第20話 鏡像劇

 眼下に見える地球、かつて核戦争で醜く焼け爛れていたが、何百年もの時間をかけたテラフォーミングによって青く美しい姿を取り戻しつつある人類の故郷、いつかは帰るべき場所。

「だがこの星は謎の虫に征服されている…」

 この星を、人類の宝を奪回しなければならない、とヤコフ・ミェチェスキー少佐は考える。

「その為に俺に出来る事は1つしか無い」


 もうすぐ作戦開始時間だ、ヤコフは己の分身の待つ格納庫へと歩いて行く。その表情には戦士らしからぬ邪悪な笑みが浮かんでいた。


 そんなヤコフを物陰から見つめる1人の女性がいた。彼の妹のエリカ・ミェチェスカヤ中尉である。


『兄さんは変わった…』


 最近そんな事を考える機会が増えた。文字通り虫も殺せない優しい性格だった兄が『人型飛行戦車』のパイロットに、それも特機の『T-1』に乗るようになってから、虫の殺戮を楽しむ様になった。あんな優しさのかけらも無い、悪魔の様な表情かおを見せる事が増えた。


 実際、時々人間が変わったかの様な反応を見せる事がある。エリカの顔すら判らなくなる時がある。

 それがエリカにはとても不安だった。『いつか完全に兄の性格が変わって、敵味方の区別無く暴れ回る狂戦士となった時に自分は何が出来るだろう?』と考える癖が付いてしまった程だ。


 エリカの操る機体は量産型のT-24だ。部隊では副長的な位置にはいるが、パイロットとしての腕前は平均以下。今日まで生き残ってこれたのは、ひとえに兄の活躍があったからだ。

 その兄が暴走したら? 優しい兄… いや、優しかった兄が私に襲いかかってきたら私はどうすれば良いのだろう? 私に何が出来るだろう?


「どうしました、同志ミェチェスカヤ中尉? 作戦開始時間ですよ?」

 エリカに声を掛けたのはユーリ・ニルカーネン。党中央から派遣されてきた政治将校コミッサールだ。


 エリカはこの男の事が好きでは無かった。常に上から目線で貴族の様に振る舞い、気に入らない事があると党の威光を傘に恫喝する。

 只のお目付け役なのだから後方で待機していれば良い物を、わざわざ前線に出てきて戦闘の真似事をする。

 碌に人型飛行戦車を動かせもしないのに、最新式のT-30に乗ってこれみよがしに自分エリカの前に現れて見せる。


 恐らく彼に性的な関心を持たれているのかも知れないが、こちらにその気がない以上迷惑なだけだ。

「申し訳ありません、すぐに発進いたします」

 敬礼し、エリカは逃げる様にその場を後にした。



「降下と同時に迎撃してくるぞ。油断せずに戦え」

 ヤコフ以下20体の人型飛行戦車が大気圏突入カプセルを用いて降下する。

 母艦は地上では運用出来ないし、またその質量を宇宙に戻す手段が現状は無い。

 仮に虫の巣を見つけても、地表への艦砲射撃は再度の環境破壊を招く為、連合条約で禁止されている。地道に降下作戦を行って橋頭堡を築いていくしか方法はないのだ。


 空の色が変わる、地表が見える。突入カプセルを放棄し自立飛行に移行する。人型飛行戦車の全身の装甲が煌めくように光を帯びる。


 神界から舞い降りた天使の如き美しさを誇る兵器、エリカはこの光が大好きだ。あの光は兵士に鼓舞と癒やしを与えてくれる。

 人型飛行戦車が『輝く騎士スヴィエート・ルィツァーリ』と呼ばれるのは、形而下的な物だけではなくて、古えの宗教的な意味合いを含んでいるのではないか? とエリカは考える。


