第32話 苦しい勝利
「キサンタ! しっかりせい!」
イセ侍従長は叫びながら、必死でキサンタの腕を引っ張った。
ズボッという音とともに、なんとか部下の腕を引き上げる。
しかし、筋骨隆々としたキサンタの太い腕には肩から先が何も付いていなかった。
「ぬうおおおおおお、化け物めぇ! シズカ様、早く第二射を!」
シャンバラの鉄砲は連射式ではない。
一度銃を撃つと、銃口から火薬と弾丸を詰めなおさなければならない。
再充填が終わり、ようやく第二射目がはじまった。
今度も全弾がカタツムリの体に命中する。
特にシズカ女王の一撃は、頭部に命中し一本の触覚を吹き飛ばしていた。
「やったか!」
しかし、巨大な桃色カタツムリは動きを止めなかった。
怯むことなく、食べ損ねたもう一人の獲物、イセ侍従長めがけて襲い掛かる。
「奴は、不死身なのか?」
シャンバラの兵士たちに動揺が走る。
「うっ、しまった!」
逃げそこねたイセ侍従長は、洞窟のすみに追い詰められてしまった。
「女王陛下、我らの鉄砲が通用しません!」
「一時撤退して援軍を待ちましょう!」
兵士たちは細腕の女王に指示を仰ぐ。
しかし、鉄砲が通用しない相手と戦った経験などないのだろう。即位間もない女王の口からは、言葉にならない音の羅列がこぼれるだけだった。
「あ、あ、あの、えと、その」
――突然、兵士たちの後方から何かが跳ねるように飛び出した。
リルだった。
「おい、コラ化け物! こっち向け!」
巨大カタツムリに駆け寄ると、火のついたたいまつを腹に押し付ける。
じゅっと音がして火が消えたが、開明獣には全くこたえる様子がない。
それでもリルは、火の消えたたいまつでカタツムリを叩き、足で蹴り、怒鳴りつけた。
「おらおら、下等動物の分際で無視するんじゃない! 喰っちまうぞ!」
とうとう開明獣もうっとおしくなって、追い詰めた侍従長よりもうるさいコバエの方を先に始末しようと考えたようだった。
半分に千切れた頭をリルの方にぐるりと向ける。
「ようし! やっと気がついたか低脳野郎、おまえの相手はこの私だ!」
リルは侍従長が逃げる時間を稼ぐために、大きな動きで開明獣を挑発した。
同時に、シズカ女王に活を入れる。
「おい女王! おまえらシャンバラ人というのは物を知らんのか! カタツムリってのは、心臓も肺も大事な部分は全部殻の中にあるんだぞ!」
開明獣がどうかはわからない。
だがリルの言葉通り、普通のカタツムリの内臓は渦巻き状の殻の中に収納されている。
「そ、そんなことは知っています。しかし、わざわざ硬い殻の中を狙わなくとも」
涙目で答えるシズカ女王に、無遠慮な罵声が飛んだ。
「ばぁかたれっ! おまえらの自慢は何でも貫くその鉄砲だろう! 戦う前から逃げているヤツに勝利の女神が微笑むものか!」
リルの言葉に、女王は自分を取り戻した。
「そう、そうですね。――目標変更、化け物の背中の殻を狙います、第三射目、撃て!」
「よしこい、ぶち抜けぇっ!」
リルは得意気に叫ぶ。しかし、彼女の体は兵士たちの鉄砲の射線上にあった。
「姫様、危ない!」
飛び出した安樹があわててリルの頭をおさえる。
三度目の銃声が洞窟に響いた。
それは何重にもこだまとなって繰り返し、やがて洞窟内に静寂が訪れる。
開明獣の動きが止まった。
桃色の殻に数箇所、蜘蛛の巣状のひびが入る。
一瞬の後、その蜘蛛の巣はいっせいに細かい破片となって飛び散った。
殻が割れたところから、紫がかった体液がほとばしる。
開明獣は、轟音とともに地面に横倒しになった。
さらに数回の銃撃のあとで、恐る恐る開明獣に近づいた兵士が化け物の死亡を確認した。
「陛下、カギューの動き、完全に止まっています」
安樹とリルはゆっくりとお互いの体を起こす。
重なり合った二人の上に、開明獣の殻の破片が桃の花びらのように降り積もっていた。
「大丈夫か、……まさか、おまえたちがここまでやってくれるとはな」
兵士たちに体を支えられて、イセ侍従長が近寄ってくる。
「本当にありがとうございました。安樹も、そして、リルも」
シズカ女王も、安樹とリルに近づいて手を差し出した。
安樹が手を出そうとするのを押しのけて、リルが女王の手を握る。
「約束は守ってもらうぞ」
「ええ、そうでしたね」
しかし、シズカ女王の表情は暗かった。
「どうしたんだ、せっかく化け物を退治したって言うのに」
「また一人犠牲を出してしまいました。わらわがもっとしっかりしていれば……」
「いや、シズカ様のせいではありません。手前がついていながらキサンタが……」
落ち込んでいる女王と侍従長を見て、リルが叫んだ。
「『暗黒魔宮、猛毒撒き餌大作戦』大成功! 我らの勝利だ!」
女王はきょとんとした顔でリルをながめている。
リルは女王の両肩をつかんで揺さぶった。
「あのなあ、戦いに犠牲は付き物だぞ。死んだ兵士も生き残った兵士も、命をかけておまえのために戦ってくれたんだ。だから勝ったときは、残ったものみんなで素直にそれを喜べ。こうやって勝ちどきを上げてな。『暗黒魔宮、猛毒撒き餌大作戦』大成功! おまえもやってみろ」
「え、あ、暗黒魔宮、って、一体何なのですか?」
「意味なんて考えてどうする! かっこよければいいんだよ。ほら、しっかり胸を張って。いくぞ、我らの勝利だ!」
その時だった。工房から洞窟奥への入り口をふさいでいた岩がゆっくりと動きはじめた。
奥で何かが桃色に光っている。
兵士たちが叫んだ。
「カギューだ!」
「まだいるのか!」
イセ侍従長の額に汗が浮かんだ。
「忘れていた。カギューはつがいの化け物だ。今倒したのがオスかメスかはわからんが、もう一匹いるはずだった」
安樹は目の前が暗くなる思いだった。
「そんな、一匹だけでもあんなに苦労したのに……」
それにオスとメスがいたのならば、繁殖してその数がどんどん増えていても不思議じゃない。
残りあと一匹とも限らないわけだ。
「うろたえてはいけません。各自、射撃用意! 何匹化け物が出て来ようと同じことです。もう一度、奴らの殻にシャンバラの鉄砲をお見舞いしてやりましょう」
シズカ女王は気丈に兵士たちを鼓舞した。しかし、一度とぎれた緊張の糸を結びなおすのは難しい。洞窟内に兵士の悲痛な叫びがこだました。
「こちらにはもう弾がありません!」
一同は固唾を呑んで、洞窟の奥を凝視した。
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