エピローグ
これで、高校時代からを綴ってきたわたしの話もおしまいである。
当然といえば当然であるが、あの後わたしは二度と代表に呼ばれることはなかった。
振り返れば、その後代表云々といった話だけではなく私生活においても、あえて語るようなことはなにも起こらない実に平凡で退屈な人生だった。
平凡で退屈だけども、でも幸せな人生だった。
ああ、でも一つだけ、語っておいた方がよいものがあるか。
昨日に起きた、特筆とまではいわないもののとりあえず筆に残しておこうかと思うようなことが。
フットサル代表召集を受けてわずか数日で追い出され、それから三十六年と九ヶ月、要するに昨日のことなのであるが、あの時の代表監督である吉田さんから、わたし宛てに手紙が来たのである。
もう八十過ぎの老人のはずであるが、それは達筆な、でも荒っぽい若々しい文字であり文章だった。こんな時代だというのに、手書きだというのが微笑ましい。
つい先日、元代表監督としてテレビ局のインタビューを受けて、一番印象に残った選手としてわたしの名前を挙げたらしいのであるが、ふとわたしがどうしているのかと気になって、住所などを調べて手紙を送ってきたとのこと。
どうやら監督は、追加召集で呼ばれたわたしの素質を見抜いて行く末は日本代表の中心選手として考えていたようなのである。
足りない部分は多いが、殴って蹴って鍛えればすぐに主将として日本を引っ張るような存在にまでなれるのではないか、と。
ただ、あのことがあったせいで周囲の反対を受け、周囲を説得することが出来なかった。
要するに、代表合宿での練習試合でわたしは大暴れをして、
そのことさえなければ、監督はわたしのことを代表の中心選手として招き続けたというのだ。
周囲の反対など押し切って、強引にでも代表召集しておけばよかった、といまだに後悔しているらしい。
わたしなどいなくとも、どのみち女子日本代表はあれからW杯で二連覇したわけだが、わたしがいればもっと後世に繋がる日本の遺産を作り出すことが出来たのではないか、と後悔しているらしい。
そこまで思ってくれたのなら、それは素直に嬉しいが、でもわたしはそうは思わない。
あれでよかったのだ。と思う。
わたしのとった行動、あれはあれで正しかったのだ。
だからこそ、佐治ケ江優が日本を引っ張って、あの奇跡の二連覇に繋がったのだから。
そう。
わたしこそが、あの時のあの選択により、後世に続く強い日本女子代表を作り上げたのだ。
自分の胸の中だけにでもそんな自負を持ち、誇らしげな気分のままにこの筆を置くことにしよう。
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