第545話 風の噂
はじめて見た美しい服。
自分達が襲撃した相手が纏っていた衣服。
この時彼女が「これからもたくさん襲ってこの奇麗なものを集めよう」といった野蛮な考えではなく、「こんな奇麗なものを作れるなんてこの小人たちはどんな人たちなんだろう」といった好奇心の方を抱いてしまったのは、その若さゆえ浴びている瘴気の量が少なかったせいなのだろうか。
正確なところはわからない。
ただ、その日から彼女の生活は確かに変わった。
巨人族が纏っている獣や家畜などの皮をなめしただけの原始的な布切れ…もはや彼女はそれでは我慢できなくなってしまったのである。
試しに自分でも作ってみた。
思いつく限りのあらゆる方法で服造りにチャレンジしてみた。
だが彼女には巨人族が自分たちの着るものを作るためのごくごく初歩的な知識しかない。
美しい着物を縫製するための発想や着想を得るためのそもそものとっかかり自体がその内にないのである。
頑張っても頑張っても、出来上がるものは皆が着ている服よりは多少マシ程度。
村の者は褒めてくれたがあの時見た服には遠く及ばない。
それならば彼らに作り方を聞いてみようとこっそり一人で村を出て、
だが彼らは自分の姿を見るなり馬に鞭打って大慌てで逃げ出してしまうのだ。
自分には殴る気も殺す気もないのに。
なんで。
最初はその理由がわからなかった。
けれど幾度も幾度もそれは繰り返されて、部屋の隅でうずくまりながら何度も何度も深く悩んで、ようやく気が付いた。
小人たちにとっては自分も他の巨人たちも同じなのだ。
自分達を襲ってきて、なぐって、ころす、怖い怖い巨人にしか見えないのだ。
そんな、ひどい。
一度はそんなことも思った。
けれど果たして自分は小人たちを責められるのだろうか。
ヴィラウアは何かに気づき、部屋の隅で面を上げる。
ずっと彼らを襲ってきたのは自分達ではないか。
自分だとて彼女を見つけるまでは、彼女の服を目にするまでは小人たちの区別などろくについていなかったではないか。
あの日までは自分だとて彼らを襲う事になんの疑問も持っていなかったではないか。
あの日だって村の者が彼らを襲い殺すのを黙って見過ごしていたではないか。
そしてあの日より後…今日この日ですら、村の巨人たちが変わらず小人たちを襲っていることを見過ごし、放置しているではないか。
自分はもう参加していないけれど、自分が手を下しているわけではないけれど、小人たちが襲われることを知っていて看過しているのは間違いない。
そんな自分が言葉も通じないのにのこのこ近づいて、どうして怖がらずにいられるというのだろう。
ヴィラウアは己の顔を覆い深く深く慙愧した。
けれど村の巨人たちは彼女の言う事を聞いてくれない。
襲撃をやめてくれない。
当たり前の話である。
だってそれは彼らの
生きるための糧だ。
それも小人どもが反抗したり徒党を組んで巨人狩りをしてきているわけでもない。
現状上手く行っているのだ。
彼らにとってそれをやめる理由がないのである。
それでもヴィラウアは小人たちに話を聞きたかった。
あの奇麗な服について色々聞きたかった。
もっと見たい。
着たい。
触りたい。
なによりも知りたい。
もっともっと知りたい。
だから彼女は心に決めた。
いっぱい知りたいことがある。
でもそのためには小人たちと仲良くならなくちゃ。
でも仲良くなるならここにいちゃ駄目だ。
襲撃の片棒を担ぐ自分を認めてちゃ駄目だ。
村を出て…でも村を出てどうする?
小人たちの村に行くのか?
それとももっと大きなところ?
