第184話 あくじょ推参

「ミエさん…でしたっけ?」

「はい! ギスクゥさん!」

「…ギスでいいわ。貴女オーク語が話せるの?」

「ええはい、まあ。多少は」

「どこで覚えたの?」

「あー…すいません。私記憶喪失で…」


ふむ、とギスは少し眉根を顰める。

彼女がオーク族に攫われてからオーク語を学んだとは考えにくい。

オーク族が他種族の言語を話せぬ以上、村に連れ込まれれた時点で周囲とのコミュニケーションは断絶する。

とすれば彼女はオークに嫁ぐ以前、オークの村へ訪れる前に既にオーク語を習っていたことになる。


よりにもよって若い人間族の女性が何の理由でそんなことをしたのかギスには全く理解できなかった。


例えばエルフなり寿命の長い種族が余暇に趣味で言語を学んだとかであればまだ理解できる。

まあそれもオーク語を誰に学ぶのかという問題は残るけれど。


ギスは思慮深い女であり、同時にその出生から相手を簡単に信用しない。

目の前の女は出生不明、経歴不明、さらに自称記憶喪失ときた。

その上なぜか短命の人間族のしかも女性がわざわざオーク語なんぞを学んでいる。

これが怪しくなくて何が怪しいというのだろう。


けれど己と同様に相手を簡単に信用しないはずのキャスは、このミエという娘を全面的に信用しているようだ。


会った事のないタイプの相手にギスは少々困惑したが、気になることがあったので一旦そちらを優先することにした。


「たとえオークでも黒エルフブレイは危険な敵と認識していたと思うのだけれど、何故私は助かったのかしら」

「オーク族にとっては種族より女性の確保が最優先ですから。あとはまあ貴女が弱っていたので毒とさえ封じればどうにかできると思ってたみたいですね」

「ああ、最初縛られていたのはそういう…」


随分と性欲旺盛な種族性だと思うけれど、それで己の身が助かったのであれば文句も言えまい。


ギスは嘆息しながら己の現状を正確に認識した。

要は命は助かりこそしたもののオーク族に囚われ軟禁状態というわけだ。

まあ意識を取り戻してからの数日でだいたいそんなものだろうと当たりはつけていたけれど。


「あのー、それじゃあギスさん。ちょっと申し訳ないんですけど…」

「…なにかしら?」


さてこれからどうしようかと思索に耽りかけたところを邪魔されて、相手から用件を切り出してきたことに内心少し身構えながらも問い返す。

のっけから謝るだなんて一体何を要求してくるつもりだろう。


「ギスさんの身柄…?」

「「はい…?」」


ギスだけでなく隣にいたキャスすらよく意味がわからず、二人で怪訝そうな声を出す。


「ギスさんはこの村の縄張りで彼らが攫ったものですのでオーク族流に考えたら彼らのです。喩えキャスさんのお知り合いであっても他部族の私達にそれをどうこう言う権利はありません」

「…でしょうね」

「ですがオーク流のやり方では病人の扱いも栄養や衛生面でもあまりよろしくありません。なので私達の村が貴女の身柄を買い受けて療養させてもらいます。その…人身売買的な手法になっちゃう点につきましては大変申し訳なく思うのですが…」

「ミエ! そんなことが本当にできるのか…!?」

「はい。たぶん。そのために持ってきた物資なので」


ミエの指している品々は目下村の外で若きオークイェーヴフの指揮の下待機中である。


「なんで…?」


慮外の提案に驚くキャス。

そして理解できず質問を重ねるギス。


ギスにも彼女の言っている意味は分かる。

わかるのだがそれをする理由がわからない。


半分とはいえ自分には黒エルフブレイの血が混じっている。

初対面で信頼されるがない。

その上自分は彼女にとっては赤の他人ではないか。


「なんでと言われましても…キャスさんのお知り合いなんですよね? それ以外の理由って必要なんです?」

「……………っ!!」


きょとんとした顔で聞き返すミエにギスは衝撃を受けた。

魔族の下で生き永らえて、貧民街で生き延びてきた彼女にとって、こんな善意が服を着て歩いているような存在がこの世にいようだなどと夢想だにしなかったのである。


「えーっと…そんなに睨まなくっても…その、条件が良すぎて信用できないならこう考えてください。がおー! わたしはわるいおんなです! キャスさんは有能な方でうちの村のために色々役に立ってくれています! 今後ともキャスさんにお手伝いをお願いしたい私はわるいおんなですので貴女を助けることで彼女に恩を売るつもりなんです! がおー! …とか、だめですかね」


