第116話 耳テスト

「うむ、では次はこのくらいで」

「はーい」


 マリベルはフェイが魔法で重さを変えているコップを、尻尾で持ち上げる。

 マリベルの尻尾は意思にて動かすことが可能だ。感情と共に無意識に動くこともあるが、基本的に手足のように動かせる。

 直角に曲がるように関節ができていないが、全方位にたいしてゆるやかに曲がるようになっていて、物をつかんだりすることもできる。


「ん、ちょっと、重い、です」

「ではこれでは?」


 一度コップをおろさせ、さらに重さを増やす。マリベルの尻尾は再びコップをつかみ、しかし持ち上がらずに、踏ん張るような姿勢で尻尾の先を震わせる。


「んうっ、む、むりぃ」 

「ではこれでは?」

「んー! これが、全力っ! はあっ、あ!?」


 持ち上がらないコップに、フェイが改めてもう少し軽くしてから挑戦してもらうと、マリベルはお尻ごと振りながらなんとか持ち上げたが、その重さにコップは尻尾からすっぽぬけた。


「わ! とと」


 リナが右手を伸ばしてコップをキャッチする。


「ごめんなさーい」

「大丈夫よ。はい、フェイ。まだやるの?」


 フェイにコップを渡しながら、さらなる実験をするのか確認すると、フェイは首を横に振った。


「いや、もうよいよ。マリベルも疲れたじゃろ。ご苦労じゃったな」

「んー、別にいいですよ。身体検査みたいで面白かったですし」


 ご褒美タイムが始まってからフェイがしたのは、マリベルが想像したのとは全く違った。今までのポイントをためた人たちでは、ひたすら触ったり撫でたり頬擦りしたり最悪舐めたりしようとした。

 しかしフェイが望んだのはどのくらい力があるかとか、どのくらいから音が聞こえるかとか、そんな直接触らないテストばかりだ。触るとしてもほんの僅かのくすぐったいものだった。

 舐めるなんてのは論外としても、撫で撫でされるのが好きなマリベルとしてはむしろ物足りないくらいだ。


「ごめんね、フェイったら変人だから」

「平気ですよ。変態さんって珍しくないですから」

「ところで、もう十分過ぎちゃったけど、私も撫でてもいい?」

「んー、特別ですよ?」


 リナの懇願に、マリベルは右手の人差し指を頬にあてて、少しだけ考えるように首を傾げてから、上目使いでリナに微笑んだ。


「ありがとう!」


 お礼を言ってさっそく撫でつつも、あざといその笑顔には、さすがに自分の可愛さをわかりきってるなぁ、あざとい。と感心するリナだった。


 しかしこれはまた、いい。耳もふにゃっとして暖かくて、産毛のように柔らかな毛並みの手触りのよさはもちろん、髪の毛もとても滑らかだ。

 自分で頭撫で撫でを商品化しているだけあって、きっと大層丁寧に扱っているのだろう。確かにこれは、その筋の人間にはたまらないかも知れない。

 とは言えさすがに今後もお金をつぎ込んでまで触りたいとはならないが、機会があればお願いしたい程度には気持ちいい。


「んー、確かに、気持ちいいわね」

「うーん、エメリナお姉さん、撫でかたが優しくてななかなかいいですよ」

「そう?」

「はい。たまーに、下手くそな人いますから」

「マリベル、わしは? わしはどうじゃった?」

「んー、優しすぎてくすぐったかったです」

「そうか……」


 ともあれ、これでポイントご褒美もおしまいだ。次にまた触ろうと思ったら、一からためないといけない。


「ではお二人とも、またのご利用をお待ちしてるのですよ!」


 マリベルはにっこり笑顔でそう言いながら、部屋を出ていった。


「ふーむ、しかし面白かったのぅ」

「ん? 何が?」


 マリベルに手を降って見送り、何気なくベッドへ腰を下ろすフェイの言葉に、リナは首を傾げながらその隣に座る。

 撫でることは楽しかったが、フェイは単に撫でたのではなく、それこそ計測のようなことを真剣な顔でしていた。そのさまは端からみて面白くはあったが、フェイ自信は真面目だったが、面白かったのだろうか。