聞いたところによれば小人たちがたくさんたくさんたーっくさん住んでいるマチと呼ばれる場所もあるという。
そういうところに行けばもしかしたら親切な小人がいるかもしれない。
でもそれ以外の大半は……自分を危険な敵だと思うだろう。
そしてたくさんたくさん小人がいるところなら、戦う小人もたくさんたくさんいるのだろう。
だからきっと行けば殺される。
怖い。
怖い。
とても怖い。
でもそれでももうここにはいられない。
どうしたらいんだろう。
一体どうしたいいんだろう。
そんな袋小路に追いやられていた彼女は……
風の噂に、とある街の話を聞いた。
× × ×
「フウム、風の噂、か」
そうそう、そうなの! とでも言いたげに興奮気味に同意したヴィラウアは、けれどそのせいでユーアレニルが一瞬やや難しい顔をしていた事に気づかない。
「二、三尋ねたいことがある。その風の噂とは誰から聞いた話だ」
「隣の村の巨人で、昔から仲良かったひと…」
「ふむ、なるほど……?」
その後少しだけ会話を交わし、ユーアレニルは大きく頷いた。
「よかろう。あと試験がひとつだけあるが、こちらはまあ問題あるまい。とりあえずこの隠れ里『ルミクニ』はお主を歓迎しよう」
「おおおおおー!」
ユーアレニルの言葉にこぶしを突き上げて意気軒高となるヴィラウア。
「るみくに、って
「ハハハ違うな。『ルミクニ』はオーク族の言葉で『12』という意味だ。
「おおおおおおおー」
瞳を輝かせて感心するヴィラウア。
この
「くわしい……!」
「まあ仮にも魔導師見習いを名乗っているからな。最低限の勉学はできんと話にならん」
「でもなんで『
巨人語で呟きながら疑問を呈するヴィラウア。
目当ての街に無事たどり着け、街の中とはゆかぬが近くに住むことも許されて、これからの前途が一気に開けたせいでだいぶ気分が高揚しているようだ。
そのせいか色々好奇心旺盛になっているらしい。
なにせ彼女には見るもの聞くもの知らぬものばかりなのだから。
「違う。
ユーアレニルは村から見て城壁が広がる方角の反対側…麦畑と牧草地と根菜の畑が織りなすチェック柄の耕地が一面に広がっている方面を指し示す。
「この村に作物や花や蜂蜜などを納入する『衛星村』と呼ばれる集落が十ある。それぞれオーク語で一から十と呼ばれている村々で、最近開拓されたものだ。さらにそのあたりには元々オーク族の集落があり、その族長がこの街の太守たるクラスク殿に降ったゆえそこが十一番目の村となった」
「おおおおおー」
実際の順序で言うと逆なのだが、面倒なので特に説明しないユーアレニル。
「で、この街が以前竜に襲われた時にな」
「どらごん!!」
びっくりして目を剥くヴィラウア。
巨人族だとてドラゴンの事は知っている。
大きくて硬くて強くて火を吐くごうつくばりの空飛ぶ化物だ。
あんなものに襲われるなんてすごく大変なことではなかろうか。
「そう、赤竜だ。千年近く生きているとーっても強いドラゴンである。まあ色々あって最終的にはこの街の太守殿が討ち取ったのだが…」
「すごい!! すごい!!」
あれを倒す?
それはもうなんかとんでもないことなのでは?
彼女が思い浮かべた竜は辺境にて実際に会ったことのあるものであり、それはまだ百年も生きていない若竜だったため、ここの太守が退治したものよりだいぶ小ぶりで強さも相応なものだったけれど、そんな竜でも巨人族に脅威を抱かせるには十分な強さを誇っていた。
まあなんにせよヴィラウアにも『とてもすごい』という印象だけは伝わったようだ。
「そう、すごいのだ。もしお前が暴れて誰かを傷つけたりしたらたちまち
「こわい!」
ユーアレニルの冗談半分の脅しを真に受けてぶるぶると震えあがるヴィラウア。
「ともかくその時にその竜にあの街を攻めさせぬため、その手前に『誰もいない村』を造ったのだ。その竜の習性を利用して、街が攻められるまでの時間稼ぎをするためにな。その後竜は退治され、襲われた北の村々も復興した。そして形だけ残った無人のこの村がわしらの隠れ里になった、というわけだ。ま、村に歴史ありというやつだな」
「おおおおおおおー!」
そう、彼らが暮らす隠れ里こそかつて赤竜イクスク・ヴェクヲクスの遊興混じりのカウントダウンを利用しクラスク市への襲撃を一回遅らせるために造られた無人の村…
今や『
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