第377話 いざ学校へ

「やっテルナ」

「クラ様!」

「クラスク市長!」


クラスクが片手を上げながら近づくと、二人は驚き飛び上がって慌てて挨拶した。


「現場の視察でふか?」

「アア。お前も来テタのカ」

「これは…申し訳ございません。来訪の際御挨拶も致しませんで…」


あわあわとネザグエンが謝罪しながらぺこぺこと頭を下げる。

ネザグエンはアルザス王国に仕える正規の魔導師である。

街を訪れたらとりあえず市長に挨拶しに行くのが礼儀というものだろう。


まあ自前の魔術研究室、それも設計段階から携われることなど魔導師にとってみれば他の事が些末に思えるほどに重大な要件なのだから仕方ないのかもしれないが。


「構わナイ。今後も好きにしテくれ」

「いえその、そういうわけには…」


しどろもどろになりながらクラスクを見上げるネザグエン。

人間族の女性としては格段背が低いというわけではないネザグエンだったが、それでもクラスクの姿を見上げざるを得ない。


オーク族というくくりで考えても相当に大きな相手である。

ミエとネッカに案内されて初めて謁見した時はあまりの大きさに目を丸くしたものだ。


ただオーク族でしかもそれほどの巨体を備えているというのに、ネザグエンはその人物からは威容は感じても威圧はさほど感じなかった。

戦時になればまた違うのだろうが、少なくとも粗野ではなく知性と社交に理解あるだというのがすぐに理解できたからだ。


「市長、その方は…」


ふと気づくとクラスクの後をついてきていた女性がクラスクの隣に並んで立っている。

背中の羽から有翼族ユームズのようだ。

その種族性から導き出される解をすぐに察したネザグエンが確認のため問いかける。


「イエタダ」

「はい。お初にお目にかかります。先日よりこちらの街にお世話になっておりますイエタと申します。未熟非才の身ではありますがこの街の複音教会を任されておりますわ」

「まあそうだったのですか。お初にお目にかかります。アルザス王国宮廷魔導師が一人、ネザグエンと申します」

「まあアルザス王国の…」


あら? と少しだけ小首を傾げるイエタ。

確かこの街はアルザス王国と対立関係にあると聞いていたのだけれど、そこの宮廷魔導師がこの街の建物の設計に関与しているというのはどういうことなのだろうか。


「先日から…ということは魔導学院と同様教会も今建設中なんですか?」

「いえ、それが教会はあらかじめ建てられておりまして、わたくしはそちらに案内してもらっただけなのです」

「まあ」


社交辞令を返しつつネザグエンは内心驚嘆していた。

平和裏に街を運営していれば確かにいつか布教目的の聖職者が来てもおかしくない。

だとしても最初からそれを見越して教会の場所を確保し、あらかじめ建造しておくというのは相当な計画性である。


ネザグエンは少しだけ目を細め目の前の娘を観察した。

オーク族と言えば彼らに布教を試みた聖職者が誰一人帰ってこなかったという悪夢で遂に複音教会から布教禁止指定されていたはずである。


そのオーク族が作った街に天翼族ユームズの聖職者がやってきたということはとても大きな意味を持つ。

この街が教会に公的にお墨付きをもらったと言う事だからだ。

そしてそれは同時にこの街を迂闊に攻めると教会から非難を受けかねぬ、と言う事でもある。


魔導学院設立を餌に各国の魔導師達を抱きこもうとした一件といい、この街の為政者はとんでもない政治感覚の持ち主なのではないだろうか。

ネザグエンは改めてその偉丈夫なオークを仰ぎ見た。


「何か問題あルカ」

「いえ、問題という程の事でもないんでふが、スペースの確保が少し課題と言いまふか…」

「少し敷地からはみ出テも構わん。ベランダを増設しタらドうダ」

「「ベランダ!」」


二人は目を丸くして改めて図面を見直す。


「確かに部屋の湿度や温度をそこまで管理する必要はありませんし、広さの確保だけだったらそれでギリギリ…」

「いけまふね!」

「行けそうカ」

「「はい!」」


ネッカとネザグエンの弾んだ声を聴いて満足そうにうなずいたクラスクは二人に手を振って再び歩き出す。

中町の北門を守る衛兵達にやたら畏まられながらも門を抜け、さらに北へ。


彼らが歩く街道の左右には…市場が広がっていた。


その活気ある有様にイエタは思わずその身をうずうずさせた。

人々が明るく楽しくしている光景を眺めるのが大好きだったからだ。

