第646話 魔術サービス
翌日、朝十時少し前。
北外大門の下で、エィレはそわそわしながら待ち合わせをしていた。
エィレは大門の近くの柱、その上に備え付けられた時計を見上げた。
いわゆる柱時計である。
時計の見方は昨日覚えた。
今は時刻にして十時十分前、といったところだろうか。
周りを見回すとエィレ以外にも門の下や時計の下で待ち合わせをしている人がちらほらいる。
これは時計の設置効果と言っていいだろう。
この世界の時間は主に教会の鐘楼によってもたらされる。
時計自体がこの世界に存在していないわけではなかったが、ノームの国以外で常用に耐えるレベルの実用的なら時計はあまり発達してこなかったのだ。
ゆえにこの世界では時間の単位は鐘の音…『鐘楼』で測られる。
教会の鐘が一度鳴り、そしてまた次に鳴るまでの間を『一鐘楼』と呼び、それが幾つかでだいたいの時間を表すのである。
例えば注文の品が出来上がるのは二鐘楼鳴った後、などのように使われるわけだ。
だがこの測り方では人々の間に『時間が経過する感覚』は育っても『時間が迫ってく感覚』は育たない。
「今鐘が鳴ったから二鐘楼過ぎたな」という感覚は掴めるが、「一鐘楼目が鳴ってだいぶ経つからそろそろ二鐘楼目かな」とはならないのだ。
あとどのくらいで次の鐘が鳴るかを示すものが何も存在しないからである。
だが針時計は違う。
時計は現在の時間が常にはっきりと示されているため、例えば約束の時間が十時だとしたら『あと十分で十時だ』と見ただけで直感的に理解できる。
目標時間が『迫って来る』感覚を、物理的な時計の針によって感じる事ができるのだ。
このあたりの時間間隔の違いは、些細なようでいて実はだいぶ大きい。
人々の生活サイクルが変わるからである。
ともあれエィレは待っていた。
昨日の約束を果たすために。
そして、遂に背後から声が…
「ま、まにあったー…!」
「ヴィラ!」
ぱあ、と顔を輝かせ振り向いたエィレの視線の先には…誰もいなかった。
エィレはうん? と首を傾げ目をこする。
だがやはり誰もいない。
彼女の視線の先に、自分に声をかけたはずの巨人の娘はどこにもいない。
「こっち、こっち!」
その時、エィレの視界の下の方にぴょんこぴょんこと飛び跳ねる何者かの腕が映った。
それに釣られてエィレの視線が下がり、ようやくその相手の姿を視界に捉える。
娘だ。
女性である。
年の頃は15,6程度だろうか。
エィレより若干年上である。
背丈は5フースと8アングフ(約170cm)ほど。
人間族の女性としてはやや高めだがのっぽというほどではない。
そばかすが目立ち、目がくりくりとしていて年齢の割にやや幼い印象がある。
特徴的なのがその栗毛の髪で、あちこち跳ね返ってまるで鳥の巣のよう。
ただ愛嬌のある顔立ちのおかげでそれらは悪目立ちせずに済んでいる。
「あのー…貴女は?」
「わたし! わたし! ヴィラ!」
「えええええええええええええっ!?」
その娘の発言に驚いて改めてまじまじと目の前の女性を見つめる。
言われてみれば確かに先日会話した巨人の娘と似たような雰囲気を感じる。
見ず知らずの相手がわざわざこちらに嘘をつく意味もわからない。
とすると本当に彼女はヴィラウアなのだろうか。
それでようやく先ほどの行き違いの理由も理解できた。
エィレは巨人族のヴィラが来ると思い込んで待ち合わせしていたのだ。
だから振り向いた時つい上を向いてしまった。
先日城壁の上から見下ろした時の彼女の背丈…目分量でだいたい12フース(約3.6m)程度だったろうか。
その顔がある方向に振り向いてしまったのである。
だが今の彼女は縮んでいる。
背丈も人間族のそれと大差ない。
ゆえにエィレが視線は当のヴィラのはるか上を向いてしまって、彼女を発見することができなかったわけだ。
「ええっと…ヴィラ、縮んだ?」
そう尋ねながら妙な違和感を感じるエィレ。
違う。
何か違う。
よくわからぬが縮んだのではない。
