第175話 新人と先輩

焔泉達が霊穴の対応に向かって二日が経った。


高耶は時折扉を通って出入りする連盟の者たちの対応と、結界の維持だけすれば良かった。


とはいえ連盟の者たちへは、秘書と化した黒艶と完璧なメイドを目指すらしいエリーゼが対応しているため、特にそちらへ手を出す必要もない。


人選も意図があるのか、高耶と仕事をしたことのある顔見知りが多い。知らない者達は若い高耶を見て一瞬眉を潜めるが、高耶の知り合いがきちんと説明しているらしい。申し訳ないと一礼して出て行く。


結界の維持には精神力を使うが、修行だと思えば苦ではないし、寧ろいい機会だと歓迎していた。


祝詞らしきものも気にならなくなり、鈍らないように時折体を動かし、資料の整理に励む。高耶にしては珍しくのんびりした休日のようなものになっていた。


だが、改めて思う。


「やっぱり、引き籠るのって俺には合わないな……」


忙しく日々動き回るのが高耶にとっては普通で、ひと所に居続けるというのは性に合わないというのが分かった。


《主殿には、たまには良いと思うぞ?》

「……あと数日もしたら暴れそうだ」

《他に何か発散できればいいのではないか? 何なら我が手取り足取り、女のアレコレをっ……》

「……」


高耶はあえて反応さえしなかった。いつもの黒艶の病気だ。放っておくに限る。ふざけているだけだ。これが黒艶のストレス発散法なのだろうと随分前から諦めている高耶だ。だが、素早く高耶との間にエリーゼが滑り込んできた。


《ギルティ! ギルティ! これ以上、ご主人に近付くなや》


他人が居ないとエリーゼは本来の口調に変わる。行動もだ。サッカーのゴールキーパーのように腕と足を広げて立つメイドはどうなのか。


《っ、エリーゼ……おぬし、新人が生意気だぞ》

《ご主人への想いの強さに年月は関係あらへんわ!》

《いいや、募らせた想いは強い! そして、先輩の邪魔はするなっ》

「……」


この二人がこうしてじゃれ合うのは珍しくない。煩いというのはあるので止めてほしいとは思うが、これも気分転換には必要なのかもしれない。どこまでも大人な高耶だ。


とはいえ、煩いものは煩い。小さなため息は、綺翔の耳に入った。高耶の足下に寝そべっていた綺翔は、耳をピクピクと動かした後、目をゆっくり開けてのそりと立ち上がった。


そして、まずエリーゼのメイド服の腰の部分を咥えて放り投げる。


《うぎゃっ。な、何すんっ……き、綺翔姉はんのいけず……っ》

《うるさい》


エリーゼはなぜか騎翔には逆らわない。


それから綺翔は黒艶を押し倒して唸り声で威嚇する。


《黒のが後輩……黙る》

《っ……はい……》


黒艶の言葉を借りるならば、黒艶の方が綺翔よりも後輩だ。黒艶は潔く身を引いた。


「はあ……エリーゼ、ここの元の持ち主の楽譜、見せてくれないか?」

《へ? あ、わ、分かりました! お待ち下さい!》


高耶はぐっと椅子に座ったまま背筋と腕を伸ばす。さすがに疲れた。


それから床に置かれている本を指差す。


「黒艶、あの辺のは返して来てくれるか?」

《ま、任せるが良い。ついでに珀豪にお菓子を無心して来よう!》


やはり黒艶も、かなりストレスが溜まっていたようだ。嬉しそうに出かけて行った。


残った綺翔はまた高耶の足元に戻る。


「綺翔、外に行って来てもいいぞ?」

《主様の傍に居る》

「……そうか」


高耶は手を伸ばし、綺翔の頭を優しく撫でた。綺翔が高耶を気遣っているのは分かる。高耶がこの場から動けないのに、自分が息抜きをするのはと考えているのだろう。


「霊穴の方で何かあったら、行ってもらうから、それまで休んでてくれ」

《ん……》


最後にポンポンと叩いて手を離すと、満足げに寝そべった。


《お、お待たせしました……っ》


今の光景を見ていたらしい。少し気まずげに、でも少し羨ましそうに、エリーゼはいくつかのノートを机に置いた。


「ありがとう。見させてもらうな」

《は、はい! あ、ウチっ……私はお食事の用意をして参ります》

「ああ。休憩に来る連盟の人たちの分もまた頼めるか?」

《もちろんです! では、失礼いたします!》


本気でメイドを目指すのだろうかと、内心苦笑しながら、高耶は頷いて見せる。それだけで嬉しそうにキッチンへ早足で消えて行った。


「楽譜……多いな」


五線紙のノートを手元に引き寄せる。何度も開き、使い込まれたノートはシワが寄って酷く柔らかくなっている。


慎重に、大切なものに触れるようにゆっくりとページをめくる。しばらくそれを繰り返す。静かな時間が流れた。


《ご主人さま? お食事の用意が整いました》


相当集中していたのか、エリーゼの声かけで驚いて顔を上げた。


「ん? あ、そうか。ありがとう。集中し過ぎたな……」

《……どうかされましたか?》

「……いや……先ずは食事をしよう」

《はい!》


連盟の者達も、休憩用に庭に張った大きなテントの下でおにぎりを食べていた。高耶が結界を張っていることもあり、エリーゼは家の建物から出られない。玄関口で受け渡しをしている。