「虫発見! 既に展開しています!」

 数は18 、こちらが優勢だが敵は強い。先発の部隊によるととても強い個体がいるらしく、撤退を余儀なくされた… いや正確には壊滅寸前で敗走させられたそうだ。


 その対策として今回投入されたのがヤコフのT-1だ。

 人型と言うには些かいびつな体型、広すぎる肩幅と地面にも届きそうな長い腕が特徴の特機。

 2機の幽炉プリヴィディエーニイ・ペェチを積み、通常機の2倍以上のパワーと機動力を誇る。


 ヤコフは射撃武器を使わない。両手に持ったククリナイフと呼ばれる武器によく似た『く』の字型の巨大な鉈を振るって戦うのだ。

 この鉈が虫の体に食い込む感触が何よりも好きなのだ。敵の命を奪う瞬間にこそ己の命を実感できる。


 幽炉の力にあかせた突進から繰り出される斬撃は稲妻の様に疾くて鋭い。

 そんなヤコフにはいつの間にか『雷の如きグローモヴォイミェチェスキー』という二つ名が付けられていた。

「さぁ、狩りの時間だ…」

 狂気の光をその目に宿しながらヤコフは1人呟いた。



 敵は3隊に分かれてこちらを包囲しようと試みる様だ。こちらもT-1を中心に防御陣形を取る。

 やがて両翼から戦端が開かれる。敵の部隊が分散してくれたのならば各個撃破していくだけだ。


「うん? なんだあれ…?」

 虫の陣形の奥に奇妙な個体を発見した。背中から巨大なキノコを生やしたような形をしている。それを2匹の虫が直掩する様に飛んでいた。3つの編隊から外れた場所に位置撮りをしている。


 1機だけなら見落としていたかも知れない。編隊から外れて3機で固まっていてくれたおかげで見つけられたのだろう。


「あれは… 指揮官か…? 虫にも後ろから文句ばかり垂れてる政治将校様が居るのかねぇ?」

 口に出した瞬間にヤコフの疑問は確信に変わった。あれを落とせれば勝利は確実であると。


 まぁまだ狩りは始まったばかりだ。立っているだけの草を刈っても楽しくも何ともない。少しは抵抗して見せてもらわないと面白みが無いではないか。


 虫のうち1匹が突撃してきた。向こうからわざわざまとになりに来てくれたのならば、遠慮無く撃墜させてもらえばいい。酔狂な蛮勇に付き合う必要は無い。


 命令を下し、無謀な突撃を仕掛けた虫に集中攻撃を加える。


 こちらの一斉射撃を受けて蜂の巣になるかと思われた敵だが、見た目以上に重装甲なタイプなのか、殆どの銃弾が弾かれている。そのまま一撃離脱戦法で飛び抜けざまに1機の友軍機が落とされ、戻りながら中央にいるヤコフのT-1目掛けて突っ込んできた。


『抜身のナイフみたいな奴だな… 嫌いじゃないぜ』

 その場に座したままヤコフは思う。ヤコフが動かなかったのは計算だ。敵のナイフの下をすり抜けて頭を殴る、或いは根本から腕を切り落とせばいい。

 ナイフその物を相手にする必要は無い。

 使っている奴をどうにかすればナイフは動かなくなるのだ。


 その抜身のナイフがヤコフの眼前に迫る。

「…では俺のターン、『開放オトクリィバーチ』!」

 T-1の幽炉を開放、急加速でナイフとすれ違い敵陣奥のキノコ付きに狙いを定める。

『狩れ、倒せ、殺せ… 狩れ、倒せ、殺せ…』

 幽炉を開放するといつも聞こえてくる謎の声。最初は不気味だったが聞き慣れてみると意外に心地よい。


 この声に後押しされると『誰にも負けない』という万能感が全身に満ち、敵を屠る高揚感と相俟って物語のヒーローの様な気分になれる。


 こちらも一直線に獲物に向かう。『雷』の二つ名は伊達ではないのだ。幽炉開放で加速化されている鉈で突き刺されてキノコ串になるがいい。


 ヤコフは自信満々で余裕綽々だった。この一撃だけで終わらせるつもりだった。

 しかしキノコ虫はその必殺の(はずの)一撃を避けたのだ。それも大きな回避運動ではなく体を半身ずらしただけの最小限の動きで、だ。


「何っ?!」

 ただの偶然だ。まぐれで回避できたに過ぎない。

 驚いたのはほんの一瞬だけだ。奇跡は何度も起こらない。

 2度、3度、鉈を振るう、当たらない。こちらは加速しているのに当たらない。全て紙一重で外される、いや『見切られている』のだ。


 虫も加速化出来るのは常識だ。しかし目の前のキノコ虫は加速化をしていない。通常機動で『雷』の連撃を回避しているのだ。

『加速化している俺の攻撃を加速化していない虫が避けるだと?! ありえない!』

 更に数度の斬撃を試みるが全て回避された。『雷』のプライドを傷付けられたヤコフの目にはもうキノコ虫しか映っていなかった。


 ロックオン警報アラートが鳴り、その音で我に返る。キノコ虫を救援すべく加速化した2匹の虫が上下から挟撃してくるようだ。

 左にローリングしながら躱す。俺の狩りの邪魔をするな!