それだけはわかる。
「ちがう。そういうサービスもあるけど、そっちのが安いけど、ちがう」
ヴィラが案の定首を振って否定した。
「…サービス?」
「サービス」
身体全体で大きく頷いたヴィラがどう説明したものかと腕を組んで首を捻る。
「えっと、わたし巨人族」
そしてエィレの方に身を乗り出し、耳元でそう囁いた。
「はい」
その態度だけで、エィレはすぐに色々と察した。
街の外で当たり前のように荷運びしていた…この街の為に働いていたヴィラだったけれど、きっと彼女は街の中に入ることを許可されていないのだ。
まあ
ゆえにこうして門の前で待ち合わせたりするときはその身を縮めてくる必要があるわけだ。
「わたし以外にもニンゲン…じゃなかった、フェインミューブ? じゃなくってこの街に住みたいってヒトいっぱいいる」
「いっぱいいるの?!」
ヴィラに合わせて小声で囁き返すエィレ。
「いっぱいいる。でも街のなか入れない。みんなこわがる」
「なるほど…じゃあその皆さんは?」
ヴィラは街の外、のどかな畑が広がっている方を指さす。
「あっちにわたしたちの村ある。かくれざと! ルミクニってゆー」
「へえええー…!」
正直とてもとても興味深い。
巨人族以外にも
是非直接会って話を聞きたいものだ。
エィレは心の内で鼻息を荒くした。
「わたしたち街入れない。でも街でおかいものしたい。そういう時かたろぐつかう」
「カタログ…?」
「ご本にいろいろななお店のモノ…しょーひん? まとめてある。その中からほしいものえらんでかみにかいておかねといっしょにわたす。そしたら街からほしいものとどく」
「へえ! 便利!」
ミエの世界でもネット通販などが主流になるまではカタログ販売が行われていたが、これは近世近代になってからのもので中世当時には存在していない。
中世でも御用商人などが似たようなことをやってはいたが、それらはあくまで個人が依頼主の注文を聞いて方々に商品を買い求め届けるものであって、カタログ販売のように売り手自体が提携しているわけではなかった。
「そう、べんり。そのカタログのさいごのほうに魔術サービス、ある」
「魔術サービス…?」
エィレの言葉にぶんぶんっと幾度も頷くヴィラ。
「そう。お金はらってまじないかけてもらう。いろいろあるけど、今日みたいにすがた変えるまじないもある。そうするとニンゲンになれる。街入れる」
「おお~~~~!」
そこまで言われてエィレもようやく違和感の正体に気づいた。
最初ヴィラが小さくなったと聞いた時、エィレは一瞬彼女が『縮んだ』と思ったのだ。
確かにそうした呪文も存在はする。
〈
ただしその場合ヴィラはそのまま縮む。
もしそうなった場合、決して今のような見た目には決してならないはずなのだ。
巨人族としてのヴィラウアの身長は12フース(約3.6m)、単純に考えて人間族のほぼ2倍とすると、その体積は8倍になる。
背丈が2倍という事は縦と横と高さがそれぞれ倍になるからだ。
つまりその体重も8倍となる。
結果的に巨人族はその体躯を支えるために全員かなり筋肉質でがっしりした…やや横に太い印象の姿となる。
まあ物理法則だけで考えるなら人間の倍の背丈で人間族と変わらぬ二足歩行しているのは少々不自然なので神性が創造した時点で何らかの魔術的なアプローチがあったのかもしれないけれど、ともかく巨人族をそのまま『縮小』したら、やや太めのずんぐりした体格になるはずなのだ。
だが今のヴィラウアにはそれが感じられない。
なんというか巨人族として縮んだ、というよりヴィラウアがもし人間族だったらこんな感じ、といった風貌なのである。
それはつまり…彼女の種族が『巨人族』から『人間族』に変わっている、ということだ。
そうした呪文のことを…〈
対象の変化変質を司る、魔導術の真骨頂である。
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