第115話 セラフィムの進化論

 神は寝台ですやすやと眠っていた。サタンは傍らでその寝顔をじっと見つめている。

 神の寝室のカーテンをかき分け、ルシフェルが入ってきた。


「神は……寝てらっしゃるのね」


「ああ」


「聞いてサタン、あなたに相談したいことがあるの」


「なんだ?」


 神を見つめたまま、サタンは問う。


「少しまずいことが起きたの。ついにシシアが現れたのだけれど、ミカエルが殺そうと……」


 サタンがルシフェルに振り向いた。その顔色が変る。


「なんだと!?今、シシアが現れたと言ったか!」


 ルシフェルはその心の高揚もあらわに、頬を上気させ饒舌に語り出した。


「ええ、間違いないわ!神域の結界を通過でき、セラフィムと戦うことも可能、セラフィムと同等の力を持つ人間の男よ!彼は今、この神の宮殿を目指している。門を開き神の元まで参じようとしている。受胎セラフィム、ライラの導きによって……!」

 

「……」


 ルシフェルは手と手を絡ませ、唇に添えた。感激にうち震えながら、


「彼こそが、摂理が見つけた地球最高の生命体、神の夫シシア!ライラは私たちに命じられるまでもなく、既に神域外に出てシシアを見つけ連れてきたのよ!素晴らしいわ、全て天界開闢の摂理通りだわ!」


「不要……」


 淀んだ沼のような暗い瞳で、サタンは呟く。


「……え?」


「シシアなど……人間の夫など不要!!」


「な、何を言っているのよ!地球人の夫なくして天界開闢の第四段階……神の受胎は成されないわ!地球人の遺伝子と神の遺伝子からのみ、新生セラフィムは誕生するのよ!」


「神域を汚すいまいましい人間め!私が手ずから浄化してやろう!」


「だめよ!どうしたのサタン、まさか天界開闢の摂理に逆らうというの!?」


「何が摂理だ、そんな歪んだ因果は私が断ち切る!私がシシアを殺し、真の天界開闢を行う!」


「神の夫を殺すですって!?」


「なぜ人間が神の夫に?なぜ我々が、セラフィムが、神と交わることができない!」


「セ、セラフィムが神とですって!?セラフィムの生殖能力は退化してるじゃない!」


「原初の母星では、神は神の夫として選ばれた男セラフィムと交わり、子をなしていた!」


「それは、はるか古代の話よ!今の神はセラフィムの遺伝子を必要としていないわ!」


「くっ……」


ルシフェルの一言に、サタンは拳を握りしめる。


「私たちの遺伝子でどうやってこの惑星、地球を次元上昇できるの?新生セラフィムに必要なのは、地球の全てを刻んだ遺伝子、地球人の遺伝子よ!」


「そんなもの……!」


「地球人の遺伝子を受け継いだ新生セラフィムにしか、地球を次元上昇させることができない!それは神にすら不可能なことなのよ!」


「……」


 サタンは口をつぐむ。


「お願いよ、どうか冷静になって」


「ではなぜ……」


 囁くような声が、サタンの唇から紡がれる。


「え?」


「ではなぜ、天界開闢の第四段階は秘儀とされている?第四段階、神と人間の夫シシアとの交配による、神の受胎。我々至高セラフィムのみが知るこの事実」


「そ、それは……。知る必要のないことだってあるのよ……」


「正しい姿ではないから、他のセラフィムに知らせることができないのだ」


「っ……」


 今度はルシフェルが口をつぐむ番だった。


「何が進化だ!人間の遺伝子を取り込んで次元上昇だと?これがセラフィムの進化だなどと笑わせる!我々は原初の姿に戻らねばならない!」


 ルシフェルは苛立たしげに両手を振った。


「原初のセラフィムに戻るなんて、もう無理よ!私たちは皆、先の天界で、祖先が先住の人間を浄化し次元上昇させたあの星で生まれた。あなたも私も、母なる神と、父なるシシア……人間の間に生まれたじゃない!」


 サタンは目を見開き息を飲んだ。そして威嚇のように怒声を上げる。


「黙れ、言うな!!二度とそのことを口にするな!!」


「サ、サタン……」


「ただ神に精を注ぐためだけに存在し、死してはクローンで蘇り続ける人間の男……。意思も持たず、五感全てが機能せず、抜け殻のようなおぞましい存在……。

あんなものが我らの父だなんて!」


「それがセラフィムの進化の結果なのよ!」


「こんなもの進化ではない!我々はただ退化している!」


「サタン、どうしてもあの人間を殺すというの?」


「では逆に問うぞ。至高セラフィムごときに殺される程度の者が、神の夫としてふさわしいとでも?」


「え……?」


「シシアの条件は、先住の人間の中の頂点たる人間。下界、すなわちこの惑星の最高傑作たる生命体であること。摂理が惑星最高の生命体を見出し、宿命によって神の元へと誘う。そうだな?それ程の存在が、私ごときに殺されるものだろうか?」


 挑発的に問いかけるサタンに、ルシフェルはふるふると手を震わせた。やがて決心したように、


「わ、分かったわ!私は摂理を信じる!」


「ほう?」


「あなたの行動を黙認します。あなたでさえも、摂理の一部、あの人間が真のシシアとなるための試練に違いないわ!」


 サタンはその目を野望に光らせながら、哄笑する。高らかに。


「いいだろう!私とお前どちらが正しいか自ずと明らかになろう!」

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