第44話 盾作り、姫に永遠を誓う
地下牢の最深部に、ひときわ大きな鉄の扉があった。
「ここです」
さきほど警備兵から奪った鍵で、扉についている大きな錠前を外す。
この向こうにリルがいるのだ。
安樹は大急ぎで自分をしばっていた縄を解くと、重い鉄の扉を押し開けた。ギィィという鈍い金属音と共に、扉が開く。
「アンジュ!」
扉が開くが早いか、リルが安樹の胸に飛び込んきた。
「姫様!」
十日しか離れていなかったのに、彼女の声も匂いも全てが無性に懐かしく感じられる。リルは安樹の首にすがりついた。
「アンジュ、遅かったじゃないか。もう苦しくて苦しくて、待ちかねたぞ」
囚われの姫君は、シャンバラ式の豪華な衣装を身につけていた。
白地に金糸銀糸ちりばめた長衣が桃色の大きな帯で結ばれている。髪の毛は結い上げられ、これも金でできた豪華な髪飾りがつけられていた。
「姫様、そのお姿は……」
美しく着飾ったリルの姿に、安樹は声を失くして見入ってしまっていた。
普段のいでたちもそれはそれでよいのだが、正装したリルからは生まれ持った気品や高貴さというものがあふれでていた。
呆然としている男たちの代わりに、イズナが気遣いをみせる。
「どこが苦しいのです? 大丈夫ですか? リルディル様、何かつらい目にあわされましたか?」
「苦しいのはこの服だ。こんなの着てられるかってんだ」
リルの暢気な様子に、安樹はさっきとはまた違う意味で呆気に取られた。
「それでは姫様、その服をお脱ぎになればよろしいんじゃないですか?」
安樹の常識的な提案を聞いて、囚われの姫は烈火のように怒り狂う。
「何言ってるんだ! もうじきおまえが助けに来るだろうから、この姿を一度おまえに見せておこうと思って我慢してたんだぞ! だというのに、脱げばいいとは何だ、このバカものめ! ほら、この私の姿を見て、何か言うことがあるだろう!」
リルは安樹の目の前で、着物の袖をホレホレと振ってみせる。
「……私のために、ありがとうございます」
「それから」
「よくお似合いです」
「それだけか」
「とっても、おきれいです」
この言葉を聞いてリルはやっと機嫌を直し、ニンマリと笑みを浮かべた。
「うむ、まあよしとしよう。たまに私の実力をみせておかないと、おまえはすぐ他の女にデレデレするからな」
「他の女って?」
「あのなまっちろい女王とかだよ。まあ、私は妻として、夫であるオマエのことを全面的に信頼しているから、全く心配はしていないがな。しかし、もしほんのチョットでも他の女と浮気してみろ。○×△を□◎×▲って、×▲□◎に○●×してやるからな」
「それは、本気で夫を信頼している妻の言葉とは思えませんが」
「うるさいな。とにかく、これでおまえも自分がどんなに果報者かわかったことだろう。それじゃあ、とっととこの陰気くさい部屋からぬけ出すぞ」
陰気くさいと言うけれど、彼女の入っている牢はたくさんのランプの灯りで煌々と照らされ、その内装は宮殿を思わせる豪華なものだった。
「なんじゃ、同じ地下牢でも、わしらの入っておったのとはえらい違いじゃな」
田常は、牢を見回してボヤキを入れる。
「じい様が牢に入っていたのはたったの二日だろう。それより聞いているぞ。父様が来るんだってな」
リルは衝立の陰に入ると、着ていた服を勢いよく脱ぎ始めた。
「うむ、国境の砦で両軍がにらみ合っておるようじゃ。明日にも、キヤト族の大将が到着して総攻撃が始まるらしいぞ。戦力は圧倒的にキヤト族のほうが優位じゃが、シャンバラの鉄砲も侮れん。この戦、お嬢ちゃんはどう見る?」
「シャンバラの守備の要はあの鉄砲だ。鉄砲の威力はたしかにすさまじい。でも、あれは一発撃ってから次の攻撃まで時間がかかりすぎるだろ。キヤトの全騎馬隊をイッキに突撃させれば、砦が落ちるのは時間の問題だな。もちろんキヤトにも相当の犠牲が出るだろうけど、キヤト族の軍師は見た目と違って非情なところがあるヤツだ。そのくらいの作戦は平気でやってくる」
田常とリルのやりとりを聞きながら、安樹は迷い村で聞いたシギの話を思い出していた。あの男の話では、シャンバラには秘密兵器があり、それはキヤト族の大軍を撃退するほどの力を持っているらしい。
リルがそのことを知れば、どうするだろうか。
シギはこうも言った。
(赤き狼は、かならず仲間の命を助けようとするだろう)
安樹にも、それは否定できない。であるからこそ、シャンバラの秘密兵器のことをリルに話すのはためらわれた。
「お嬢ちゃんがそう言うのならば間違いあるまい。この城もすぐ戦場になるというわけか。どうやら、さっさと逃げた方が良さそうじゃの。今のうちなら、あの洞窟を通って国の外へ脱けられるじゃろう。城を出たところに馬車を用意させておる。急ぐぞ」
しかし元の軽装に戻って衝立から出てきたリルは、田常の提案をきっぱりと断った。
「いや、私にはやらなければならないことがある。あのバカ親父に言って、この戦をやめさせるんだ。これから、国境の砦を越えて父様のいるキヤト族の本陣まで行くぞ」
「そんな無茶じゃ、砦にはシャンバラのほぼ全軍が集まっておる。砦を越えるのも難儀じゃし、運良くそれができたとしても、その先には更に数百倍のキヤト軍が待ち構えておるぞ」
田常は驚いてリルを諌めようとした。
だが、赤き狼は田常には目もくれなかった。彼女の眼差しは、ただ安樹だけに向けられていた。
「私の人生は殺し合いの連続だった。今更、
リルの眼差しは、洛陽で初めて出会ったときと同じように安樹の胸を貫いた。
(赤き狼は、かならず仲間の命を助けようとする)
たしかにそれはシギの言った通りだ。でも、リルの志は裏切り者の軍師が考えるより遥かに気高いものだった。
「この戦は絶対に止めなくちゃならない。うまく伝えられるかわからないし、私が言って父様が聞いてくれるかもわからないけれど、私は行かなくちゃいけないんだ」
安樹はリルの前にひざまずくと、彼女の手をとった。
命に代えても守ると誓った宝。
一度は失って、またこの手に戻ってきた。
「行きましょう、姫様の行きたいところへ。私が姫様の盾になります」
自分の作った自慢の盾はあっさりと鉄砲に打ち抜かれた。師の作った最強のはずの盾も、弾丸一発を止めるのが精一杯だった。
だが、リルの盾は違う。
自分こそが彼女の盾なのだ。
たとえ破られても、砕かれても、姫様を守り続ける一枚の盾。
「今までも、そしてこれからも、私はずっとあなたの盾であり続けます」
安樹の誓いの言葉は、一点の迷いもなく澄み切っていた。
リルの瞳がいつのまにか涙で潤む。安樹の姫君はその涙を服の袖でゴシゴシとぬぐうと、幼い頃と同じ花のような微笑を満面に浮かべた。
「ありがとう、アンジュ。私はおまえのことが大好きだ。だから、今度私のそばを離れたら、本当に承知しないからな」
「すみません。これからは何があっても姫様を離しません」
「……絶対だぞ」
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