第504話 同じ呪文
竜の身が巻き起こす凄まじい風圧。
襲い来る爪や牙、そして圧倒的リーチと攻撃範囲を誇る尾の一掃。
キャスは腰を上げ自らその風圧に吹き飛ばされた。
彼女の自重ではその風に耐えられないからだが、強風にあおられ吹き飛ばされるのと自ら風に乗って飛ぶのでは余裕がまるで違う。
「〈
壁を眼前に捉えたところで自らの剣に纏っている風を解放し壁面に叩きつけたキャスは、ほぼ無傷で地面へと降り立った。
だがそのせいで竜との距離が一気に開いてしまう。
それに赤竜の攻撃をギリギリのところで逸らし弾いていた風の護りを一時的に失う事となった。
風の力が復帰するまでもう少しかかるだろう。
クラスクはその一連の攻撃を避け切れぬと悟った瞬間無傷でしのぐことを諦めた。
と同時に何を思ったのか自らその巨大な竜尾めがけて地面すれすれの体勢で無理矢理突撃を敢行する。
彼自身巨漢ではあるものの流石に赤竜の尻尾とは質量が違い過ぎる。
軌道上の全てを薙ぎ払い吹き飛ばす竜の尾へと自ら突進するという意外すぎる選択肢のお陰で他の攻撃を軒並み避けられた一方、その尻尾をまともに食らい宙を舞うクラスク。
だがそれは彼の布石だった。
その身に纏う〈
尾が巻いていた。
クラスクが吹き飛ばされる際、全力でその場に留まり支点となることで、彼の立っていた場所から先の竜の尾の薙ぎ払う範囲が変わったのだ。
クラスクより手前は尾全体が攻撃範囲だったのに対し、クラスクが立っていた地点以降は彼が先刻まで立っていた場所より先の、尾の先端だけが薙ぎ払いの範囲となっていた。
これでその尾による薙ぎ払いはコルキには届かない。
彼は自らがまともにその尾の一撃を受ける見返りとして、コルキへの負担を一つ減らしたのだ。
そしてコルキ。
彼は自らに襲い来る幾つもの攻撃の中で最も警戒すべきはその竜の牙による噛みつきだと察していた。
単なるダメージではない。
牙に噛まれればそのまま咥えられてしまう。
つまりダメージと同時に拘束されてしまうわけだ。
さらに竜の首の位置は高い。
首をもたげればコルキは足場を失ってしまう。
それではいくらじたばたもがいても後の祭りだ。
二、三度もぐもぐ咀嚼されるだけでコルキはたちまち絶命してしまうことだろう。
そこにクラスクの雄叫びと尾の挙動の変化が起こった。
それを肌で感じたコルキは、自らの右斜め前方へと駆けてゆく。
二足のキャスやクラスクと違ってコルキは四脚で元から重心が低い。
さらに大型の馬よりさらに巨大なその身体は、風圧による影響を他二人に対しより受けにくかった。
己の頭上から襲い来る攻撃を右に左に避けながら先ほどまでクラスクがいた方向のさらに奥、すなわち竜の身体の真下へと駆けてゆく。
風圧はその羽から発生している。
そして羽は竜の身体の左右から横に出ているものだ。
つまり風に飛ばされぬコルキだけは、竜尾の障害さえなくなればその羽の下を潜り抜け、竜の本体へと肉薄できるのだ。
「がうっ!!」
竜が着地する直前、その丸出しの白い腹。
そこに直下から魔狼の代名詞たる獰猛な牙を突き立てる。
一瞬痛みにその瞳孔を歪める赤竜イクスク・ヴェクヲクス。
物理障壁を突破できぬコルキの攻撃とはいえ、障壁越しになおダメージを受けた。
間違いなく今日の一番の傷である。
だがそれは本題ではない。
宙に浮いたままその竜はぎろりと眼下の連中を見下ろし、その位置を確認した。
そして朗々と己の種の言語に似たその圧縮詠唱を解き放つ。
「「
(~~~~~~!?)
全く同じ詠唱が同時に火口底に響き渡り、赤竜がその瞳孔を驚嘆ゆえ縦に裂いた。
明らかに意表を突かれたのだ。
「「
解呪を上回る膨大な魔力消散の嵐が渦巻く…ことはなかった。
竜の唱えた呪文も、そして対手の魔導師が唱えた呪文も、互いに形になることなく霧散する。
「
竜語で呻くように毒づく。
その竜の殺意の籠った視線の先には…手にした杖を突き出すように前に構え、緊張で真っ青になった魔導師…ネッカの姿があった。
× × ×
「あとは〈
初期の初期、赤竜討伐の日取りが決まった日、アーリとネッカが≪魔具作成(巻物)≫に込める呪文について討議を重ねていた。
魔具作成は確かに金さえかければ幾らでも作る事ができる。
金だけはうなるほどあるこの街には非常に適した強化方法と言えるだろう。
ただし同時に魔具を作成するには時間がかかる。
出発期日が切られた時点でなんでもかんでも作る、というわけにはゆかぬのだ。
「術師二人を拘束するのはリスクが高いからイエタと協力するのは最低限にしたいニャ。〈
「いいと思いまふ。〈
ネッカが作成する巻物の中身をメモしてゆく。
「他には何がありまふか?」
「そだニャー…〈
〈
ただクラスクの武器もキャスの武器も既に魔法の武器であり、そこに働いている補正は同種の『武器強化補正』だ。
同種の補正同士の場合、効果は重複するが累積しない。
つまりより高い方の補正値しか適用されないのである。
ゆえにこの呪文は全く無意味ではないが、通常の武器を魔化するのに比べるとやや効率が悪い。
先刻イエタが補助呪文として〈
通常聖職者が序盤に唱える補助呪文は戦士たちの士気を高め戦意を高揚させる〈
効果が多岐にわたりどんな状況に於いても無駄打ちになりにくいからだ。
だが〈
アーリやイエタ、そしてネッカが方針としてミエの応援を有効な戦術として組み込んだ時点で、イエタはこの戦いに於いて使用する呪文から高揚系の呪文を外さざるを得なくなったわけだ。
「あとは〈
アーリがつらつらと上げてゆく呪文を聞いていたネッカは、最後の呪文を聞いた時思わず噴き出した。
「そんな呪文全員分唱えてたらネッカ噴血して死んじゃうでふ!!」
最後の呪文は非常に強力な個人補助呪文なのだが、いかんせんネッカの実力を超えている。
ただ魔導術には〈
…わけではないのだが当然ながら本来使用できぬ呪文を無理矢理唱える身体的負担は決して少なくなく、人数分それを唱えたらいかなドワーフの肉体でも持たないとネッカは言っているわけだ。
「わかってるニャ。なので最後のはクラスクだけにかけるニャ」
「それならまあ…なんとか」
メモを取りながら、ネッカはアーリが上げた呪文にある共通の特徴がある事に気づく。
「…どれも長時間持つ呪文ばっかりでふね」
「そだニャ」
「何か理由があるんでふか?」
「当然ニャ」
ぱんぱん、と手を二度叩き、アーリは他の打ち合わせをしている円卓一同に声をかける。
「注目! 注目ニャ! 今からちょっと大事な話をするニャ!」
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