「尻尾じゃよ。だいたい3キロが限界とはの。ふわふわ揺れてるのしか見ておらんかったが、予想以上に動くし、持てたの。あれなら盆の一つももって、給仕の一つもできそうじゃがの。何故使わんのじゃろ?」

「んー? そりゃあだって、指一本しかないみたいなものなんだから、不安定だし危ないじゃない」

「そんなもんかのぅ」

「いやぁ、知らないけど。他にどこが面白いと思ったの?」

「うむ、感度もの。よく聞こえるとは聞いておったが、驚いたの」

「確かにね」


 マリベルの能力は一般的なベルカ人の子供の能力だが、こと聴力に関しては大人と子供でそれほど差があるものでもない。つまり皆同じくらいは聞こえると言うことだ。

 目を閉じた状態で部屋の端と端にいて、動いたかどうかを衣擦れの音で判断することができる。密室ならそう難しくないが、窓とドアをあけて、外の喧騒が聞こえる状態で、窓の前の人物の動きを察知できるのだから、普通の人間と比べても段違いだとわかる。

 特に、その音がどこから鳴っているか、と言うのに敏感だったのに驚いた。つまり右手か左手かどちらを動かしたかがわかるのだ。これは予想していなかっただけに驚いた。

 フェイに意識をやらせながら、不意打ちで移動したリナについても把握していたので、特別に集中しなくても聞こえると言うことだ。


「そりゃ、冒険者として有利だって言われるはずよね」


 単純な音としてもよく聞こえ、場所の把握もしっりできるならそれはかなり便利だ。くわえて身体能力も高いのだから、駆け出しであってもそこそこの働きをすることは簡単だろう。

 もちろんそれだけで腕利きになれるものでもないが、初期能力の違いは割合大きい。少なくとも、他の冒険者を一段下に見てしまっても仕方ないだろう。


「ふむ。そうじゃのう。魔法で強化せんとあそこまで聞こえるなら、警戒とかも楽じゃろうしの」

「今はフェイの魔法で楽してるけど、昔はこの能力知ってたらパーティに一人は欲しいところだわ」

「リナには私がおるじゃろ」

「だから、昔はね」


 ちょっとばかり拗ねたようなフェイの言葉に、リナは苦笑しながらフェイの頭を撫でてフォローをする。フェイは満足げに頷いてから、少しだけ頭を傾けてリナを伺うように見つめる。


「うむ。ん、ところでリナ、ちとお願いがあるんじゃが、よいか」

「ん? なに?」

「比較のために、リナの聴覚能力も確認したいんじゃが、よいか?」

「それって魔法での強化ありで? なしで?」

「どっちも」

「別にいいわよ。何からする?」

「うむ、まずは」


 と言うことで、急遽リナの普通耳検査も行うことになった。


「これは聞こえるかの?」

「ええ、問題ないわ。では、目を閉じて私が右手をあげたらリナも右手を、左手をあげたらリナも左手をあげてみてくれ」

「ええ」


 すでにマリベルで実践済なので、要領はわかっている。聴力については、やはり窓をあけていると右か左手かを当てることは困難だ。と言うか窓を閉じていても、半ば勘だ。全く違う方向からならともかく、ある程度距離をあけての、たった30センチほどの差での音源を区別するのは不可能に近い。

