第66話 蘇る前世の記憶

「さて、いつでも準備はいいぜ」

 太公望が道着に着替える。背中にはやはり《陽》の一文字が入っており、風化の具合からしてかなり年季が入っているように思えた。

「お二人とも、ここに並んで立ってください」

 スープーが審判をしてくれるようだ。一応、そのために気を使っているのか人間になっている。

「……」

 お互いに呼吸を整える。

 武術において呼吸は基本中の基本であり、《氣》や発勁ハッケイも特別な力でも何でもなく正しい呼吸で行う事で発生する力の事だ。当然二人からすれば基本的な事だ。

 アイシャとフェイが固唾をのんで見守る中、スープーが掛け声を発する。

「始めッ!」

熊猫拳シィォンマオチュン!」

 ――取った!

 京の方が早く、熊猫拳による重い一撃を繰り出す。

「ふむ、よく鍛えられている。基本は合格だ」

 太公望は全て受け止めて見せる。封印による空白の時間を感じさせない強さだ。

「なら……」

 京は距離を離し、縮地により距離を一気に詰める手に出る。しかし――、

雀蜂刺突チュエフォンツートゥ!」

 反撃として放たれるのは太公望の突きだった。名前の通りスズメバチを思わせる鋭いもの。

 ――見た事がないッ!

 おそらく太古の極陽拳なのだろう。かわしきれなかった。

「その顔ぶりからして見た事がないようだな? なら俺から盗んで見せろ、それが功夫遣いってモンだ!」

「くッ、早い……!」

 京は太公望の突撃銃を思わせるほどの連撃に怯んでしまう。

「いや、まだ。まだよッ!」

 京は気合を入れ直し、太公望の拳を受け流しつつ、技と技の応酬が続いていたのだが、

「……あ」

「?」

 不意に動きを止めた京を見てアイシャが目を丸くしている。

「降伏してくれ、妲己、紂王。もう兵は戦意を失っている!」

 太公望の声がふいに聞こえた。今より声はずっと高い。若かりし頃のようだ。

「ここまで来てまだ追い詰めるのか……。お前たち周は!」

 太公望の背後には兵士、仙人、絡繰兵が控えている。歴史書通り、その戦況は絶望的だった。

「紂王さ……。いや季子、降伏しよう。太公望の行動はよく知っているはずだ。だから……」

 だが紂王は、頑なに首を横に振り。

「だが負けた民の安全を保障してくれるのか? それに、私は女王として国と民を背負う以上、周の攻勢に屈するわけにはいかない」

 王としての強い矜持が、負け戦続きの紂王を奮い立たせていた。


「ここで太公望を討てば、周は終わる」


 顔を見上げ、太公望を睨む。ここまでくればもはや執念に近いのかもしれないが。

「絡繰兵も故障し、兵の士気も落ちている。どうやって――」

「ある」

 妲己が諫めるのだが、紂王は豪気に笑って頷く、そして拳を握るのだが――。

「死ぬ気か、やめろ!」

 陰の《氣》だった。紂王も銀の水を飲んだが、妲己のように自在に陰の《氣》を操れない。

「私は妲己の望んだ優しい王になってあげられなかった。だから、私の代わりに殷を……ッ!」

「待てッ、死ぬ気か!」

 肩に手を掛けるが、紂王は妲己の手を強引に振り払い、


「陰龍・森羅万象インロン・セルゥォワンッ!」


 紂王の陰の氣がまるで神話に伝えられる龍の形を成し、太公望に襲いかかる。

特殊体質でもない人間が陰の《氣》を体にまとわせて放つという事は命を縮める行為だ、それを奥義という方で最大出力で放つのは自殺行為に近い。

「くッ、死ぬ気なのか……。どうして!」

 黒き龍が太公望を飲み込もうとするのだが――。

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