第272話 圧縮魔術と展開詠唱
「呪文を…縮める……?」
ほえー、と感心したような顔で呟くミエ。
「はいでふ。魔術行使による魔術方程式の圧縮って概念がちょっと理解しづらいと思いまふが…わかりまふか?」
「めっちゃわかります」
「わかるんでふか!?」
ミエはかつて病床の頃、ベッドの上で表計算ソフトやプログラミングについて学んでいたことがあった。
いつか時代が進み、自宅からでも、ベッドの中からでも仕事ができるような時代が来るかもしれない。
そうした時に自宅でできる仕事と言えば簿記やプログラミングだろうと、彼女なりに本を読んで勉強していたのだ。
…まあその後自分は大人になるまで生きられないと知り、彼女の抱いた夢は結局叶うことはなかったけれど、世界は在宅での仕事に大きく舵を切る事となった。
そういう意味では先見の明と言えなくもない。
ミエはそんな自分の苦い記憶を追憶しながら言葉を選ぶ。
「要は文字列…情報の可逆圧縮ですよね? 辞書式とかハフマン式みたいなこう…複数の圧縮方式を上手く併用して全体の容量を格段に減らす的な…?」
ミエなりの説明を聞いていたネッカがぱあああああ…と顔を輝かせる。
「はいでふ! そうなんでふ! その通りでふ!」
興奮したネッカが驚嘆と尊敬の瞳でミエを見つめ、その両手を掴んでぶんぶんと振った。
「すごいでふ! ミエ様すごいでふ!」
「いやその、半端な知識だし別に褒められるようなものじゃ…」
困ったように苦笑いしながらふと何かを思いつくミエ。
「でも圧縮ってことはそのままじゃ使えないですよね? どこかで解凍や展開してあげないと…」
「そうなんです! まさにそれでふ!!」
「ふぇ!?」
ふんすーと鼻息を荒くしたネッカがぶんぶんと首を縦に振る。
「私が唱えてる呪文は! ミエ様が言ってた同じように聞こえるって部分は! まさにその圧縮した秘紋を解凍展開する詠唱なんでふ!!」
「あー……!!」
長すぎる呪文を圧縮した『秘紋』…その秘紋を使用可能な状態に戻すための展開処理。
それがすなわち魔導師の呪文詠唱の正体ということらしい。
「えーっとでも呪文によっては全然違う詠唱? の時もありますよね? あれもやっぱり解凍してるんです?」
「はいでふ。魔導師の組む魔術式は高度なものになればなるほど詠唱時間が膨大になりまふから、圧縮する術式もより高度で複雑なものになるんでふ。でそれを解凍展開する手順もより複雑になりまふから…」
「あー、それで詠唱が長くなったり?!」
「そうでふ」
「なるほどー…」
ほむほむ、とネッカの説明にそれなりに納得したミエは、せっかくなのでもう一つ気になっていたことを尋ねることにした。
「そういえばなんですけど、ネッカさんが呪文唱えてるときにこう…ネッカさんの周りに光る文字? みたいなのが浮かび上がるじゃないですか。あれってなんなんです?」
「あれが解凍展開された本来の呪文でふね」
「ふぇー…綺麗なものですねえ。あれなんでわざわざ外に出すんです?」
ミエの無邪気な質問に、ネッカは少しだけ困ったように頭を掻いた。
「わざわざというか…出さざるを得ないんでふ」
「と…言うと?」
「さっき言ったように魔導術の詠唱は膨大な量になりまふ。そして高度な呪文になればなるほど加速度的に情報量も増えまふ。なので解凍した呪文をそのまま頭の中で展開させるとその圧倒的情報量に記憶が塗りつぶされたり感情が削られたりとか、場合によっては物理的圧力を伴った情報出量が脳を内部から圧迫してこう…頭がボン! と」
「なにそれこわい」
全く想定していなかった方向性のリスクに真っ青になったミエが涙目でガタガタと震え、すぐ近くにいたコルキにしがみつく。
コルキは大人しく抱き着かれたまま地面に叩きつけるようにばふばふと尻尾を振った。
