第478話 隠し部屋

「ニャ…! 手応えアリ…」


アーリがその指先を動かしながらそう呟くと、彼女の隣にあった壁がいきなり消え、クラスクらをぎょっとさせた。

消えた壁はちょうど人間族の背丈ほどの高さと幅であり、そこに扉があったとすれば確かにぴったりと嵌りそうではある。

ただ突然その壁が消え失せるまで、アーリ以外の誰一人そこがただの壁だと疑っていなかっただけに、その驚きは大きかった。


「扉!? 扉ハ…あルー!?」


クラスクがその開けた空間の前にやってきて押し戸を確認し、急ぎ扉を閉める。

締めた途端に再びその扉の表面に壁の模様が表れて目の前を覆い、完全に先ほどの壁に戻ってしまった。


「壁ー!? …開かナイ!!」

「せっかく開けたのにニャにやってるニャー!」


軽く跳躍してクラスクの後頭部をすかぽんと殴るアーリ。


「まあ〈警報ウクゥク〉があるでニャし触れて発動する罠があるでニャしまた開ければいいだけなんニャけど…(カチャリ」

「スゴイ! 扉消えル! スゴイ!(バタ-ン」

「だからまた閉めんニャー!(スパーン」


興奮したクラスクはアーリが再び隠し扉を開けたそばから再び閉めて彼女にはたかれる。

ただ…先ほどと同様に完全に元に戻ったはずの目の前の壁に、クラスクは少しだけ違和感を覚えた。


「ン……?」


少し考えて己が感じた違和感の正体に気づく。


だ。

ドアノブを掴んだままなのだ。


強く握ったその触覚が薄れながらも消えずに残り、その感覚が目の前の平面であるはずの壁を『嘘だ』と訴えかけているのである。


「……扉見えタ」

「幻覚だからニャー。ほれもう一度開けるからどいとくニャ」


クラスクを脇に追いやって、再び壁際で何かの作業を始めるアーリ。

だがそこに『扉がある』と既に知っている面々は、アーリがやっていること自体は先刻と同じながらも、その意味がはっきりと認識できるようになっていた。

…一人を除いて。


「ドアノブから鍵開けテルのカ」

「正確には魔術の錠でふね。へーあんな小道具で外せるものなんでふね」

「見事な指先ですねえ。模型も上手く作れそうです」

「それダ」


三人がわいわい言い合っている中、唯一先刻同様アーリが何をしているのかさっぱりわからぬシャミルが眉根を寄せて難しい顔で凝視している。


幻術というのはそこに幻があると疑わなければそもそも看破しようと試みること事自体ができないのだけれど、試みる事ができるからと言って誰でも容易に見抜けるというわけでもないのである。

幻術系統の厄介な点と言えるだろう。


「お、見えた…!?」


シャミルがぱああ…と顔を輝かせるが、それは単にアーリが扉を開けたことで幻術が一時的に切れただけであった。

それに気づいたシャミルは面白くなさそうな顔で頬を膨らませ…


「ええいアーリ! もう一度扉を閉めんか!」

「アホかニャー!」


アーリに半ば本気でツッコまれた。



×        ×        ×



「それにしてもよくお気づきになられましたね。全然わかりませんでした」


イエタが心底感心した瞳でアーリを見つめ、彼女に面映ゆそうに頭を掻いた。


「別に大したことじゃないニャ。盗族なら誰でもできることだニャ」

「スゴイナ! 盗族スゴイナ!」


今までほとんど気に留めていなかった職業に興味津々のクラスク。

とはいえアーリの台詞には謙遜混じりの誤謬ごびゅうがある。

確かに盗族は皆彼女と同じようなことを試みる技術を教わってはいる。

だがだからと言って誰もかれもがアーリと同等の技術を有してるわけではない。


「見た目も手触りも完璧に偽装されてたんニャけど音がニャー。扉の凹凸と壁のそれは材質も反響も違うんニャけど、そこまでは偽装されてニャかったからそれで違和感を感じたんだニャ」