『狩れ、倒せ、殺せ… 狩れ、倒せ、殺せ…』

 頭の中に響く声は徐々に大きくなってくる。分かっている、狩ってやる。倒してやるさ。殺してやるとも!


 更にキノコ虫を追う。なぜここまであのキノコ虫に執着するのかヤコフ自身にも分からない。

 ここまで彼のプライドを破壊してきた相手ならば万死に値する。それだけで充分ではないか。

 こちらを追撃してきた2匹の相手は後回しだ。まずは何としてもキノコ虫を撃墜しないとヤコフの気が済まない。


 スイスイと逃げまわるキノコ虫を追う。右に逃げる、右に追う。上に逃げる、上に追う。


 そして上に追っている途中で気が付いた。先程の2匹が再び挟撃せんと待ち構えていたのだ。

 十分に計算しつくされた十字砲火のホットスポットにまんまと誘い込まれてしまった。

 どんなに凄腕のパイロットでも、通常の人型飛行戦車ならここで終わっていただろう。


 しかしヤコフの機体は特機のT-1だ。T-1の特機たる所以、それは『2機の幽炉を積んでいる』事、すなわち、

「もういっちょ、『開放オトクリィバーチ!』」

 T-1の輝きが一層強まり、更なる加速化が発動する。

 十字砲火に晒される前に近くに居た虫を蹴り飛ばし、もう1匹の虫に鉈を薙ぐ。鉈の当たりは少々浅かったが、行動不能にさせるくらいはできたはずだ。


 邪魔が無くなれば心置きなくキノコ狩りが出来る。ヤコフは本来の目標へと機体を向ける。

 2段加速したT-1相手に捉えられない敵は無い。しかし、こいつ1匹に時間を掛け過ぎた。


 味方の状況がどうなっているのかも分からない。まぁ防御戦術の得意なエリカなら十分に持ち堪えてくれているだろう。


 …ん? エリカって誰だっけ…?


 ここで初めて『雷』から繰り出された鉈の攻撃が命中した。

 いや正確には『掠った』だけだ。致命打にはならなかった。ここに来てようやくキノコ虫が加速化したのだ。


 更なる連撃を加える。当たりこそしないが先程までの余裕が見られない。

 敵は本気で回避している、確実に追い詰めているのが分かる。

 次の次あたりにはそのキノコを真っ二つに出来るだろう。確信できる。


「いい加減、墜ちろよ!」

 ヤコフは2本の鉈を横に薙ぎ払う。キノコ虫は後方にけ反るように回避した。なんて往生際の悪い奴だ。


 更に追撃をかけようとしたヤコフの眼前に急に虫が現れた。キノコ虫の下に位置取って、移動したキノコ虫と入れ替わる様に体を挟んでくる。

 完全にキノコ虫の影に隠れており、存在を感知できなかった。虚を突かれて固まるヤコフ。

 間髪入れずに両手から数十発の弾丸を撃ち込んでくる虫。2段加速中であった事が幸いしT-1はその厚いバリアに守られて致命打を受けずに済んだ。


 しかし、ほんの僅かな時間、足を止めてしまった。そこへまた別個体からの銃撃を頭に受ける。遠距離からの狙撃だと?