「大丈夫でふ。学院を卒業した魔導師はみんな検算魔術を使えるので、自分で研究した呪文にそれをかければ展開時に呪文を己の外部に排出するよう公式を組み替えてくれまふ。なので学院に提出されてる魔術は全部安心安全なんでふ」
「なーんだ…よかったあ…」
「ただ学院を落第した術師や独学で魔導術を学んだ人なんかは全部一から自分で組み上げまふので、そうした方が開発した呪文とかは危険かもしれないでふね。あと古代遺跡とかから発見された呪文なんかもちょっと気を付けた方がいいかもでふね」
「きゃあ」
思っていたよりも随分と物騒な話にミエが悲鳴を上げる。
ただ魔術についてこれまで聞いた話の中では一番わかりやすい話でもあった。
魔導術はこの世界の全てを解析・分析して式として組み直すものであり、原理や法則はまるで別物ではあるが感覚的には数学や科学のそれに近い。
ゆえにミエにとって魔導術は直観的に理解しやすかったようだ。
「ありがとうございます。大変勉強になりました」
「こちらこそでふ。すっごく楽しかったでふ」
なんとも嬉しそうにそう語るネッカに、ミエは少しだけ首を傾げる。
「楽しい…ですか?」
「はいでふ! その…こんな風に私の話を聞いてくれる人殆どいなかったでふから」
「そうなんですか? こんなに面白いのに…」
「私の実家は職人一族でふから魔術には拒否感を持ってましたし、学院では私がドワーフだってこともあってどうせ落ちこぼれるとみんなに避けられてた気がしまふ。魔導師になった後もその、みんなあまり話を…」
「はわわ…どうしましょう」
語りながらどんどん消沈してゆくネッカに慌ててきょろきょろと当たりを見回すミエ。
話題、何か話題を変えないと…。
「あそうだネッカさんネッカさん! ええっとこのちっちゃな泥沼! この泥沼魔法で作ったやつなんですよね!?」
「…はいでふ」
「これってその…あとどれくらいもつんですか? こう持続時間的な…」
ミエの脳裏に楽しそうに遊んでいるクルケヴが突如泥が土に戻ってしまったせいで土の中に閉じ込められギャー! とホラーチックな顔で叫ぶ絵面が想像された。
わりとぴんちかもしれない。
「持続時間でふか? …ないでふ」
「ふぇ?」
「この呪文の持続時間はないでふ」
「…………………!?」
ネッカに説明を聞く前に、ミエはすぐにある推論に辿り着く。
「もしかして…持続時間が永続の呪文ってあるんですか!?」
「え……っと」
ネッカはミエの発想に驚いて目を丸くして、その後どう説明したものかと腕を組み首を捻る。
「ええっとでふね…最初に断っておきまふが、この呪文の持続時間は永続とかじゃないでふ」
「違うんですかー…」
ちょっとがっくりして肩を落とすミエ。
「でも持続時間が永続の呪文はありまふ」
「あるんですかー!?」
そしてびっくりして今度はミエが目を丸くした。
「はいでふ。ええっとこの前岩塩鉱床を探しに洞窟に入ったことがあったと思いまふが…」
「はい、ありましたね」
「あの時私が用意した小箱の中に入っていた灯りは〈
「すごいですね?!」
科学技術でも永遠に続く無限機関は開発されていない。
誰でも使える利便性や量産性については科学技術の方が上だけれど、こうした分野に関しては魔術の方が優れているかもしれない、などとミエはふと考えた。
「ただし…持続時間が永続の呪文は永遠に続くとは限らないんでふ」
「ふぇ…? な、なんか矛盾してません?」
ミエの言葉にネッカはふるふると首を振る。
「先程の〈
「ええ…?」
ぽくぽくぽく、とたっぷり三拍ほど考え込んで、ミエが腕組みをしながら首を捻った。
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