第569話 うっかり有名人

「フム。クラスク殿の言い分は理解できた。では…」

「キャス。お前は連れテ行かナイ」

「なに?!」


今まさに同道しようと口にするところだったのに出鼻をくじかれたキャスが不満の声を上げる。


「私とエモニモは現地に詳しい。身重のエモニモはともかく私を連れてゆかぬ理由はないだろう」

「理由あル。お前向こうデ立場微妙。問題なル」

「む……!」


クラスクに弱いところを突かれ、キャスは口をへの字に曲げて押し黙る。

そう、キャスは現状やや微妙な立場にいるのだ。


かつてキャスはクラスクに敗北し虜囚の身となった。

そして配下を護るために自ら彼に投降し、村づくりに協力することとなったのだ。


結果としてそれがクラスクの人物を知ることに繋がり、彼に傾倒していったキャスは遂には彼と結ばれることとなるわけだが、その一件については既に語られたはずだ。



問題は彼女のである。



公式には翡翠騎士団第七騎士隊はオーク族討伐に向かいその後全員行方不明、ということになっている。

結果だけ単純に考えればオーク族の討伐に失敗して全滅した、と考えるのが妥当だろう。


だが困ったことに当時人手不足だったクラスク村は優秀な人材であるキャスを隠匿したままでなどいられなかった。

ゆえに彼女は様々な場所に赴き、仕事に従事することとなる。


殆どの者はキャスの顔を見ても誰だかわからないだろう。

王都に暮らす者以外でアルザス王国の王都に詰めている翡翠騎士団のそれも第七騎士隊の隊長の顔まで覚えている者はほとんどいない。


殆どいないが……


ゆえに王都には時折妙な噂が流れる事となった。

即ちオーク族討伐に失敗し死亡したはずの騎士隊の隊長が生きている、と。


王都には複数の騎士団があり、それぞれが別勢力の手勢である。

そしてキャスが所属していた翡翠騎士団は国王直属、いわば王の手駒だ。


その隊長がオークの討伐に失敗したどころかそのオークの村で活動している。

いわば国王子飼いの騎士隊長がオークの村の村づくりに協力している事になる。

王国としては…特に秘書官トゥーヴとしては放っておけぬ事態である。


その件に関し、国王アルザス=エルスフィル三世は配下の者達からの追及をのらりくらりとかわしてきた。

言質を取られぬよう、それでいてさもキャスになにがしかの役目があるかのように言いまわしてきたのである。


おかげで彼女は長い間王都ではこのような扱いとなってきた。



『国王陛下の懐刀翡翠騎士団の隊長の一人キャスバスィは、王の密命を受けて現在正体を偽りクラスク市に潜伏、その使命を果たしているのではないか』

……と。



無論国王自身がそう名言しているわけではない。

曖昧な言い回しで王宮の武官や文官たち……それは同時にこの国に各国が派遣している勢力の代表どもだが……が『そういう風にも』解釈できるような言い方をしてきただけである。



なんとも曖昧模糊とした話だが、国王にはそうせざるを得ない事情がある。

なにせ彼自身はある程度正確な事情を把握しているのだ。



かつてこの街にやけに目立たぬ男がやってきたのを覚えているだろうか。

彼は何食わぬ顔でアーリンツ商会の裏手に回り、猫獣人……アーリと少し話して金銭を受け取って再び消えていった。


彼は王都王都ギャラグフの盗族ギルドから派遣された腕利きの盗族であり、特に正体を隠しての他国の内定などを得意としていた男であった。

彼からもたらされた情報により、当時のアーリは王都の事情を正確に把握し、紫煙騎士団の出兵が近いことを知ってそれをミエたちに告げ、当時作業の中途であったこの街の城壁造りに発破をかけたわけだ。


そしてこの時に……キャスの事情もある程度彼に伝えられていた。


彼は元盗族としてのツテを用いたアーリからのつなぎで王都から派遣された盗族であるが、同時に国王が密かに盗族ギルドのギルド長を介して寄越したクラスク市への密偵であり、密やかにこの街の内情を、そして渦中の人物となっている己の配下、キャスバスィの事情を探るべく派遣されていたのだ。


