第123話 天空宮殿(1) 真の役名

 緑柱石エメラルドのごとき光の柱だった。

 そこに踏み入れれば、もう後戻りはできないだろう。真面目な面持ちでそれを見上げていると、


「カアー!」


 と一声、後ろから聞こえた。振り向くと神殿の床の上、通常サイズに戻ったカア坊がこちらを見ていた。


「俺モ行クゾ!」


 エスペルは笑って首を振った。


「いや、カア坊はここで待ってて欲しい。もし、万が一、俺達が戻らなかったら、カア坊が帝都に戻って、皆に知らせてくれ」


「……分カッタ。デモ、戻ッテ来イヨ!」


「ああ、勿論!」


 エスペルは再び、開かれた転送門に向き合う。

 無意識に深呼吸し息を整えたエスペルの手に、何かが触れた。

 それはちょっとひんやりとした、躊躇いがちな、ライラの手。

 見ればライラは緊張した面持ちで、エスペルを見上げていた。


「手……その……」


 初めて死の霧の中に入った時のことを思い出して、頬が緩んだ。


「繋ぐか、手!」


「うん!」


 そしてその白く綺麗な手を、しっかりと握った。

 二人は手と手を取り合い、緑の光の中に入った。


 入った瞬間、視界が緑一色に染め上げられる。風が体内を吹き抜けていく感覚に思わず目を瞑る。


 目を開けたら宮殿の前にいた。


 転送は一瞬だった。エスペルは虚をつかれたような顔をして、周囲を見回した。上空の冷たい空気が肌を刺す。

 ゴクリと唾を飲み込んだ。間違いなくそこは、天空宮殿を支える、丸い円盤の上だった。


 目の前に、白亜の宮殿。

 絵画や遠目でしか見たことのなかったその真の姿を、初めて目の当たりにした。

 卵のようないくつもの丸屋根、天を衝く塔、窓枠の透し模様の驚くべき繊細さ。全てが壮麗だった。

 おぞましいセラフィム達の城だというのに、天上の建物のように優美。


 後ろを見れば、王国を見下ろす大展望。家々も森も、冗談のように小さく見える。王国のみならず、原野の向こうに横たわる大都市、帝都の影までも望むことができた。


「し、下、こええ……」


「ちょっと、落っこちないでよ!」


 ライラがぶるりと体を震わせ、自身の手で肩をさすった。


「上空だから寒いわね、早く中に入りましょう」


「そんな冬場のカフェみたいなノリで!?」


 二人は宮殿正面の幅の広い階段を昇った。階段は、硬いはずなのにどこか弾力も感じる、不思議な踏み心地だった。やはり地球の鉱物とは何か違うのかもしれない。


 巨大扉の前にまで来る。


 黒くて縦長、縦の部分が異様に高い、不思議な形の扉だった。ちょっと考えて、ああ、と気づく。セラフィムの羽を二枚並べた形なのだろう、と。


 扉に触れようとしたら、内側に勝手に開いた。

 音も立てず、その重そうな巨大扉が目の前で開かれる。


 扉の内側には、ウェーブする長い金髪の女セラフィム……ルシフェルが、深々とこうべを垂れていた。


「お待ちしておりました、シシア」


 そして顔を上げ、エスペルを熱い眼差しで見つめる。その目線にエスペルは冷たいひと睨みで返した。ひどい侮辱を受けた気分だった。実際、ひどい侮辱なのだろう。


「……シシアとはなんだ」


「貴方のことです、シシア。いえ正確には、これから真のシシアとして目覚めるのです」


「俺はお前らの種馬にはならねえ」


 ルシフェルはちょっと驚いた顔を見せた。


「……既に、ご存知とは。さあ中にお入りになって」


「……ああ、入ろう」


 エスペルは侮辱への怒りを込めた表情のまま中に入る。

 半透明の白水晶のような素材でできた城の内部は、まるで氷の城のように幻想的だった。

 高い天井のホールの両脇に、六角形の巨大な柱が並び、足元には色づいた石で緻密に描かれた植物文様が床を這っている。

 凶悪な侵略生物の城のくせに、なんと言う美しさだろう。


 奥に歩みながら、ルシフェルは親しげにライラの背中に手を添えた。


「ライラも、立派に使命を果たしましたね」


 ライラは困惑しながら、


「使命……?」


「あなたの役名はなんですか?」


「警備セラフィムですが……」


「いいえ、それは表向きの偽りの役名。あなたのまことの役名は、受胎セラフィム。あなたは神の受胎を助ける者。種を胎に運ぶ役目を負う者。あなたの半人間としての力はその使命を果たすために授けられたもの」


「な、何を言って……」


「ここまで来るのは、大変だったでしょう?ごめんなさいね、これがおきてなの。シシアは受胎セラフィム、ライラの手によって宮殿へと導かれなければならないと言う掟があるの」


「言ってる意味が全然……」


 エスペルが苦々しげに口を挟んだ。


「聞く耳を持つな、ライラ!下らねえ、聞くに値しない妄言だ。お前はお前で、俺は俺だ!」


ルシフェルはふふと笑った。


「まだ運命を受け入れることができないのね?でも大丈夫、すぐに受け入れられるわ」


 ルシフェルは最奥の壁に手をかざした。

 エスペルに理解できない異言語で呪を唱える。


 壁に扉が出現した。その扉を開けると、星空のような空間が現れた。広さを掴めない暗い空間の中、たくさんの光が宙に浮いて瞬いているのだ。

 星空空間の中心に、上へ昇る螺旋階段がある。


「さあ、こちらへ」


 ルシフェルはその階段を昇っていく。

 星空を上へと歩むように。


「どこへ連れて行く気だ?」


「もちろん、神の元ですよ」


「……分かった。行こう」

 

 不安げに瞳を揺らすライラの肩を軽く抱き、エスペルは上を見据えた。そして階段を昇り始める。

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