第687話 閑話休題~セーフティネット~

「ええと、こ、こちらが貴女達の、お家です」


魔導師グロネサットがぼそぼそと告げる。

彼女が案内してきたのはクラスク市に家を建てられず、追い出されてしまった者、その内の女性だけを集めたものだ。


目の前にある家は簡素なものであったが、机と椅子に寝床までしつらえてあって、とりあえずそのままベッドに倒れ込んで泥のように眠る程度のことはできるようになっていた。

少なくともクラスク市の周囲に無許可で建てた掘っ立て小屋とは雲泥の差である。

娘達はその立派さに目を丸くしていた。


「あ、あの、こんなよい家をお借りしても、私たち支払えるものが…」


おずおずと娘の一人がそう告げると、グロネサットは黙って首を振った。


「身体を休める場所がないと、疲れが抜けません。疲れが抜けないまま仕事しても……その、上手く行きません。貴女達に必要なのは、まず休むことです」


実際ここにいる娘達の多くは貧しい暮らしからなんとか抜け出そうとしたり、或いは村が飢饉に陥って立ち行かなくなったり、山賊や魔物の襲撃によって壊滅し、寄る辺もなくなったりといった理由で女性優遇策を掲げているクラスク市に吸い寄せられたはいいものの、頼る者もなく道端で寝泊まりしふらふらしながら仕事に出かけ失敗してもらったお金は治療などに消えて…のような負のスパイラルの末にクラスク市に留まれたなかった者が多い。

しっかり休めて雨風を凌げる家があるだけでそのあたりはだいぶ改善されるはずなのだ。


「家賃は月末払いですから、その、それまでにお金を家賃分残しておいてくれれば、いいです」

「なにからなにまですいません、すいません」


ぺこぺこと頭を下げる娘達。

真似して頭を下げる子供達。


「気にしなくても大丈夫です。この街もクラスク市と同じで人手がいくらあっても足りません。貴女達が働いてくれるならそれだけ助かります」


一通り家の内装について説明をしたグロネサットは、最後にこう付け加えた。


「外では、その、クラスク市の噂はあまりよくないと思います。オークが作った街ですから、そう思う人がいるのも当然かと。えっと、実際来て、街を歩いてもらえばそういう誤解は解けるんですけど、旅人か商人でもなければそもそも積極的に近寄りませんから」


彼女の発言はやや大げさで、実際には外でもクラスク市の評判がいい国や街はだいぶ増えてきてはいる。

ただしそれらはあくまで為政者の評価であって庶民の評価ではない。

このあたりは確証のない噂話や吟遊詩人の誇張された歌などを信じるしかない庶民と、水晶球による通信やその他種々の占術によって情報を得ることができる支配者層との情報格差が如実に出ている例と言えるだろう。