こんな手を使わずとも魔術で調査すれば手っ取り早いのだが、なかなかそう簡単にはゆかぬ事情がある。


国王が魔導術による調査をしようとすればその依頼相手は宮廷魔導師 ヴォソフになるし、太陽の女神エミュアにお伺いを立てんと欲するならば大司教ヴィフタ・ド・フグルに頼むしかない。

それ以外の人物に頼んでも魔導師や聖職者は結局皆彼らの下に就いているので、結局はその二人に伝わってしまう。


魔導師や聖職者は特にどこの国家の代表という事はない。

言ってみれば『魔導師』や『聖職者』という立場の代表である。

…厳密には大司教の方は若干違う立場に身を置いているのだが、それは今の主題ではないためいったん脇に置いておく。


彼らは基本的にアルザス王国やバクラダ王国と言ったに対してはどの国相手であっても中立の立場である。

そしてそれは同時に国王に対しても強く肩入れする理由がない、ということでもあるのだ。


ゆえに王国としての総意や合意の上で行われる周知の調査以外を密かに依頼した場合、彼らはそれが自分たちの有利になると判断すれば他の勢力に漏らす恐れがあるのだ。


では宮廷に無関係な精霊魔術ならばどうか、という話になるが、こちらはこちらで権力におもねることはないし、そもそも彼らの占術は自己の知覚強化や天候や災害などの大自然にかかわるものが多く、街中の探索には不向きである。


ゆえにどの組織にも属さず、それでいて一番信頼できるのが…結局金で片が付きかつ守秘義務を課している盗族ギルド、ということになるわけだ。


ただし派遣された盗族が集めた情報には偽情報こそないもののある程度アーリの恣意が入り込んでいたし、話を聞いた彼自身もまたそれを把握していた。


なにせ他に隠れてアーリとのみ情報をやり取りしているので間違いなく『密やか』ではあるではないか。

上に嘘はついていない。


もしあそこで完全に正体を隠したうえで街の調査を行った場合相手側の盗族や術師に正体を気取られる恐れがあるし、何も伝えず最初からそうした行為をすれば敵対行為とみなされて惨殺されてもおかしくない。

なにせ前代未聞のオークの街なのだから。


そして彼の判断は間違っていない。

なにせクラスク市には歩く直感探知機サフィナがいるのである。

もし彼が己の正体を偽って密やかに情報収集などしていようものならたちまち看破されてミエやクラスクに伝えられていた事だろう。


ゆえに彼はもう一つの用件…アーリからの依頼…を果たすついでに、彼女自身に事情を話して彼女のフィルターのかかった情報を得ることを選んだのだ。


こうして国王はキャスの安否を知った…そして頭を抱えた。

生きているとは思っていたが、まさかにオーク族の妻になっていようとは思っていなかったからだ。


だがそれでも、事情を知っている彼が適当に誤魔化していればそれで済む話だった。



…赤竜が、討伐されるまでは。



この街の武勇伝は幾つもあって、吟遊詩人などが好んでお話に仕立てて各地へ広めたりもしている。

ただキャス自身もあまり人目につかぬよう気を使い、己の名が喧伝されぬよう努めてきた。


王国からの使いが来た時などはなるべく顔を合わせないようにしていたし、地底軍の襲来の際は基本夜戦なので目撃情報もなかった。

二度目の攻城戦の折はそもそも城から離れた別任務に志願している。



ただ…赤竜討伐の時は誤魔化しようがなかった。

ミエの話に乗る形で、赤竜討伐隊の一員として大観衆の前に堂々と姿を見せてしまったからだ。






ゆえに彼女の名は一躍知れ渡り…そして当然王都にもそれは伝わることとなった。

赤竜討伐の英雄……元王国騎士団の隊長にして大英雄クラスクの妻、キャスバスィ、と。






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