第126話 天空宮殿(4) 双頭の竜

 閃光の中から、巨大な竜が出現した。


 それが正確にドラゴンであるのかは分からないが、エスペルの知る地球の竜に確かに似ていた。

 つのの生えた凶暴な顔、長い首、長い尻尾、かぎ爪鋭い四つ脚、コウモリのような形の巨大な羽。


 しかも頭の二つある、双頭の竜であった。


 ただしエスペルの知る竜とは違う部分もあった。

 大きな羽はセラフィムらしい、透き通る薄羽だったし、その肌に鱗はなかった。

 肌は人間のように滑らかで、筋肉が隆々としている。

 竜の姿形なのに肉感的。それはどこか生理的嫌悪感を催すものだった。


 色は白と黒。双頭の片方は黒、片方は白い色をしていた。

 黒い方には黒いたてがみがたなびき黒い一本のつのが生え、白い方は金色の鬣とつのだった。


 まるでサタンとルシフェルの髪の色のように。

 サタンルシフェルは、双頭の竜に変身してしまった。


「なに……これ……」


 ライラが震え声を出す。エスペルも緊張の面持ちでその巨大な敵を見据える。


「グオオオオオオオオオオオ!」


 竜が咆哮した。

 するとガラスのドームが真ん中から割れ、開いていく。

 広間は青空の下、上空の冷たい大気に晒された。

 

 竜がその尾を振るった。エスペルとライラは飛翔して避けた。が、尾が振るわれると同時に発生した突風に体を上空まで巻き上げられた。竜もそれを追って上空に舞う。

 天空宮殿を包んでいたはずの結界は解除されていた。

 おそらく、「神」を戦いの巻き添えにしないように、戦いの場所を移動したのだろう。


 空中で対峙する、竜と二人。


 竜の二つの頭は、同時にクワッと口を開け、ブレスを放ってきた。


 黒い方からは黒いブレスが、白い方からは白いブレスが。

 ただの炎でもなくただの風圧でもない。砕いた星々のような無数の煌めきを内包する、幻想的で美しいドラゴンブレス。


 神にあらがう力と言っていたが、その言葉は脅しではないと理解できた。

 神に匹敵する竜のブレス。

 これを一浴びでもしたら、ひとたまりも無いだろう。


 エスペルは腕を突き出し、目の前に巨大な防御壁を展開した。普通の防御球よりずっと強いものだ。

 白と黒の煌めくブレスが、透明な巨大防御壁に遮断される。

 だが竜は諦めることなく、絶え間ないブレスを放ってきた。

 そのうち防御壁の限界に近づき、エスペルの額に汗が滲み出す。


「そっ……そろそろ、弾切れしてくんねえかなあ……!」


 その時。


強化の咒マサラート!」


 ライラが唱えると、エスペルの内部から活力が湧き上がってきた。そして防御壁の厚みがぐんと増した。


「ライラ、強化魔法も持ってんのか!ありがてえ!」


 やがてついに竜のブレスが止んだ。弾切れか、あるいは単に業を煮やしたのか。


 竜はその身でこちらに突進してきた。

 防御壁を乗り越えて上から回り込んで来た巨体が、頭上で回転し、巨大な尻尾がぶんと振るわれた。

 エスペルとライラは飛び退いた。エスペルが叫ぶ。


「すまんライラ、退避しててくれ!できるだけ遠くへ!」


「うっ……。わ、分かったわ、足手まといにはなりたくないからっ!でもあと一回、強化の咒マサラート!」


 ライラはもう一度強化魔法をかけてくれると、心苦しそうな顔をしながら、遠方に飛翔していった。


 竜の白い方の頭が飛び去るライラに向かってブレスを吐きつけようとした。エスペルは剣を掲げてその首に飛びかかる。思い切り斬りつけた。

 さすがに一太刀で切断、とはいかなかったが、肉を切ることはできた。


 白頭は痛がってブレスを止めた。隣の黒頭が、エスペルを喰らおうとその口を開けた。

 エスペルは迫る黒い口を横飛びに避けた。避けた先でまた尻尾が振るわれる。それもすれすれでかわした。


 エスペルは大砲のように空中を飛んで、距離をとった。

 このデカブツの至近距離に居るのは得策ではない。小競り合いなどする気はなかった。


 大技で仕留めねば。


 竜がエスペルを追って来た。


 エスペルは振り向くと、虹色の光をまとう剣を振るった。


斬魂波ザン・セフィロト・ヴァーグ!」


 一振りで、斬魂の衝撃波が竜に向かって放たれる。直撃を受けた竜は苦悶の咆哮を上げ、身をよじった。


 エスペルは自らの周りに防御球を展開させた。超強力な極大以上級の防御球を。

 これで、時間を稼ぐ。


 ここは、上空。

 大気の真ん中。

 この場所で、最大の威力を発揮する魔法は何か。


(アレしかねえ)


 エスペルはこんな状況ではあるが、初めて体感した上空の大気に感銘を受けていた。

 潤す雨、脅かす雷、全てを攫う嵐。この空で生まれるのだ。

 今まで経験した事がないほど強く、大気のエネルギーを感じていた。


 まるで天空神アントゥムのかいなに抱かれているよう。


 エスペルは目を瞑り、手を合わせると詠唱を始めた。それは澄み渡る空ような、美しい声だった。


「——我が呼ばうは天空の神、アントゥム。大地を抱く青きかいなにして、闇なる虚空の高御座たかみくらたる青き球なり」


 エスペルの体が神々しく輝き始める。


「真昼の光源、真夜の光源、雨と風と稲妻、その永遠とわなる円環の支配者よ」


 体勢を立て直した竜が、エスペルの目前までやってきた。

 前足を振り上げ、その鋭利な爪でエスペルの防御球を引っ掻いた。続いて二つの頭で代わる代わる頭突きを食らわせ、太い尻尾で横殴りにする。


 防御球はみしみしと揺らいだ。

 いつ崩壊してもおかしくないように思われた。


 そんな絶体絶命の状況で、エスペルは詠唱を続ける。


大空たいくう彷徨う一切の元素を今ここに集わせ、その威名を邪なる者らに轟かせん……願わくはその邪なる魂にまで、神名しんめいを刻まんことを」


 エスペルは詠唱の最後の一行にセフィロト攻撃の要素を加えた。仮に霊体化していても、決して攻撃を免れることは出来ないように。


 防御球を破壊しようと大暴れする竜の周囲に、暗黒の雲が垂れ込め始めた。

 竜は構わず、かぎ爪を防護球に叩きつける。


 ついに防護球にひびが入った。

 竜が歓喜のような雄叫びをあげ、前足を振り上げた。


 エスペルは凛とした声で術名を唱えた。


「——天罰アトマス

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