第607話 目的
ミエの言動を聞きながらアーリはかの赤竜を討伐したあの日、竜の巣穴での二人の様子を思い出していた。
アーリや他の者達が竜の財宝を袋に詰めようと躍起になっていた頃、クラスクとミエの二人は山と積まれた黄金の周囲を巡りながら物珍しげに眺めていた。
観光気分で、である。
あれほどの財宝の山だ。
金銭的価値も美術的価値も魔術的価値も莫大で、あの場にいた殆どの者が目の色を変えていた。
だが二人にはその狂騒の色がまるでなかった。
ただの金色の山を眺めているかのような風情だったのだ。
クラスクはまだわかる。
オーク族は長い間貨幣経済の外で生活してきた。
ゆえに金銭的価値に対して無頓着なところがあるからだ。
だがミエはおかしい。
人間族があれほどの財貨を前に正気を保っていられるどころか大して興味も示さないだなんて常識的に考えてあり得ない。
記憶喪失だとて金の価値くらいは覚えているはずだろう。
いったい彼女は記憶を失う前どんな生活をしていたというのだろうか。
「あのー…なんかすいません」
「別にいいニャ…むしろアーリが考えてしかるべきだったニャ……」
通常竜の討伐をパーティー単位で行う場合、竜の財宝を分けて考える事はあり得ない。
当たり前の話である。
殆どの者の目的は竜退治による圧倒的な栄誉や一攫千金であり、その栄誉栄達には巨万の富による成り上がりなども含まれているためだ。
強大な相手を討伐するために事前に多額の投資が必要だという切実な理由もある。
己に対する見返りを求めない者としてあり得るのは例えば家族や最愛の人、或いは故郷などを竜に焼かれた怨恨や復讐の線があるが、そうした者は後先を考えないので大概竜の巣でそのまま死ぬかよくて相打ちで終わるためあまり考慮に値しない。
だがこの街はそもそも経済的に十二分に潤っているし、対竜戦に多額の投資をしてもなお資金に余裕があり、特段枯渇も疲弊もしていなかった。
そもそも竜を討伐する目的が街を護るため市長自らが斧を取ったといういわば自衛目的であり、参加した面子も欲に飲まれた連中ではなく高い目的意識を共有した、いわば『竜退治集団』であった。
要は財宝が主目的ではなく、優先度が低かったわけである。
「あ、コルキはお金使えないですから勘定に加えないとしてもあの時の参加者は六名でしたから、アーリさんも六分の一は好きに使ってくれて構わないですけど…欲しい魔具とかあります?」
「あーいいニャいいニャ。タダで魔具を持ち主に返却するのもそれはそれで構わないニャ。ただちょっと…いや相当びっくりしただけニャ」
「? 別にタダだなんて言ってませんよ?」
「「「うん……?」」」
ミエの言葉に全員が怪訝そうに彼女の方を向いた。
「…なんじゃ、金銭を対価に売るつもりか」
シャミルがやや意外そうな顔で確認する。
竜の財宝の中には、かの赤竜の財貨ほどではないにせよ大商人、貴族、王族、街、或いは国の貴重な宝などが含まれることが多い。
その中には以前述べた通り国宝クラスの魔具もあったりする。
まあ知性ある竜が意欲的に高価な宝を集めるのだから自然そうなるのが当たり前の話ではあるのだが。
そうした財宝も無論『
ひとつは自前でその宝を所持し、また利用するケース。
魔具の中には非常に強力な力を有するものもある。
戦闘などで役に立つものや野外での休憩や休息で有用なものなどもあり、冒険者が喉から手が欲しい効果も少なくない。
本来なら逆立ちしても手に入らぬそうした希少な魔具をそのまま自前で所有して使っていこう、とするパターンだ。
一見すると非常に優れた方法だが問題がないでもない。
例えばそれがある種族の国宝クラスの宝だったとして、彼らにとっては誰が所有者だろうと自分たちの権利を主張し、取り戻したいわけである。
そんな彼らに国際法を説いても意味がない。
命と誇りを賭けて取り戻すべき相手が竜から冒険者に変わっただけだ。
無論国際的な非難は受けるだろうし、国家単位では自粛するかもしれないけれど、それでも強硬派が強引な手を打たぬ保証はない。
ゆえにそうした手段を取る者は、その本来の持ち主であった種族たちに目の敵にされ、その後相次ぐ襲撃を受けるリスクを避けて通れないのである。
ふたつめは誰かに売りつけるケース。
