第64話 熱血騎士団長と冷血宰相

 第四騎士団の部屋で、キュディアスはエスペルの両肩をがしりと抱いて、背中をたたき、労いの言葉をかけた。隣にはライラもいた。


「まさか本当にやり遂げるとはな!死の霧の中への潜入成功、敵基地破壊成功、よくやった!」


 エスペルはガタイのいいキュディアスに抱きすくめられて苦しげに、


「お、お褒めいただき光栄です!けど、ちょっと痛っ」

 

「おっと、悪い悪い」


 キュディアスは身を離すと、伏し目がちに深く息をついた。


「正直、もしかしたら戻って来ねえんじゃねえかと気が気じゃなかった。よく戻ってきてくれた」


 その様子は本気の心労をうかがわせた。


「ご心配おかけしました」


 ドンと行って来い、などと言いながら実はこれほど心配してくれていたのだ。エスペルは気恥ずかしげに頭を下げた。


「とりあえず今日は、体を休めてくれ。ライラもな」


 そう言ってキュディアスは二人に微笑みかけた。


「え?ええ……」


 ライラは照れたように髪をかきあげた。

 エスペルとライラは、第四騎士団の部屋を後にした。皇宮の廊下を歩きながらライラが、


「優しい上官ね。あなたって恵まれてるわ」


 エスペルはイヴァルトを思い浮かべながら、頭をかく。


「ま、まあな。っていうかライラの上官あれは異常すぎるぞ?」


「イヴァルト様だけじゃないわ、だいたいあんな感じよ。優しそうな上官って言ったら、職人たちの親方のカサドくらいかしら」


「まあ人間にも怖い上官は……」


「エスペル君!?」


 声をかけられ、前方を見た。


 廊下の向こうから宰相のジールがやってくるところだった。

 ジールは二人の姿を認め、いつものニコニコ笑顔で近づいてきた。ジールの方が背が低いのでエスペルを見上げる形になる。


「聞きましたよ、成功したと!本当に良かった」


「はい、宰相に許可をいただけたおかげです」


 頭を下げるエスペルに、ジールは確認をした。


「職人セラフィムは全部殺せたんですね?」


「……え?」


 出し抜けな質問だった。

 ジールは、おや、という表情で首をかたむける。


「ですから、死霊傀儡を作る能力のある者たちを、全て殺したのですよね?」


 心臓を掴まれるような心地がした。喉が乾く。


「い、いや、一人も殺してません。ただ、全ての材料を破壊したのでもう……」


 ジールの瞳がすっ、と冷たい光を帯びた。

 口元だけは笑顔だったが。


「なんと……。それはそれは……。それじゃあ、意味がないのではないでしょうか?」


「えっ……」


「材料がそれだけという確証はありますか?死霊傀儡の襲来をなくすためには、死霊傀儡を作れる者たちを、皆殺しにするしかないじゃありませんか。あなたはそのつもりで赴いたのではなかったのですか」


 エスペルは焦りながら、


「し、しかし彼ら職人たちは、人を殺したことがない連中で!」


 ジールの口元から、偽の笑顔すら消えた。


「だからなんですか?」


「っ……」


 エスペルが絶句し、ジールが一つため息をついた。


「ひどい理由ですね。全く、ひどい理由です。あなたの目的は、敵の死霊傀儡生産力を無力化すること。この目的の為に全力を尽くしていただきたかったです」


「ご……ご期待に添えず、申し訳……」


「いえいえ、これは私の責任です。出立前に、しっかりと意思伝達すべきでした。まさかこんな当たり前が分からないなんて、思いもよりませんでした。まったく失望しました。いえあなたに失望したのではありませんよ、あなたの愚かさを見抜けなかった私自身に、失望したのです」


「……」


 エスペルは冷水を浴びせられたような顔をして、喉を通る言葉すらなく硬直した。

 ジールはぽん、とエスペルの肩に手を置くと、通り過ぎ去っていった。


 ずっしり体に重りをぶら下げたような面持ちで、エスペルはその場に立ち尽くした。

 ライラがクスッと笑った。


「やっぱり人間も一緒ね。ムカつく上官はどこにでもいるわ」


「う……」


 ライラはおかしそうに、青ざめるエスペルの腕をとって歩き出した。

 エスペルの足取りは重い。


 二人は皇宮の中庭に出た。


 澄んだ池の中で色鮮やかな魚たちが泳いでいた。水面に映る雲の影と蓮の葉のコントラストは清涼かつ幻想的だった。


 ライラは列柱に囲まれた、大理石のベンチに腰掛けて足をぷらぷらさせた。


「私、この庭も好き。この世界にしては、空間が綺麗だもの」


「……」


 エスペルはまだ落ち込んでいる。

 そんなエスペルを横目で見て、ライラが呟いた。


「私もね、本当は驚いてたの。なんであなたは職人たちを殺さなかったんだろう、って」


「そ、そうだったのか?」


 うん、とライラは頷く。


「だってあなた、セラフィムを憎んでいるじゃない。きっと殺したくて仕方ないはずだって思ってたから」


「前は確かに、そんな感じだった。全員、殲滅してやるって思ってた。でもライラと出会って、人間とあんまり変わらない連中なんだって分かったら、なんていうか、冷静になっちまった。今だって憎いし許せないし怒りは絶対に消えない。でも……。だからって無駄な殺しはしたくない、って思うようになっちまった」


 ライラはうつむいて、池の蓮を眺めたまま、しばらくじっと何かを考えていた。

 やがて口を開く。


「……ごめんなさい」


「え!?なにがだ?」


「セラフィムが沢山の人間を殺して、ごめんなさい」


 エスペルははっとした表情でライラを見た。ライラはとても悲しそうだった。

 周囲を見渡すが誰もいない。誰にも聞かれてはいない。


「でも、お前は人を殺してないんだろ」


「たまたまよ。私はたまたま、目覚めの時間が遅かっただけ。もし、皆と同じように目覚めていたら、皆と同じように人間を殺していたわ」


「……」


 もしも、の話。

 この「もしも」は、エスペルがなるべく考えないようにしていた話だった。

 でも、分かっていた話。目をそらしても変えられない事実。


 もしも目覚めの遅れという偶然がなければ、ライラもまた虐殺者だっただろう。


「さっきのムカつく上官が言ったとおり、あなたは確かに甘いのかも。セラフィムの私が言うのもなんだけどね。でも私ね、あなたが職人たちを一人も殺さなかったのを見て、驚いて……分かった」


「何を……?」


「これが、『人間』なんだ、って」


 ライラはベンチから立ち上がると、エスペルの正面に立った。上に手を伸ばし、エスペルの頬を挟む。

 エスペルを見上げるその眼差しは、憧憬の色に染まっていた。尊いものを慈しむように、


「人間、なんて優しい生命体。こんな善良な存在を滅ぼすなんて、セラフィムは本当に、高次生命体なのかしら」


「滅ぼす……?どういう意味だライラ!セラフィムは人間を滅ぼそうとしているのかっ!?」


 ライラは唇をかんだ。エスペルから手を離し、後ずさりすると、無言でぷるぷると首を横に振った。


「だめなのか……。まだ言ってくれないのか、なんでだよ……!なんでそこまでセラフィムに義理立てするんだよ!」


 ライラは苦しげに片手で顔を覆った。


「違う!セラフィムにじゃないわ!セラフィムなんてどうだっていいの!でも、神様だけは……。神様と戦うことだけは、私……」


「神様……」


 エスペルは口をつぐんだ。

 今ようやく、ライラの心の楔になっているものが分かった気がした。

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