第45話 熟考の考えなし

「はああああああああああ…」


帰宅して椅子に座り机にごんと頭を落として溜息をつく。


「ドうシタ、ミエ。疲れてルのカ?」

「う~ん疲れているというか…ええ、まあ、ハイ」


机を挟んで向こう側、家で酒を飲んでいたクラスクが尋ね、ミエが力なく答える。

昨日獲れた獲物が十分あり、クラスクとその一派は本日襲撃にも狩りにも行く必要がない。

ゆえに昼間っからこうして酒を飲んでのんびりしているわけだ。


「それはよくナイ。すぐに寝た方ガイイ」

「あ、いえ、今日はすることがあるので…」


村での生活がだいぶ変わった。

直接環境が改善されたわけではないけれど、オーク達に受け入れられ、息苦しさを感じることはなくなった。


けれどそれだけにミエには悩みがあった。

それぞれのオークの家に住んでいるであろう、自分以外の異種族の嫁たちの事である。


彼女たちが夫から家庭内暴力を振るわれ、辛い身の上であることは何となく想像できた。

村内で自分以外の女性をまるで見かけないことから、おそらく逃げられないように拘束されているであろうことも。


(旦那様はそんなことなさらないですけど…きゃっ)


テーブルの向こうのクラスクと目が合い、先日の公衆の面前での告白と抱擁と熱い口づけを思い出してぽっと頬を染め両手で顔を覆いやんやんやん! と首を振るミエ。

妻の奇妙な行動に目を丸くするクラスク。


しばし追憶に飲まれかけていたミエは、やがて違う意味で首を振って強引に己を取り戻す。


無理矢理連れてこられた娘たちをどうにか救うことができないだろうか。

だがオーク族のについては夫から聞いている。

自分たちの種の存亡に関わることだ。彼女たちを故郷に帰すことをオーク達が了承するとは思えない。


なにより彼らのやり方はきっと他種族の恨みを買っている。

迂闊に帰せば村の居場所がばれて救出隊なり討伐軍などが編成されてもおかしくはない。

まあミエはそもそも他種族の軍隊など見たことはないのだけれど、あると考えるのが妥当だろう。


どんな事情があれオークの妻となった身である。

この種族を…というより夫を裏切ることはできない。

ミエはあの日クラスクに襲われていた人達…おそらくはこの世界の人間であろう…を思い浮かべながら、自分が人間族よりオーク族の立場に立ってこの事態を憂慮していることを強く自覚した。


そう、村の娘は迂闊に家に帰せない。

ならばせめてこの村での生活を改善させることはできないだろうか。


だが長いこと同じことを繰り返し、半ば風習と化しているであろうそれを、そう簡単に覆すことができるとは思えない。



(一体、一体どうすればいいんだろう…)



それが彼女の目下の悩みである。


ミエの認識には若干の誤りがある。

オーク族は捕らえた女たちを妻とは認識していないし、扱いは奴隷のというより奴隷だ。

そもそも彼女の夫のクラスクですら当初はその目論見だったのである。

だがこのあたりの溝はミエがクラスクに会って早々情熱的なプロポーズをされた、という根本的な誤解が解けない限り埋まることはないだろう。



「…旦那様?」



ミエがふと思索に疲れて視線を上げると、どうにもクラスクの様子が少しおかしいように感じられて、心配げに声をかける。


「オウ?」


クラスクは何やらぼーっとしており、心ここにあらずと言った面持ちである。

確かにあまり悩むことのないオーク族にしては珍しい佇まいと言えるだろう。


「杯が空になっておりますが…おぎしましょうか? それともおつまみでも作ります?」

「あ、ああ、頼めるカ」

「はい♪」


ミエは陶器の杯に酒(隊商から奪ったもの)を注ぎ、塩漬けにして干した肉を包丁で刻む。

そんな彼女の後姿を眺めながら、クラスクは己の思考を再開させ…


(イイ尻ダナァ…っテ違ウ違ウ!)


