第35話 大掃除(3) 裸、ダメ絶対

 二人はそのままテーブルで、ライラは果物を食べ、エスペルは残り物のサンドイッチという粗末な食事で、夕飯とした。


 夜も更けていく。


「そうだこの家で生活するんだから、生活周りもちゃんと説明しておかないとな。さっき全掃除したけど、どの部屋が何する場所か、分かったか?トイレとかシャワー室とか寝室とか……」


 そこで何を思いついたのか、あっ、とエスペルが言葉を切った。顔をあげて真面目な顔で、


「あのさ、セラフィムってうんこは……」


「するわよ。天界でトイレ掃除してたって言ったじゃない」


「そ、そうだったな、そういえば」


「もう、あなたってセラフィムをなんだと思ってるの?」


「神の御使いで高次生命体なんだろ!?」


「そうよ」


「じゃあ、うんこなんて……」


「するわよ」


 表情も変えずに断言するライラ。


「神の御使いで高次生命体なのに!?」


「ええ」


「理解しがたい……のだが……」


「低次生命体が高次生命体のことを理解しようとしても無駄よ」


「了解」


 エスペルは議論を諦めた。

 確かなことは、セラフィムはうんこするということ。


 ……つまり「普通の生き物」である、ということだ。


 科学主義者のエスペルにとって、靄が綺麗に晴れたような、すっきりした感覚があった。

 セラフィムは幽霊でも妖精でも天使でも悪魔でもない。普通の生物なのだ。


 ならば人類にも勝ち目が、ありそうじゃないか。


 今度はライラが、あっ、と何かを思いついた顔をした。


「寝室、ベッドがひとつしかないけど、どうするの?」


「あー。いいよ、ライラが使って。俺はソファで寝るから」


 ライラは困った顔をした。


「えっ……。それはちょっと、悪いわ……」


「気を使わなくてもいいって」


「わ、私が低次生命体の人間に気を使うわけないでしょっ。ただなんか、ええと、嫌なのよ。順番にしましょ」


「いいや、俺はソファに寝る」


「なんで!?」


「騎士だから」


「い、意味が分からなすぎて引くわ……!」


「うーん、今日よく言われるなそれ。そうだ、寝るなら寝巻きいるな」


「ちょっと聞いてる?だから私はベッドじゃなくても」


「まあ、いいっていいって。それよりまさかその格好で寝るわけにもいかないだろ」


 ライラはまだメイドドレスを着ていた。エスペルは立ち上がって、たんすの引き出しを開けると、さきほど古着屋で買ったものをごそごそあさった。


「どれがいいかな、寝巻き寝巻き……」


「ま、そうね、ちょっと胸が苦しいものこの服」


「うん、そんな風に無理に谷間を作る必要はない。谷間なくても寄せないほうが俺は……あ、これがいいかな、これ寝巻きになりそうだ」


 言いながらベージュ色の前ボタンワンピースを取り出し掲げてみる。ワンピースと言っても寸胴でなんの飾りも無いうんとシンプルなもの。


「谷間?」


 エスペルは、はっとした。


「え!?お、俺そんなこと言ってたか今……!?」


「ええ。谷間なくても寄せないほうが」


「わー!わわわ、なんでもない気にするな!これ、どうだ寝巻に!これに着替えて寝たらいい!あとこれ、女物のパンツな。大丈夫これは古着じゃない、城のメイド用の新品備品をもらってきた」


エスペルはテーブルの上に、寝巻きとパンツを置いた。


「分かったわ。これ着て、寝ればいいのね」


 ライラは椅子から立ち上がった。

 そして手を背中にやり、白いエプロンをしゅるりと取った。それから水色のワンピースの、前ボタンを上から外し始める。


「ちょっと待ったあああああああああ!」


 エスペルが叫んだ。ライラがびっくりして目を見開く。


「な、なにようるさいわね、どうしたの?」


「なぜ脱ぐ!?」


「着替えるのよ、寝巻きに」


「なぜここで着替える!?」


「あなたが着替えろって言ったじゃない」


「ここで着替えろとは言ってない!」


「なんでここで着替えちゃ駄目なの?」


「目の前に俺がいるだろう!?」


「なんであなたがいちゃ駄目なの?」


「うぐぐぐぐ」


 エスペルはもうひとつ、ライラに教えなければならない、大事な人間社会のルールがあることに、気がついた。


「それがルールなんだ!人前で無闇に裸になっちゃだめなんだ!『公衆の面前で裸体となること、あるいは局部露出することこれを禁ず』トラエスト帝国憲法九十七条四十五項にそう書いてあるんだよ、法律だ!」


