第257話 ギスの近況
「ふう…」
馬上で小さくため息を吐く。
ハーフの
帰路に就いていた、ということは当然これまで村の外にいた、ということである。
しかも方向からして西の
これは
森のクラスク村から出て外のクラスク村を作り、拡大と発展を続けている彼らではあったが、そこに住まう女性達は完全に自由を勝ち得たわけではない。
特に森村の娘達…略奪によってこの集落に連れてこられ、村の変革とオーク達の意識改革によって彼らの妻となった者達…は未だに故郷に帰ることを禁じられている。
彼女らに許されているのは二つのクラスク村の間を行き来する事だけなのだ。
だというのに彼女が来た方向は明らかにその二つの村の間ではなく、もっとずっと西の方角である。
これは一体どういうことだろうか。
その理由を知るためには…少しだけ時間を遡る必要がある。
半年ほど前…親友のキャスが村長たるオークと結ばれこの村に残ることとなった。
彼女との友情と、そして善良さが人の皮を被ったような奇妙な娘、ミエに興味を覚えたギスが、この村に留まるため村の若きオーク・イェーヴフをつまみ食いし、彼と婚姻して村に居座ったことは前に述べた。
それからしばらく、ちょうどミエが出産した直後あたり。
ギスはこの村に滞在していたオーク族の老婆、モーズグ・フェスレクに直談判していた。
彼女は
ギスは彼女に取り入って気に入られ、なんと彼女に弟子入りしてしまったのだ。
これには彼女なりの目論見が幾つかあった。
一つ目はクラスク村に於いて替えの利かない立ち位置が欲しかったこと。
この村は現在拡大の一途にあり、正直どこも人手は足りていない。
なのでワイン造りだろうと蜂蜜関連商品の製造だろうと精肉関連だろうと、望めば仕事先は幾らでもあった。
だがそうした仕事では決して手に入らないものがある。
『独自の地位』だ。
有体に言ってクラスク村のオーク達にとって最も大切なのは嫁取りと子作りである。
その子作りに於いて必ず経過しなければならない妊娠と出産…決して衛生的とは言えぬ環境下での分娩は母子双方の命に関わる重大事である。
そこをフォローできる立場になることで、村の中での信望も信頼も得られると考えたのだ。
二つ目はミエの信頼が得られる事。
まじない師モーズグ・フェスレクは他部族のまじない師である。
いちいち向こうの村まで行かねばならないから急に産気づいた時対応できないし、例えば双方の村で出産が控えていた場合相手の村を優先されてしまうだろう。
そもそも彼女に依頼する時には結構な貢ぎ物が必要である。
前回は族長自らの依頼、そして族長夫人の出産と言うかなり特殊なケースだったためわざわざこちらに出向いてもらえたけれど、他の娘の時まで同じように来てくれるとは限らない。
だからもしこの村に専属のまじない産婆がいれば確実に役に立つ。
ギスは
そういった条件が揃っているギスが自らその役に名乗り出ることで、ミエの歓心と信頼を得られると考えたのだ。
当然彼女は大喜びでその選択肢を歓迎し、ギスの両手を取って泣いて感謝した。
ただこれについてはギス本人はほくそ笑んでいたけれど、彼女の目論見が果たされたとは世辞にも言い難かった。
なにせミエは最初からギスを全面的に信頼していたからである。
三つ目、これが彼女にとって最大の目的。
すなわち村の外に出られる権利の獲得である。
この村は遂に森の外に村を作るに至ったけれど、村に住んでいる娘達はそれより外へと出ることを許されてはいない。
なにせ当人の経歴や精神状態を鑑みて、森のクラスク村から外のクラスク村へ行くことを許されていない娘もいるほどなのだ。
自由がないとはいえクラスクとミエの尽力により女性達の村での扱いが格段に良くなったことと、彼女たちの心のケアをミエが欠かさなかったことと、さらに村の生活レベル(特に化粧品の!)が他の街に比べて格段に上昇したことで娘達の不満は少ない。
故郷に帰れないことは辛いだろうけれど、一歩人里を離れればオーク族のような略奪者や危険な怪物が跋扈しているこの世界に於いて、人々の定住志向は根強い。
そもそも女性は婚姻したら夫の住んでいる村に永住することも珍しくなく、行楽や遊興のために旅行をするような需要もまた殆どないのである。
…が、それでもなお己の意志で村の外に出られる、というのは彼女にとって重要だった。
それが『まじない師の修行に行く』、と宣言すればいつでも可能となったのだ。
ギスにとってそれは非常に大きなメリットだった。
この村を助けるにせよ裏切るにせよ、自由に村の外に行き来できるという要素は重要である。
なにせ最悪の場合、危機が迫る村を捨てて一人で逃げ出すことだって可能だなのだから。
(ま、あくまで可能性の話だけれど)
随分と物騒なことを考えている彼女だが、特段この村に恨みや憎しみがあるわけではないし、現時点で裏切る気があるわけではない。
ただ彼女にとって現状そうした気がないことは、今後そうした選択肢を取らない、と言うことを意味しない。
そういう意味に於いて、殆どの娘達がクラスクに感謝しミエを敬慕しているあの村に於いて、彼女はかなり特異な存在と言えるだろう。
「……? どうしたのかしら」
ギスは己の乗っている馬の様子がおかしいことに気づき、その歩みを止める。
エルフ族ならば本来あり得ない言動である。
…エルフの血を引くものであれば動物とその意志を交わすことができる。
ゆえにエルフ族ならここは己の乗馬に対し「どうしたの?」と尋ねるのが普通だ。
相手の気持ちがわかるからである。
だがギスにはそれができぬ。
彼女は
彼らはその時点で獣と意志を交わす力を捨て去ってしまったのだ。
「不安…ともちょっと違うわね。なんなのかしら…」
「きゃーっと・ざ・じゃんぷ」
「…はい?」
…と、唐突に近くの藪を踊り越え、いやそれどころか自分達の頭上すら飛び越えて、巨大な狼が自分達の後方にとすんと着地した。
「ばう! ばうばう! くぅ~ん」
「はいはい。きゃっとじゃなくてうるふですよねー」
「ばう! ばうばう!」
「…ミエ?」
尻尾をぶるんぶるん振っているのは飼い狼のコルキ。
そしてその上に跨っているのは村長夫人のミエである。
「どうしてこんなところに?」
「そうです! そうなんです! ギスさんを探してたんです! というかこのまま
「…私に?」
「はい! えっとですね…ギスさん、青い宝石についてなにか御存じないですか!?」
「…………!!」
普段はとぼけて冷静を装う彼女が、珍しく顔色を変えた。
明らかに何か心当たりのある表情である。
「えっと…」
「その話、どこから?」
ギスの表情は相当に真剣で、ミエも思わず居住まいを正し表情を引き締める。
「その、ネッカさんにこの村が襲われた理由を魔術で調べてもらったらですね、この村にいる褐色の肌の方が持っている青い宝石が原因ではって…」
「なるほど…そういう聞き方ね…」
「?」
ギスの観念したような呟きに不思議そうに首を傾げるミエ。
「…心当たりは、あるわ」
「やっぱり!」
両手を合わせぱああああああ、と顔を輝かせるミエ。
「話を聞きたいのよね?」
「はい! はい! ぜひ!」
身を乗り出すミエの唇に人差し指を当てて…ギスは小声で囁いた。
「話すのはいいけれど…ひとつ条件があるの。聞いてくれるかしら?」
彼女の提示した条件、それは…
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