…もとい、雑念を振り払ってから再開させた。


クラスクの目下の悩み…それは奇しくもミエと同じこの村の生活環境に関してである。

ただその出発点はミエのそれとはだいぶ異なる。


クラスクは先日の決闘で『』を知った。

もちろん言葉としての好きは以前から知ってはいたが、それは肉や酒に対する好物の意味合いであって、恋愛のそれではなかったのだ。


仲間のオスは「いい奴」「悪い奴」と表現するし、異種族の女は子孫を残す道具程度にしか思っていないオーク族にとって、これまでそうした感情は存在しないか、仮にそうした感情を抱く者がいたとしてもそれをとして表現することができなかった。



けれど彼は知った。

知ってしまった。


その感情を、その言葉を。

その意味を、その蜜を、その素晴らしさを。



そしてそれは…同時に、彼にそれを失うことの恐ろしさも教えたのである。



ミエが自分を好きでいてくれるにはどうしたらいい?

好きなままでいてくれるにはどうしたらいい?

嫌われないためにはなにをしたらいい?



あれこれと考えたとき…決闘の最中にふと浮かんだ考えが頭をよぎった。



この村を…もっと女に住みやすい場所に変えられないだろうか。

この家以外の連中も、自分とミエのような関係が築けないだろうか…と。


それは間違いなくミエも喜ぶことだろう。

クラスクにはそんな確信があった。

ただその実現を考えた時一つ大きな問題がある。



クラスクには…というよりオーク族には、のである。



肢体カラダがどう悦ぶかならわかる。

女の肉体の蹂躙の仕方であれば、オーク族は種族特性のレベルで誰でも知っている。

けれどそれは彼らが一方的に奪い、或いは与えるものだ。


オーク族はを何も知らない。

クラスクでさえ…目の前のミエが何を考えているのかよくわらかないのである。

ましてや他のオークなど話にもならぬだろう。



なにより…

なによりもしそんなことをしようとすれば、きっと「アイツ」が許さない…



「「はぁ…」」



奇しくも声を合わせて溜息をく。

そんな二人の耳に…誰かが何かを叫びながらこけつまろびつどたどたと彼らの家めがけて必死に駆けてくる足音が響いた。




「大変ダ大変ダ大変ダ大変ダ大変ダ兄貴ィィィィィィィィィ!!」




息を切らせて家に飛び込んできたのはクラスクを兄貴分と慕っているやや小太りのオークだった。


「あらワッフさん。いつも亭主がお世話になっております」

「ア、ミエノアネゴ。ドーモドーモ」


ぺこり、と丁寧に辞儀をするミエに恐縮してぺこぺこ頭を下げ返すワッフ。

女にこんな態度を取る雄オークなど他の村ではまず見られない光景だろう。


「…アネゴ?」

「あう。旦那様、その話はまた後で…」

「そうダナ。ワッフ、ドうしタ」


クラスクに顎で促され、ワッフが用件を思い出して再び慌て始めた。


「ソ、ソレガ、ソノ、オラ兄貴ミタイニ強クナリタクッテ、ソノ、兄貴ノ強サッテ、エエット、オラ馬鹿ダカラヨクワカラネンダケド、アネゴノコト大事ニシテルトコナノカナッテ思ッテ…」

「ホウ!」

「はいはい! なるほど?」


たどたどしいワッフの説明にミエとクラスクが派手に喰いつく。

まあ二人の悩みそのものが具現化して葱を背負って家に飛び込んできたようなものなのだ。

しかもその内容がかなり的を得ているのである。


クラスクが、そしてミエがそれぞれ他のオーク達に一体どのようにして広めようかと悩んでいたに、自発的に辿り着いた者がいるかもしれないのである。

気になるのは当然と言えるだろう。


「ダカラ、オラ、兄貴ミタイニナリタクッテ、ソノ…」

「ソノ…ナンダ?」

「つづけてつづけて…?」


わくわく、と続きを促す二人。

そんな彼らに背を押され…ワッフは泣きそうな声でこう叫んだ。




「ウチノムスメノ縄ホドイテ自由ニサセタラ、逃ゲラレタダァ!」

「「雑ゥ!!」」




思わず息の合った突っ込みを入れる二人。







…事態急変、到来である。





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