両手を挙げてわたしのかんがえたさいきょうにわるいおんなのポーズを取るミエ。

もっともその姿はギスに「あこの子の頭撫でたい」という感想しか抱かせなかったが。


「…そうね。その考えならまだ納得できるけれど。その悪女像はどうなの」


ギスに言われたミエはみるみると耳先まで赤くなった後両手で顔を覆った。


「うう、すいません。悪女さんがあまりイメージできなくって…」

「さんづけするんだ」


ギスにとどめを刺されてその場にへたり込むミエ。


「…どちらかというとそっちの方が怖いのだけれどね」

「え? 何か言いました?」

「いえ、何も」


この娘はキャスの友人であるという理由だけでこちらを助けようとしている。

間違いなく彼女の内から溢れる純然たる善意から出た行動だろう。



にも拘らず、この娘はその解決策としてあっさりとを選択した。



無論相手はオークであり、人道的な主張など受け入れてくれるとは思わない。

オーク族は女性蔑視と聞くし、泣き落としや説得の類も効かないだろう。

ならば部族同士の取引として適切な対価で『買い取る』のは確かに最もスマートに想える。


けれどそう思えるからと言ってその行動を取れる人間はそう多くはない。

根が善人でお人よしなら猶更である。


にもかかわらず、この娘は情の深さを持ちながら同時に必要ならば人情より合理を選択できるのだ。

なかなかにお目にかかれないタイプの人間と言える。


「…気に入ったわ。御厚意に甘えさせていただこうかしら、悪女さん」

「あうう。傷口に塩を塗り込まないでください~!」

「というかそもそも今の私には断る選択肢はないと思うのだけれど」


ともあれ当人からの承諾は取った。

ミエは埃を叩きながら立ち上がり、キャスの方へと問いかける。


「キャスさんもそれで構わないですか?」

「あ、ああ…すまない、ミエ。本当にすまない…! 恩に着る…!!」

「やめてくださいそんな、私自分にできることしただけで…あー…」

「恩に着せるんじゃなかったの」

「そ、そうでした、がおー!」


ギスのツッコミに気合を入れ直したミエは両手を上に掲げながら小屋の外に出る。

この村の族長ヌヴォリと交渉するつもりのようだ。


たちまち外から流暢なオーク語が聞こえてきた。

並べ立てられいるのような奇怪な会話をギスはまったく理解できなくなったけれど、どうにもミエに優勢な流れに聞こえる。


「本当に…なんでオーク語なんて喋れるのかしら、あの子」

「それは私も疑問なのだが…当人が記憶喪失では理由もわからなくてな」

「ふうん…記憶喪失ねえ」


色々あって気が動転していたキャスも、どうやらだいぶ落ち着いてきたようだ。


「お、どうやら本格的な交渉に入ったようだ。ハハ、ギス、お前酒樽何樽で売られるんだろうな」

「…貴女もオーク語がわかるの?!」


本気で驚いたギスに、キャスが頭を掻きながら答える。


「さっき聞いただろう。私は彼女の村でオーク達の計画に協力している。その際ミエに習ったのだ。まあ彼女に比べたら児戯のようなものだが」

「へえ…!」


簡単そうに言うけれど、新しい言語を覚えるというのは結構な手間だ。

あんな優秀な通訳がいて、なお自ら相手の言語を学ぼうというのなら、キャスの方も相当にそのオーク達に肩入れしている、とういことになる。



王国の正規の騎士団にスカウトされたキャスが、それもエルフの天敵であるオークの村の仕事を、である。



「ふうん…それはちょっと興味出てきたかな…」





ギスは目を細め、小屋の外で巨漢のオークと身振り手振りを交えて話す人間族の娘の背中をじいと見つめた。





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