろう。



「じゃんじゃん盗み聞いてじゃんじゃん真似して下さい! 情報メディアが増える分にはうちはなんにも困りませんからね!」




……と。



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