「そんな街にわざわざやって来たんですから、その、皆さんそれなりの覚悟があることと思います。そしてもし覚悟がおありなら…。それだけは覚えておいてください」

「………………!」


娘達はハッとした。

ここに来るまでに彼女たちはこの街の表通りを歩いてきた。

各所で建設ラッシュに沸いていて、確かに今まさに発展途上の街なのだという印象を受けた。


そしてその各所で働いている者達には、先述の通りオーク族が多かったのだ。


娘達はこの街に頼るしかなかった。

先述の通り野盗や山賊に襲われて村が焼かれ、彼らが住み着きのさばって故郷に戻れなくなった者がいる。

疫病や飢饉が流行って故郷から逃れてきた者もいる。


女性であれば貧しくても受け入れるというクラスク市に、彼女達は逃げのびるようにして頼らざるを得なかったのだ。


だがオーク族である。

女をさらい無理矢理彼らの子を孕ませると悪名高いオーク族である。

そんな街に自ら足を向けるという事は、自ら墓穴を掘るようなものなのでは…そう思い悩む娘もいた。


だがクラスク市に行けば女性の独り身でも仕事があると聞けば。

様々な面で独身女性に優遇政策があると聞けば。

女やもめでも引く手あまたで嫁入りできると聞けば。


それは喩え相手がオーク族であろうとも己の人生を賭けようという気になるものだ。

そうでなくとも彼女らには選択肢が少なかったのだから。


そしてそれは別にクラスク市のオークに限った話ではない。

このクラスク第二の都市ヴェクルグ・ブクオヴにも独身のオークが数多くおり、当然配偶者としての異種族女性を求めている。

そういう意味では彼女らにとってクラスク市であろうとなかろうと大差はないのである。


というか、そもそもクラスク市側にがあるからこそ彼女たちは難民にならずに済んでいるのだし、こうして家をあてがわれているわけだ。

いわばクラスク市が女性のために用意したセーフティネットであるとも言える。


実はクラスク市の下街でもこうした貧しい女性達のための安全弁に近いものが用意されたことがあった。

それも公的にではなく、私設のである。



ただあまり印象はよろしくないかもしれない。

なにせそれは街の外(現クラスク市下街)に生まれただったのだから。



娼館であれば体力がなく農作業などが不慣れな女性であっても仕事に従事できる。

クラスク市に仕事を求めてやってくる者は行き場をなくした女性以外に新たな場所で一旗揚げてやろうと目論む男どもも多く、そうした連中は大概独身なため娼館は非常に需要が高かった。


そして…なによりその店は独身のオーク達に大人気であった。


とはいってもオーク達はその店をあまり娼館としては認識していなかった。

独身女性を見繕う、いわば出会いの場や婚活会場と考えていたのである。

実際オーク達が高い金を支払ってその店の娘達を引き抜きそのまま嫁にしたことも少なくなかったのだ。


ただその店は現在の下クラスクが城壁…の前段階である土塁に囲まれる前には既に取り壊されていた。

オーク兵達の手によって。


つまりのである。


だがそれは何故だろう。

なぜ貧しく力のない女性達の仕事場をクラスク市は奪ったのだろう。



これはクラスク市のコンセプトそのものにかかわる問題である。



今や拡大の一途を辿り、その本来の意義とはややずれてきてしまっているけれど、クラスク市は元々オーク族が略奪や襲撃によらず配偶者を得るためのシステムとして考案されたものだ。


そうした行為を禁じる事で、オーク達が武力や暴力ではなく交渉や恋愛によって女性達と結ばれる。

それがミエの企図した事である。


その際重要なのは『女性の側に選択権がある』ことだ。

オーク達が強引に迫ることなく、暴力や恫喝で女性を無理矢理同意させることなく、あくまで女性の自由意思でその選択は為されねばならぬ。



そう考えた時…果たして娼館は自由意思の場と言えるだろうか。



経済的に困窮しているから、他に選択肢がないから娼館に雇われた娘達が客であるオークに強く請われた時、そのみじめな境遇から抜け出せるかもしれないと希望を抱いてしまわないだろうか。

そもそも彼女たちはこの街にでやって来たのだから。


だがそれは本当に彼女達の自由意志なのだろうか。

環境や境遇が彼女をその要請に同意するよう強制させてはいないだろうか。

たとえばその娘が娼館などではなく己の村で、己の家で暮らしていたなら、同じオークに口説かれて頷くだろうか。


それは単なる理想論かもしれない。

人の気持ちなど年齢や季節などでも簡単にうつろいゆく不確かなものだ。

何が正しいかなど一概に言えるものでもない。

実際娼館からもらわれてオークと結ばれた女性が、街ですっかりふくよかな姿で幸せそうにしている例もあった。


だから娼館だからとてそれを一概に否定する事はできない。

できないのだが……少なくともその時はその店は叩き潰された。

クラスクの命令でオーク兵どもがその娼館へ向かい、中にいる女性を連れ出したのち完膚なきまでに破壊し叩き潰したのだ。


クラスク市の全ての土地はクラスクのものであり、上に建っている家は単に太守クラスクから間借りしているだけ。

ゆえにクラスクは気に喰わぬ建造物をいつでも破壊して更地にすることができる。

そのことを街の者達にまざまざと思い知らせた事件だったという。


オーク兵の中にはその店の常連や贔屓もいて、そのオークは彼らの種族としては珍しくなんとも複雑そうな表情で破壊活動に従事していたという。


ただ実のところこの件に関してはそうした店の意義云々とは全く別の問題で店が取り潰されていた。

理由は単純、この店が客から取った代金と仕事していた娘達に支払われた賃金の差額があまりに大きかったからである。

さらに言えば客が彼女達を店から引き取る際に支払った結構な額の契約料なり解約料なりもまた一銭たりとも娘達に還元されることがなかったという。



一言で言えば、店主が女を食い物にしてぼろ儲けしていたのである。





クラスク市でそんな店が許されるはずもなく……

それはまあ、ものの見事に店のあった場所は更地となって、財産は全て没収されたという。






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