 冒険者として、また狩人として五感には自信はあるが、耳を鍛える特別な訓練もしていないし、逆に訓練もなしにそんな正確な耳を持っていたら凄すぎる。


 魔法で強化すると、窓を開けていてもフェイに集中すればはっきり音は聞こえたし右か左かの区別はついたが、もっと幅を狭くするとやはりわからなくなった。

 マリベルはその魅惑の猫耳をぴくぴく左右に動かしながら聞いていたので、そのあたりの違いかも知れないなとフェイは頭の中で結論付けていく。


 そうしていくつかの試験をするが、マリベルの時よりずっと時間は短かった。

 何だかんだ、今後も泊まるし食べるからと約束して、10分よりずっと長い時間付き合ってもらったが、リナには尻尾がなく、また耳も動かせないのでその辺りは当然テストする必要がない。


「今ので最後よね。文字で残しておくのよね? 手伝いましょうか?」


 フェイは今回の結果を手元の紙に全てメモしているが、あくまでメモだ。せっかくとったデータなので、何に役立つかはともかく後から見てもわかるように記録しておくつもりだ。

 フェイは魔法についてもこうして記録をとっていることがたまにあったので、それについては疑問はない。魔法使いって大変だなと言うだけである。今回は魔法関係ないので、リナでも清書することはできる。


「いや、まだあるぞ」

「え、そうだっけ? ごめんごめん。何だったかしら?」

「うむ、あとは手触りじゃの」

「えっ、それも!? いや、それは普通に、自分で自分のを触っても同じだと思うんだけど」

「わからんし。よいから触らせよ!」

「えー、まぁ、いいんだけど」


 いいんだけど、なんかちょっと恥ずかしいなとリナは戸惑った。耳なんて普段人にさわらせないし、そもそもリナは後ろの髪はだいたいひとつにまとめているが、横は下ろしているので常に耳が見えているわけでもない。

 別に見せたくないわけでもないので、構わないのだが、改まって耳を見せて触らせるなんて、どうにも違和感を感じて抵抗がある。


「さ、じっとするんじゃぞ」

「え、ええ」


 よく見えるように、靴を脱いでベッドで膝立ちになるフェイにたいして横を向いている状態になるのをいいことに、リナは少しだけうつむいて可能な限り目をそらした。

 フェイの言葉通り固まったようになるリナだが、それが緊張しているのだとは欠片も思わないフェイは、ちゃんと言っている通りにしてくれてると思い、うつむいたことでサイドの髪が前に流れて耳が露出したので、なんの躊躇もなくその耳に触れた。


「んっ」


 と言ってももちろん、乱暴なものではない。あくまで耳の感覚や手触りのテストだ。

 右手の人差し指だけで一番外側の縁にふれて、そのままなぞるように下へ動く。下についたことで耳たぶを軽く押した。ぷにぷにする。

 そしてまた上へ戻し、今度は窪みをなぞっていく。


「感じておるか?」

「かっ、感覚として、もちろん、触られていることはわかってるわ」


 すぐ近くに真剣なフェイが迫ってきていて、触れるか触れないかくらいのソフトタッチで撫でられて、くすぐったくて身をよじりそうになっていてリナは、フェイの質問に飛び上がりそうになりながら答えた。

 もちろんリナはおかしな意味でなんてとっていない。もちろん。これは知的好奇心の為の学術的テストなのだから。

 普段触らないところを触られて、なれない感覚にくすぐったくて、何だか恥ずかしいけどフェイがしてると思うとどきどきしておかしくなりそうだなんて思っていない。


「そうか、では」

「ひゃっあ!?」

「これもくすぐったいか?」

「あ、やっ」


 平静を装っていたリナだが、無造作に指を耳の穴に突っ込まれたことで思わず声がでた。しかしフェイはそれにも動揺せずわざとくすぐるように指先を動かして、耳の穴の壁をなでる。

 相手が気心知れたリナであり、自分と同じ耳だからこそ、これで傷つくことはないと無遠慮にできたことだ。しかしマリベルにしていたのと同じことをされると思っていたリナからすれば、こんな乱暴な動きは完全に予想外だ。


「ちょっと、ちょっとストップ!」


 自分で耳を拭くことはあっても、奥まで指をいれることはない。未知の感覚に背筋がぞわぞわして、思わずフェイへ停止を呼び掛けた。

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