竜が集めた魔具には国宝級のものも多く、それを欲しがる者も少なくない。
特に冒険で役に立たぬような魔具であれば売って金に換えた方が遥かに楽で有用だろう。
本来の持ち主などという者がいたとしてもその標的は新たな魔具の持ち主となるはずだ。
ただそれでも彼らからは『我が国の宝を勝手に…』という恨み言は消えないだろうし、彼らの種族の村や国に行った時なにがしかの面倒事が起きるであろうことは想像に難くない。
そこで出てくるのが三つ目のケース。
すなわち本来の持ち主を探し出して売りつける、である。
これなら所有者絡みの問題でそれ以上こじれる事はない。
相手の国や種族としても国の宝の散逸は避けたいところだろうし可能な限りその交渉に応じようとするだろう。
見ず知らずの他人に勝手に売りつけるのではなく、わざわざ本来の持ち主を探してきてくれた相手を無下にはできまい、という思惑もある。
ただ国宝級となるとその価値も莫大で、場合によっては国の財源ですら一度には払い切れないかもしれず、結果交渉に時間がかかったり本来の価値で売却できず値切られたりといったことは起こり得るかもしれないし、元の持ち主を探し連絡を取る手間も増えてしまうけれど、それでももっとも後腐れのない方法と言えるだろう。
ミエが提示したのがこの三つ目のケースだとするなら確かにもっとも妥当な判断であり、シャミルもアーリも理解はできた。
だが理解はできても納得はできなかった。
「いえいえ。元はあの赤竜さんに理不尽に奪われたものじゃないですか。なら何かを要求とかしないでそのままお返しするのが筋だと思います。だってそこでお金をか要求したらうちが中間搾取してるみたいじゃないですか」
「じゃよな」
「そう言うと思ってたニャ」
そう、ミエがそこで金銭を求めるようなタイプとは誰も思っていなかったからである。
「けどタダじゃねえっつたじゃん」
「タダとは言ってませんけど別にこの街はお金が欲しいわけじゃないでしょう? 各国の国宝は抜きにしてもお金はこれだけあるんですから」
「まあそりゃそうだけどよ」
ミエの言葉にゲルダも納得はする。
彼女の運営するオーク護衛隊も最近ますます羽振りがよく、ゲルダ自身もだいぶ金回りがよくなっていた。
まあ当人的にはかつて貧しかったころ垂涎しやっかみも感じていた『金持ち』や『裕福』と言ったものに自分がなってしまいむしろ戸惑っている部分が多いのだが。
エッゴティラの店で服をとっかえひっかえしながら頭の上に「?」を幾つも浮かべている彼女は微笑ましくも彼女の厳しい出自を考えずにはいられない。
「じゃあ何がタダじゃねーんだよ」
「なら逆に聞きますけどそもそも私たちがこの街を作った目的ってなんでしたっけ」
「ああん…?」
ここのところ妊娠中かつ多忙で日々忙しく、あまり頭が廻っていないゲルダが一瞬答えに窮する。
だがそのあたり一切ぶれていないクラスクが即手を挙げて答えた。
「オーク族の種族問題解決すル。他種族の女イッパイ招く」
「はい! 正解です! さすが旦那様!」
ぱあああ、と顔を輝かせてミエが両手を合わせる。
「ええっと正解の御褒美は…なんかありましたっけ。ええっと…」
ミエが話のつなぎにと少し考え込んだところに、クラスクがすかさず手を空に突き上げた。
「ハイ! ハイ! この前買っタアレ着テ欲シイ!!」
「ふえええええええええええええええっ!? あ、あれですかっ!?」
脳裏に浮かんだ『アレ』を思い浮かべ、次に周囲から集まる視線に気づく、ぼっ、と顔を燃え上がらせるミエ。
「ええっとぉ…アレはその…いや別にいやってわけじゃないですけどぉ……」
視線を逸らせながらごにょごにょとそんな事を呟きつつもじもじと身をよじる。
「じゃあ…じゃあその…こんや…ってちょっと旦那様! ガッツポーズやめて! やめてくださーい!!」
拳を握り締め無言で気合を入れるクラスクにミエが真っ赤になって叫ぶ。
そして視線を逸らすキャス、ネッカ。
いったいどんな衣装なのだろうか。
「ミエさまミエさま、とってもお似合いだと思います!」
「イエタさんってば! そりゃ褒めてくれてるのはうれしいですけどー!」
…いったいどんな衣装なのだろうか。
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