第568話 手紙の真意は
「明らかに罠じゃぞ」
クラスクの決断に対しシャミルが苦言を呈する。
ただその表情にはどこか諦めの色が見える。
クラスクが一度言い出したら聞かないことをよく知っているからだ。
「わかっテル。ダガ遅かれ早かれこの国とは決着をつけル必要あル。ならなるべく早イ方ガイイ」
「それは確かに理屈ですけどー」
クラスクの身が心配なミエが一応食い下がりはするけれどこれまたその口調には諦観が混じっていた。
「まあまあミエ様、心を静やかに。気を落ち着かせて…」
「イエタさんは心配じゃないんですか?」
「わたくしはクラスク様を信じておりますので」
「そりゃ私だって信じてますけどー! 不安になるじゃないですかー!」
普段あまり口を挟まないイエタに意見を求めるが、結局味方は得られなかったようで、仕方なくミエが己の不安を独りで叫ぶ。
まあイエタのくラスクへの想いは思慕であると同時に信仰に近い。
それが揺らぐことはなかなかにないのだろう。
「成算はあるのか」
「ナイ」
「ないのか」
キャスの問いにそう返したクラスクだったが、少なくともキャスには彼の様子が自暴自棄には到底見えなかった。
「その割に落ち着いているな」
「成算ハナイ。ダガ好機はあルト見テル」
「ほう? それは何故だ」
「手紙をよこシタからダ」
「む……?」
クラスクの言葉に幾人かがすぐに面を上げて反応した。
流石に街の為政を任されている者達と言うべきか、皆理解が早い。
「確かに……手紙って物的証拠になりますもんね。国王様の筆跡とか…」
「魔術で探査することで証拠の補強もできまふね」
「フム……ミエの言う通り証拠になりそうなものをトゥーヴは好んで敵地へと送りたがらぬだろうな」
目を細め呟くキャスの言葉にエモニモが頷く。
「そうですね……例えば伝令兵などで伝えるのみならば証拠は残りませんし、クラスクしちょ…太守が仮に王都で暗殺の憂き目に遭った後向こうが虚偽の罪状などを並べた時、こちらがいくら正規に王都に招かれた主張しても言い逃れることができるでしょう」
「ニャー。伝令兵なら目撃者が出るからニャー。幾ら言いつくろっても悪い噂は広まるニャ。それなら伝令は吟遊詩人とか普通の旅人とかに偽装してクラスクに面会求めて王命を告げて招いた上で謀殺する方がより確実ニャ」
「うわあーりさんわるいひとだ」
エモニモの意見をアーリが補強して、ミエがその悪辣な意見に思わず棒読みツッコミを入れる。
「まあアーリンツ様は悪属性なのですか?」
そこについ反応してしまうのが聖職者のイエタである。
イエタは目を大きく見開いてアーリをまじまじと見つめた後、目の前で呪文の詠唱を始めた。
「〈
「人っ前で堂々と呪文を使うニャァァァァァァァァァァァァァ!!」
「きゃんっ!?」
アーリの叫びに羽毛の生えた耳をぴぴんと立てて驚いたイエタはわたわたとクラスクの椅子の背後に隠れ、その後しばらく汗を飛ばして固まっていたが、その後椅子の角からぴょこっと顔だけ覗かせる。
だが今回の件はイエタの方にも問題がある。
基本的に探知呪文をかける時はその対象たる相手に断るのが礼儀だからだ。
例えば〈
ゆえにそうした呪文を断りなく使用するのは大変失礼に当たる、というのがこの世界の感覚なのだ。
ただイエタの場合長い間教会内部でのみ過ごしており、そうした世間の常識的な部分を学ぶ機会があまりなく、ゆえにたまにこうしたやらかしをしてしまう事があるようだ。
「話を戻しましょう」
「脱線させたのはミエじゃがな」
「それはそうですけど! いったん置いといて! つまり旦那様はこの手紙が国王陛下の興味なり好意なりの表れだと?」
「そうダ。リスクがあっテモあえテ手紙を送っテきタッテ事ハ、つまりこの手紙の主ハお互いの…ナンダ。
「
「それデシタ」
「大喰らい同士で対決してどうするつもりじゃ」
「私はそれはそれで平和的でいいと思うんですけどねー」
クラスクの言い間違えにシャミルが皮肉気にツッコむが、ミエは割と妙案なのでは、などと考えた。
なにせ大食い同士の対決を彼女はかつて見たことがある。
かつて前の世界で視聴していたことがあったからだ。
ゆえにお互いの代表がそういう対決法で雌雄を決するなら血が流れるでもなし、ついでにこの街の名産を向こうに売り込めるし…などと皮算用したが、流石に国家相手だとそうした諧謔は通用しそうにない。
「ともかくその
「なるほど…」
クラスクの言い分を聞いてキャスがフムと熟考する。
王都に伝わっているであろうクラスクの武勇は吟遊新人などが大仰に脚色している分を差し引いたとしても疑いようがない。
地底軍を退け赤竜を退治したのは近隣諸国が認めている事実である。
ゆえにあの聡明な国王であればお互いの領土問題を抜きにしてクラスク個人は評価する、という判断を下してもなんらおかしくはない。
あの秘書官はともかくとして、だ。
吟遊詩人の
またキャスは国王にとってクラスク市はさほど邪魔な存在というわけでもない、と推察していた。
己の国の中に勝手に自由都市を建設されておいて立腹せぬはずがない…との主張はもっともだし、実際表向きの関係は険悪なままだ。
だがアルザス=エルスフィル三世にとって最大の懸念はこれまでオーク族が群がって王国の支配を拒んできた国の南西部に鎮撫を大義名分として南方のバクラダ王国が進軍し、事実上の彼らの自治領にされてしまうことだ。
バクラダ王国の目的はこの国への侵略と併合であり、それならば王国軍を派兵すれば防戦こそするが自ら国の方から仕掛けない限りアルザス王国の支配に乗り出そうとはしないクラスク市の方がまだマシなはずなのだ。
未開拓に近かった南西部の荒野を見る間に肥沃な耕作地へと変貌させ、さらに
何せ元々金も麦も生まぬただの荒野に過ぎなかったのだから。
つまり国王が求めているのは着地点だ。
どうにかしてお互いの妥協点を見つけ出し、この街との問題を速やかに解決して、この街にはそのままここに残ってもらいたいのである。
バクラダからの侵攻を防ぐ、いわば防衛線としての役割を期待されているわけだ。
ただ王国側にとって必要なのは『バクラダに反抗する自国領の都市』、であってそこの太守がクラスクである意味もこの街の住人がオークである必要性もあまりない。
クラスクを討ってこの街に進軍、占領して街の支配を王国側が握るのだって十分取り得る選択肢だし、クラスクが王都に向かうのが絶対安全、といわけではない。
そもそも国王が物的証拠になり得る書簡を寄越す事を秘書官トゥーヴが許諾したのも、多少の不利益はあってもクラスクを王都に呼び寄せたいという必死さの表れであり、クラスクを亡き者にせんと画策しているであろうことはほぼ確実と思われる。
つまり上手くすれば王国との関係を改善しこの街が認められる好機にもなり得るが、同時にいつ襲われ命を奪われるかわからぬ危険な旅路、という事になる。
果たしてクラスクはそこまで理解しているのだろうか…
いずれにせよ彼の瞳には決意の色が滲み、その決心を覆すのは容易ではなさそうだった。
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