中町の上品な賑わいももちろん好きだけれど、下町のこうした雑多な喧噪もまた彼女の好むところであった。


まさかにオークが治める街でそんなものを拝めるとは思いもしなかったけれど。


「市長!」

「市長様!」

「よう大将!今日はべっぴんさんを連れてるねえ!」


道の左右の店の店主達から次々に声がかかる。

北街道を利用する旅人は少ないため道行く者も含めだいたいが街の住人で、今日はクラスクがお忍びの帽子をかぶっていないこともあって皆遠慮なく声をかけてきた。

クラスクがそれに手を挙げて返し、皆がどっと湧いた。


イエタはその光景にも不思議な感銘を受けた。


為政者として彼が優秀なのは理解できる。

戦時に於いて頼もしい指導者であろうことも。


けれどそれらはでも実現できることだ。

オークらしいやり方で、他種族を統率し、支配する事でも。


だが彼はきっとそうしなかった。

強権や畏怖ではなく融和と好誼を以て他種族と交わったのだ。

その結果がこの街の空気であり、この住民たちの空気なのだろう。



それはとてもとても素晴らしいことだ……イエタはそう思い、改めてクラスクの背を追った。



さて、二人は商店街を抜けさらに少し北へと歩を進める。

そこには中町の雑踏や先ほどの商店街の喧騒に比べるとだいぶ落ち着いた景色が広がっていた。


「のどかな風景ですねえ」

「つまらんカ」

「いえ、こういう景色も好きですよ。空から眺めていると心が落ち着きます」

「そうカ。それならよかっタ」



他三方向の下町と比べるとこの北部は明らかに住宅が少なく、住民も少なく、下町を覆うやや低めの城壁の内側に未だ農地や畜舎が多く残っていた。


下町の北門を抜けた先は開拓地帯を抜ければ基本ずっと荒野なので人通りが少ないのが当たり前と言えば当たり前なのだが、稀に馬車に武器などを山積みした一団が北門を抜けてゆくことがある。

アルザス王国北西にある軍事防衛都市ドルムへと向かう隊商だ。


彼らは一番手近なこの街で干し肉などの日持ちする食料品などを購入していくことも多く、また今後はイエタのお陰で生鮮食品に〈保存ミューセプロトルヴ〉を付与することもできるようになったためさらに調達できる食料の幅が広がった。


そう考えると、どうやらこの街は対立しているアルザス王国の防衛任務にも間接的に役に立っているものらしい。


「見えタ。あれダ」

「まあ…!」


オーク達によって街の北から次々と運び込まれる石材。

それらが積み上げられ、建物の床と壁を形作ってゆく。


そこには教会よりもかなり大きな建物が、現在急ピッチで建造されつつあった。


「これが…学校ですか」

「アア。今お前以外にも先生? を募っテルトこロダ」

「まあ」

「読み書きト算術ハうちの村出身の女なら誰デもデきル。知らない奴もミエとシャミルが教えタからな。タダみんな仕事忙シイ。女デも働けルようにしたせイデ男も女もみんな忙シイ。暇すぎルのもよくなイが多忙すぎるのも考え物ダナ」

「いえ……とても素敵な事だと思います」


イエタは心からそう述べた。


オークは他種族の女を攫って奴隷同然に扱い子を孕ませると聞く。

そして攫われる娘は無学であることが多い。


別にオーク自体は攫う女の貴賤や賢さを気にしたりはしない。

手あたり次第攫って連れて来るのみだ。


ただオーク族が襲うのは近隣の村落で、そうした場所は大概辺境の片田舎だ。

そうした場所の女性は大概農作業に従事するのみで教育を受けていないことが多く、無学な者も少なくない。


無論そうした者達のためにイエタ達天翼族ユームズが布教を担う複音教会ダーク・グファルグフ があるのだが、彼女達とて全ての村に手が回るわけではない。


山奥や森の中の村を見過ごしてしまうこともあれば、村を確認できても領主から許可を得られないこともある。

彼女達天翼族ユームズの教会が青空教室を開くことができなければ、貧しい村の子供たちが教育機会を得ることは難しい。


クラスクの妻ミエは、そうした教育の機会を奪われた娘達に手を差し伸べ、あろうことかオークの村で彼女たちに読み書きを教え算術を身に付けさせたというのである。

それはとてもとても困難なことだったに違いない。


でも…とイエタはふと疑問に思った。





なぜこの二人は、それほどに強く崇高な信念を持つことができたのだろうか、と。





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