「「おおー」」


アーリのそっけない説明にイエタとクラスクが瞳を輝かせ感心する。

二人に褒められ少し調子が上がったのか、アーリがさらに説明を続ける。


「あとはアレニャ。この都市の構造的な話ニャ」

「構造的…ですか?」


イエタのきょとんとした声の問いにアーリがこくんと頷く。


「そうニャ。元々この階層は居住区って話をしたニャ? 居住区だからさっきの通路の先は東西…つまり左右にもっと広がってるわけニャ。でアーリたちが最初に入ったええっと…仮称玉座の間? もそれほどじゃなくても横に広がったニャ?」

「そうですね」

「広かっタ」

「ここは地下都市ニャ。周囲には土がいっぱいニャ。重さやらなんやらでいっぱい圧力がかかってるニャ。それに負けないようにするためには途中を太くしたり細くしたりするのは不合理ニャ。地上の建物ならそういうデザイン重視のがあってもおかしくニャイけどニャ。だから単純に考えてこの通路の左右にはのニャ。だから最初からずっと怪しんでたってわけニャ」

「「おお~~~~!!」」


言われてみればいちいちもっともなことながら、クラスクとイエタは素直に感嘆した。

〈幻術〉は怪しまなければそもそも見破れない。

だがアーリは正しい理屈を以てその壁面をわけだ。


構造上この壁の向こうには部屋があるに違いない。

部屋がある以上出入口があるに違いない。

そしてそれが見当たらぬならどこかに隠されているに違いない、と。


「それはいいとしてお前らー! 止・ま・れニャー!」


クラスクとイエタの二人が背後で感心しているのをよそに、先に隠し部屋へと入った二人の襟首をアーリが引っ掴む。

先ほどから会話に参加していなかった二人…シャミルとネッカは部屋の中を眺めながら瞳をキラキラと輝かせていたのだ。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! 本じゃ! 書物じゃ! この都市の成立時期から考えて古代期の蔵書か! なんと希少な! 素晴らしい! ぐえー!」

「わっふううううううううううううううううう! 古代魔法王国期の本でふ! もしかしたら古代期の魔導書とかあったりしないでふかね!? かね! ぐえー! でふ!」


部屋は個人の書斎、といった感じの比較的こじんまりとしたもので、壁一面本棚が備え付けられており、その隅に読書用か執筆用か机が一台あった。

本棚の本はとてもではないがびっしりとまではゆかず、歯抜けだらけ…というか棚の面積に比して入っている本がだいぶ少ない状態で、あちこち横倒しになったり別の本にもたれかかったりしていたけれど、それでも学者と魔導師の興奮を煽るには十分だったようで、二人はその高揚と熱狂そのままにその書棚へと突撃を敢行しそうになっており、そこにアーリが背後から襟首を掴んだものだから首が締まって派手に咳込んだ。


「うえっふうえっふ! な、なにをするんじゃあ!」

「し、死ぬかと思ったでふー…でふ?」

「ア・ホ・かー!」


文句を喚くシャミルと喉元をさするネッカをそれぞれ己の方に振り向かせたアーリは、そのまま二人の肩を叩き頭上にダブルチョップ、そして頬を小さくはたく。


「落・ち・着・く・ニャ! シャミルはともかくネッカは元冒険者ニャ? こーゆーとこに来たらまずニャにを警戒すべきニャ!!」

「あ……」


アーリに諭されてようやく何かに気づきハッとするネッカ。


「何ガあルンダ? …ウン?」


何があるかわわからぬが、アーリが止める以上この部屋に何かあるのだろう、とクラスクは素直に考えた。


「二人が向かっタ所…確実に見ルモノ…本ニ何かの仕掛け…アーがあルのカ?」

「そーニャ。そのリスクは常に考えニャイとダメダメニャ。オーク族がすぐに気づくのに即引っかかりに行く賢者様はなんなんニャ」

「賢者様ゆーでないわっ! あと市長殿をオーク族とひとまとめにするのは少し卑怯ではないか!?」


種族特性として知性や容姿などがやや低めなオーク族ではあるが、クラスクはその例外である。

出会ったその日から繰り返されてきたミエの≪応援≫によって、彼は既にそこらの人間族よりははるかに賢くなっており、魅力もまた同様だ。

確かに彼をオーク族の基準として判ずるのは少々言葉遊びが過ぎるかもしれない。



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