第85話 屋上
エスペルは自宅アパートの屋上にあがった。
殺風景な屋上の風景の中、木箱の上に探し物を見つける。
木箱にポツンと腰掛ける、小さな羽を生やした少女。
「やっぱここか……。飛び立ってすぐ視界から消えたってことは死角すなわち屋上かもと思ってさ。結構ここ入るの大変だったんだぞ。管理人さん叩き起こして屋上の鍵を借りてさ、理由聞かれたから化け物が侵入してる可能性があるって嘘ついてさ、俺が騎士だから信じてもらえたけど。つーかそろそろこのアパート追い出されそうな気がするな。引っ越すか?」
「……」
ライラは何も言わず、遠くの景色を眺めている。
エスペルはため息交じりに笑うと、木箱の隣、ひんやりした屋上の床に腰を下ろした。
澄んだ青紫色の空を見上げる。東の空に明けの明星が輝いていた。帝都の喧騒はまだ、聞こえてこない。
ほんのりとした肌寒さが、この、夜明け前の清涼さを際立たせているようだった。
「明るくなってきたな。一緒に日の出でも拝むか」
「……」
「何を怒ってる?」
「エスペルは人間を救いたいのよね」
ライラは遠くを見たままで口を開いた。
「ああ、それが俺の使命だと思ってる」
「じゃあ、もし、私を殺さないと人間が絶滅する、って状況になったら、どうする?」
「なんだよそれ、やめてくれよ」
「答えなさいよ」
「なに気ぃ立ってんだぁ?嫌な質問だなー。そういう状況になったら、そうだな」
エスペルは自分の右の立膝に肘をついて、顎をのせる。
「……」
「お前を殺して俺も死ぬ、だな」
ライラが怒った顔でエスペルを振り返った。
「はあ!?なんであなたが死ぬ必要あるのよ!私を殺すだけでいいじゃない!」
「え?怒るのそこかよ!『人間より私を選べ』って怒られて、謝るつもりだったのに。こんな選択でごめんな」
エスペルは心からすまなさそうに、切なげな笑みを浮かべた。
「人間を選ぶのなんて当たり前でしょ!でもその後にあなたが死ぬのはおかしいわ!」
「だってそんな状況に追い込まれたら、死にたくなるだろう?」
「なんで私を殺したくらいで死にたくなるのよ!言ったでしょ、私は誰からも忌み嫌われる、醜い出来損ないだって!」
「ライラは醜い出来損ないなんかじゃない。ただの……」
「ただのなによ……」
エスペルはそこで言い澱み、口元を手で覆って、ためらった。だが決心したように言う。
「ただの、さっ……最高に可愛い、女の子だ……」
「バカ……!あなたって本当にバカ!」
「そんなことねえよ」
そして照れくさくてたまらない、と言った風に頭をかいて笑う。
ライラは泣き出しそうな顔をして唇を噛みしめると、髪をかき上げた。
「なにその笑顔……。お願いだから、そんな風に笑わないでよ、私なんかに……!」
エスペルはライラを穏やかな目で見つめながら、
「なあライラ、お前はきっと疲れてるんだ。とりあえず戻ろうぜ。いつまでも屋上にいたって、なんだろ。あ、日の出だけ拝んだらさ」
「次元上昇」
「!?」
突然、ライラの口から溢れた謎の言葉にエスペルは目を見開いた。
ライラは表情を消し、淡々と次の言葉を紡ぐ。
「セラフィムの目的はね、地球を天界に次元上昇させることなの。今のままでは、セラフィムは地球に住めないから。壊れてしまった天界の代わりに、地球を新たな天界にしようとしているの」
「ラ、ライラ……!」
「神域の形成はね、天界開闢の第一段階に過ぎないの。第六段階で地球は天界になり、地球はセラフィムたちのものになり……人間は、滅びる」
エスペルはごくりと喉を鳴らした。
「滅び……!だっ、第六段階で何が起きる!?」
「何百万という新生セラフィムの誕生。彼らは地球を天界に次元上昇させる力を持っているの。それは神様にも不可能なこと。新生セラフィムだけが持つ能力。彼らは誕生して間も無く、この下界を次元上昇し天界へと生まれ変わらせる」
「次元上昇って何だよ!」
「プラーナがあまねく地を覆い、下界が天界になる……。つまりセラフィムの活動可能領域にね。地球の全ての場所が神域になるって言えば分かりやすいかしら」
「……」
それが意味することに、エスペルは戦慄する。
「そしたらもう、セラフィムは霧の結界の中に閉じこもってないわ。何百万というセラフィムが、赤い霧の中から出てくる」
「くっ……」
「セラフィムはあらゆる場所に散らばって、人間や動物を全て殺して、地球をセラフィムだけの楽園にする。第六段階が成されたら、誰もセラフィムたちを止められない」
「でも、まだ第一段階なんだよな!?頼む教えてくれ、どうやってそれを阻止すればいいんだ!」
「第一段階、神域の形成。第二段階、神の再生。第三段階、神の成熟。秘儀とされている第四段階を経て、第五段階、神の産卵。第六段階、新生セラフィムの誕生」
「神の……」
「セラフィムはね、みんな、生殖能力が退化しているの……。セラフィムを、セラフィムの卵を生めるのは、神様だけ……」
「なに……?」
「もうおしまい。後は自分で考えて」
言って、ライラは木箱から降りてすくと立った。エスペルも立ち上がり、興奮して尋ねる。
「いや、心から礼を言いたい。ありがとう、そこまで話してくれて。なんで急に?」
「なんでかしら……。あ、あのムカつく上官に伝えておいて。『あなたに
「脅し!?」
「大丈夫、もうそれはいいの。それより私ね、どうして自分が矮小羽なのか分かったの。なんで神様が、私に大きい羽をくれなかったのか」
佇むライラの背後で、輝く白い太陽が昇ってきた。静寂を打ち砕くように、まるで轟音を立てて、その輝きは昇る。
「羽が小さい理由?」
朝日の逆光の中、ライラは悲しそうに微笑んだ。
「私はきっと、生まれながらの背信者なのよ」
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