「変な法律……」


 ライラは口をとがらせた。


「ここは混浴文化のセラフィム社会とは違うんだ!」


「人間のお風呂でもみんな裸だったわよ人間が!」


「公衆の面前でも、お風呂はいいんだよ!それにそれ混浴じゃないやつだろ!男と女は別々だろ!」


「もー、ややこしいわね!ていうか今って公衆の面前なの?」


「……。違う、な……」


 エスペルもなんだかややこしくなってきた。帝国憲法とか出さなきゃ良かった気もした。

 なんでこんな簡単なことを教えるのが難しいのだろう。


「一、浴場以外の公共の場で裸にならない!二、男のいるところで裸にならない!」


「法律?」


「一般常識だ!着替えるならあっち!寝室の中入れ!」


「も、もう何よ、うるさいわね!」


 ぷりぷり怒りながら、ライラは寝室に入りドアをばたんとしめた。


「はあーーーーー」


 エスペルはぐったり疲労感を覚える。

 この一般常識だけはなんとしてでも守らせねば。


 今は自分だったからまだ良かったものの、他の男の前で裸にでもなられたら、大変なことだ。


 大変なことだ。


 大事なことなので二回言った。


「水でも飲も……」


 台所に立って水を飲んでいると、かちゃりと寝室のドアが開く音がした。

 エスペルが肩越しに振り返ると、ドアの隙間、寝室の中からライラがこちらを伺っている。

 ドアの隙間から見えるライラの姿は……。

 全身純白美肌な感じで……。


 エスペルはくるっと前に向き直り、台所のシンクに手をつき、がっくりと頭を下げた。

 冷静に、冷静に、と自分に言い聞かせながら、声のトーンを努めて落として、尋ねる。


「だからなんで、全裸で寝室から出てくるんだ……?」


 ちなみにエスペルは何も部位的なのは見てない。うまい具合に奇跡的に大事なところは隠れていた。

 背中から、焦ったようなライラの声が聞こえてきた。


「わ、忘れちゃったのよ、寝巻きとパンツを寝室に持って入るの!」


「……なるほど……。全裸になった後で着る服ないことに気づいたパターンか……。じゃあいったんメイド服着直してから、寝室を出ような」


「い、いやよめんどくさい」


「くっ……」


 エスペルはいま、異文化衝突を体感していた。


「もういい、出て来い。俺はこっち向いてるから」


「ほんと?いいの?出て行っても怒らないのね?法律は大丈夫?」


「早くしてくれ頼む」


「よかった!」


 ドアが大きく開け放たれる音がして、テテテっと小走りの音がして、またドアが閉まる音がした。


 寝巻きとパンツを手に入れることに成功したらしい。


「恐るべし……異文化衝突……民族間の相互理解が進まず世から戦争が絶えないわけだ……」


 世界の理をひとつ知ったような気がした、エスペルだった。


 静かになった居間で、ふーーーー、と深く息を吐きながら、エスペルはソファに横たわった。

 目をつぶるとすぐに眠れてしまいそうだった。

 うつらうつらとしていると……


 がちゃり、とドアの開く音。


「ねえエスペル……」


 エスペルはがばと上体を起こした。

 まだかっ!まだなんかあるのか!


 ライラが前あわせの寸胴なワンピースを着て佇んでいた。なんかどこかの孤児みたいな雰囲気。いやエスペルが買ったのだが。


「どうした?」


 ライラはエスペルに背中を向けて見せた。


「これ、背中開けていい?羽通し。羽が服にあたってチクチクするの。私は羽が小さいから、穴無しの服も着れないこともないんだけど、ちょっと、やっぱり」


「あ……。お、おう。はさみ、とかいるかな?」


「大丈夫、グサッてしちゃうから」


「グサ?」


 ライラは背中に意識を集中させるような素振りをみせた。背中をむずがゆがっているような顔。

 すると背中の服の中で、羽らしきものがぐぐっと布を押し上げた。

 と思うや、グサッ。

 布を突き破って、小さな羽根が二つ、にょきりと出た。


「うおっ」


 なんて簡単な。


「ふー、すっきりした!おやすみなさい」


「お、おう」


 ライラはまた寝室の中に入って行った。

 エスペルもこれでやっと、落ち着いて寝られるようだった。

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