『痛い、狩れ、倒せ、殺せ… 痛い、狩れ、倒せ、殺せ…』


 頭に響く声が少し変わった。自身の状況を確認すると頭が半分吹き飛んていた。外部カメラアイが損傷し視界が半減している。今日はここまでか……。


 気が付くと周りの味方は当初の半数にまで激減していた。キノコ虫に熱中する余り、部隊の指揮が疎かになっていたのだ。

 いつもはエリカに任せておけば、ヤコフが突出しても部隊は『死なない程度』の損害で抑えていてくれるのだが、どうにも今日は勝手が違ったようだ。

「どいつもこいつも面白くねぇ…」

 ヤコフはひとり呟いた。


 ヤコフは部隊に撤退指示を出し後退をかける。ニルカーネン政治局員殿がなにやらやかましいが話は後だ。


「兄さん、早く!」

 後退する部隊の殿はエリカだ。しかしその声はヤコフには届いていない。

『痛い、逃げろ、狩れ、倒せ、殺せ… 痛い、逃げろ、狩れ、倒せ、殺せ…』

 ヤコフの頭に何者かの声が響く。その声は確実に大きく鮮明に、頭の中を満たしていく。激しく頭が痛む、頭が割れそうだ。


 声が1つ響いて頭に残る度に大切な何かを1つ忘れていく気がする。そんな言葉の奔流にヤコフは苛立ちを募らせる。


 虫達の苛烈な追撃が始まる。このままでは遠からず全滅してしまうだろう。何か手を打たないと…。

「ミェチェスキー少佐! この失態は君の責任だからな! 基地に帰還したら早々に司令本部に報告させて…」

 どこで遊んでいたのか、傷ひとつないT-30がヤコフのT-1に絡んできた。ニルカーネン政治将校だ。


「あ、あの、同志ニルカーネン。撤退中です、お話は後で…」

 エリカが話に割って入る。ニルカーネンも苛立たしげに、

「そうは言いますが同志ミェチェスカヤ、今日の彼は余りにも…」


「ゴチャゴチャうるせーっ!!」


 ヤコフはこのうるさい男が目障りで仕方ない。ただでさえ『狩り』が出来無くて苛々しているのだ。この男が誰だか知らないが・・・・・・・・、邪魔をするならば消えてしまえ。

 そう考えた、いや『思いついた』ヤコフは、大鉈を男の乗るT-30に突き立てた。


 そして女の悲鳴が響いた。


 実際に鉈が突き立っていたのはT-30では無く、エリカの乗るT-24だった。鉈は腹から背中にかけてコクピットを貫通している。体から突き出た刀身に血が付いている。もう万が一にもエリカが生きている可能性は無いだろう。


『あの優男やさおとこを庇って自分が貫かれていては世話がない』

 ヤコフは「フッ」と冷笑してから追い縋る虫達にエリカの乗っていたT-24を投げつけた。

 幽炉融解による虚空ヴォイド現象で何匹か巻き込めれば良し、そうでなくてもこれ以上の追撃は躱せるはずだ。


 エリカの乗機が虚空に消滅し、この戦いは終わりを迎えた。


 どうにか地上の基地に到着する。

 周りは通夜の様にどんよりとした空気に包まれている。無理も無い、虫の攻撃に良いようにやられて一方的に叩かれ大損害を出したのだ。


「ミェチェスキー少佐! なぜ… なぜミェチェスカヤ中尉を殺したのだ?! 君の妹だろう? 今日の君の行為は無様な指揮も含めて全て司令部に報告しておいた。すぐに軍法会議が始まるぞ! 明日の朝日が拝めると思わない事だな!!」


 ニルカーネンの糾弾をヤコフは他人事であるかの様に放心しながら聞いていた。家族である妹を自ら手にかけたらしいのは理解している。


 問題はその妹の名前が思い出せないのだ。あいつの名は『狩れ』だっけ? 『痛い』だっけ…?


 …まぁ、何でもいいかぁ。


 それより飯を食ったら第2ラウンドを始めようと思う。

 しばらく待っていればT-1の頭の傷も勝手に治るだろう。

 あのキノコ虫と遊ぶのは楽しかった。

 次に会ったら輪切りにしてからスープの具にして、魔女の婆さんババ・ヤーガへの捧げ物にしてやる。


 まずは俺の前に立ち塞がる邪魔者を掃除しないとな……。

「俺の声が聞こえるか、T-1? 迎えに来い…」



 その1時間後、ソ大連(ソビエト大連邦)第6前哨基地は狂気の修羅と化したヤコフ・ミェチェスキー少佐の手によって一兵残らず全滅したのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る