それなりに力のある者ならば、エリーゼが家守りだと分かったらしく、彼女と接することのできる幸運に喜んでいる。家守りに世話を焼かれるということはそれだけ珍しく、術者にとっては幸運なことだった。


彼女達を視られることで、少しだけ視る力が安定するのだから、術者達は嬉しいに決まっている。


テーブルを移動しようと立ち上がると、エリーゼが何かを感じて動き出した。何だろうかと思っていれば、玄関先から賑やかな声が聞こえて来る。


「さすがに疲れたわ……こんな働いたんは久し振りやねえ」


焔泉が先頭。その後ろに達喜と距離を空けているが蓮次郎が続き、最後尾に源龍と迅がいた。


「俺らが動く案件なんて少ないしなあ……」

「あなたは特に、雑ですし。色々無駄が多過ぎます。見ているだけでこちらが疲れて迷惑です」

「なんだと。あんたの術はまどろっこしいんだよっ。ガッとやれや」

「その感覚で口にするのやめてくれます? バカが感染る」

「はんっ。そっちの神経質よりは良いだろうがっ」


もういっそ、仲が良いのではないだろうか。


「お疲れ様です」


そう声をかけると、誰もがほっとした表情を見せた。


「高坊こそ、ここの結界は全く揺らいどらんし、疲れとるやろ?」

「いえ。修行の一つだと思ってやっていますから」

「充雪殿。もう少し息抜きの仕方を教えるべきやないかえ?」

《息抜きってアレだろ? 外走ったり、たまに武器の手入れしたりするやつ》


コイツに任せてはいけないと焔泉達が頭を抱えた。


「……榊。あんたの方がまだ年齢近いやろ。ほんと……遊び方教えたりいよ?」

「……はい……」


不憫な子を見るような目で見られた。最近なんだか多い。


「気にしていないんですけどね……」

《ご主人さま。皆さまのお食事のご用意もさせていただいてよろしいでしょうか》

「ん? ああ……昼食予定はありますか? こちらでよければ用意させますが」

「なんや、用意がええねえ。頼みまひょか」

「すぐに」


手を洗ってくるとか、飲み物を先にとかバラバラと動きはじめ、皆が戻ってくる頃には食事の用意が整っていた。テーブルはいくつかあるので分かれて座る。


「すげえ。ホテルのランチみたいだな」

「めちゃくちゃ美味しそうっ」


達喜と迅が目を輝かせていた。他の面々はかなり驚いている。


「あの子、すごい家守り……あれ? もしかして、屋敷精霊? でも、屋敷精霊ならなおのこと、家の所有者の意思にしか従わないはず……高耶君の家ではないんだよね?」


蓮次郎は混乱していた。


「ここに結界を張る関係もあって、彼女とは仮契約を……ん? エリーゼ?」

《はい。お気付きになりましたか。先日、本契約……それも唯一の主人としての誓約もさせていただきました。ご主人さま。最期の時までよろしくお願いいたします》


エリーゼは笑顔で深々と頭を下げた。一瞬何を言われたのか分からなかった。


確かに、本契約は屋敷精霊自身の意志で可能となる。だが、早すぎないだろうか。それも、ここは高耶の所有する家ではない。だからエリーゼは高耶を唯一無二の主人として誓約したらしい。


「いつの間に……綺翔……知って……」

《知ってた……だから新人……黒も先輩》

「……そういう意味で言っていたのか……」


主人である高耶が知らないとはどういうことなのか。勝手に決まってしまっていた。それも、本来ならば家に憑き、その家がある限り存在し続けられるはずなのに、主人との誓約となれば、主人の死と同時に消滅することになる。ただし、主人が側に居れば外への移動は可能だ。


「エリーゼ……お前なあ」

《いいんです。離れないって決めました。必ずお力になります》

「……はあ……いい。今回のことが終わったら、きちんと話そう」

《はい!》


高耶もこう来るとは思わなかった。


「相変わらず。高耶はすげえのな」

「さすがです。素晴らしい」

「高坊。諦めえ。これはもう決定やわ」


エリーゼは、焔泉達にも認められたようなものだとして、うんうんと頷き満足げに高耶の傍に控えたのだった。


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