第79話 リナの家族3

「お休み、リナ」


 あからさまにぶっきらぼうで態度の悪いリナに何も言わずに、フェイはリナに言われるまま隣に並べた布団に入って明かりを消して目を閉じた。そのものわかりのよさに、ほっとすると同時にむっとする。

 突っ込まれて話したくもないが、聞かれないのも興味を持たれてないみたいで嫌だ。

 我ながらめちゃくちゃだと、リナの冷静な部分がツッコミをいれたが、どうにもならない。


 こんな気持ちを誤魔化すために無理にテンションをあげてお酒を飲んでいたのに、まるで逆効果となってしまった。

 お酒を飲んだことで、アルコールを摂取した体は緩んでしまう。理性がゆるみ、筋肉がゆるみ、涙腺がゆるんでしまう。


「っ……」


 だから、こうして目から水がもれたのも、お酒のせいだ。夕食の前はまだ我慢できていたのに。

 だって、でも、あんまりじゃないか。父の態度ではまるで、家族からリナを締め出したような、リナはもう家族ではないような、そんな風に心が感じてしまっても仕方ないではないか。全て気遣いの結果であったとしても、傷ついてしまうじゃないか。


 布団の中で、リナは声を殺す。すぐ隣にフェイがいるのに、こんな格好悪いことを悟られたくない。ただでさえ、不機嫌なことは知られていて、それだけでも不細工なのに。


「……リナ」


 だけどもちろん、布団同士がくっついているこんな距離でどんなに声を抑えても、吐息だけでわかってしまう。リナが泣いていることを気づかないほど、フェイはリナに無関心ではない。


「私思うんじゃけど」

「な、なによっ」


 声をかけられて、だけど素直になれるわけもない。リナはばれないよう、ばれたとしても追及されないよう、殊更攻撃的に聞き返す。そんなリナの態度に頓着せず、フェイは続ける。


「こうして二人の時に私と言う回数と、お願いを聞いてもらう回数は合っておらんよな? いっぱいお願いたまっておろう?」

「……は?」


 予想外の台詞に、酔いもあって頭が回らない。お願いがたまっている? そんなもの全く数えていないが、確かにつないでくれと一度言えばその日は道中ずっと繋いでいる。二人きりの時に一人称を使う度にたまるのだから、カウントしていないが確かにお願いが足りていないだろう。

 最初の頃は私だったりわしだったり、興奮すると特にわしわし言ってたりしたが、最近はすんなりと二人きりなら私と言っている。


「あ、あー、そうじゃない? なに、手をつないでほしいの?」

「いや、まずは今日、同じ布団で寝させてもらおう」

「は? ちょっ」


 有無を言わさずフェイは滑り込むようにリナの布団に入ってきた。明かりを消しているとは言え、窓もあり月明かりで多少は見える。こんなに間近では声だけでなく見た目でも泣いているのがわかってしまう。

 リナは焦って体ごと顔をそらす。


「リナ、抱き締めるぞ」

「ちょっ、な、なんなのよ」


 リナが抵抗してフェイに背中を向けているにも関わらず、後ろから抱きついてきた。フェイの体温は高くて、熱いとすら感じる。


「嫌か? 私、今日は何となく人恋しいんじゃ。よいじゃろ? 私らマブダチじゃもんな」

「……」


 リナの涙には触れずに、フェイはそう言ってただリナに寄り添うことにした。フェイはまだ他人の心の機微にうといところがあるし、こんなときどう言うべきかわからない。だけど少なくともリナを一人で泣かせるのは嫌だった。これはフェイのわがままだ。

 そんなフェイの対応に、耐えられなくなった。


「っ、フェイっ」


 何故さっきは、フェイがいれば大丈夫なんて思ったのだろう。そんなわけない。こんな優しいフェイがいて、まるごと受け止めてもらえるとわかってて、それで我慢なんてできるわけがない。


「う、うううっ」


 リナは振り向いて、フェイを力一杯抱き締めて涙した。さすがに大声を張り上げることはなかったが、すすり上げる声が部屋に響いた。多少離れているので声が聞こえることはないだろうが、フェイはそっと声が外にもれないようにした。


「ぅぅぅ」


 フェイをぎゅうぎゅう抱き締めてぽろぽろとリナは涙を流す。


 リナはいつも、フェイを助けてくれていた。依頼の時はともかく、少なくとも日常生活では助けられてはかりで、フェイがリナを守ることなんてなかった。そうしてずっと甘えていて、それが当たり前だと思っていた。

 だけど、こうして、しがみついてくるリナを見ていると、泣いているリナを見ていると、今までとは違うように思えた。

 リナだって完璧ではなくて、こんな風に挫けてしまうことがあるんだ。それはフェイにとって青天の霹靂とも言える衝撃だった。落ち込みはしても、泣いてしまうなんて予想外だった。


 こうして真正面から涙を見ると、胸が締め付けられた。

 守りたいと思った。リナのことを守りたい。泣かせたくない。笑顔にしたい。いつも笑っていてほしい。そして何より、自分が一番近くでそれを見たい。他の誰かではなく、フェイの手でリナを守りたい。


 それは間違いなく、恋だった。淡くて吹けば消えそうな小さな、蝋燭の灯火のような恋だ。だけど確かに、フェイの胸に生まれた気持ちは恋だった。

 だけど、経験のないフェイに自覚はない。ただただ仲間として、親友として、こんなにもいとおしいのだと思った。


 リナが常人なら背骨が折れてしまうほどの力で抱き締めるから、さすがにとても痛かったが、それも気にならない。フェイはそっと、リナの頭に手を伸ばしてその頭を撫でた。


「っ」


 それによってさらにリナの力はさらに強くなったが、フェイはそれを受け入れた。








 堪えることもなく涙が流れて、そうしてしばらくして、リナの涙はとまった。

 家族に感じていた違和感とも言える感情は、ずっと涙に変えることなく心に蓄積されていた。だからこそ長かったとも言えるし、それにしては短かったとも言える。どちらにせよ、涙がひいた要因としてフェイの存在が、ぬくもりがあったことは否定できない。


「……フェイ、ありがとう」

「私は何もしとらんよ」


 そんなことはない。フェイはリナの側に来てくれた。フェイはリナを抱き締めてくれた。何も言わなくてもただ横にいて受け止めてくれる。それがどれだけ心の支えになるか。

 フェイが今してくれたことは、リナにとってかけ換えのない、人生をかけたくなるほどの価値があった。それは恋を伴った愛だ。

 もはや否定できない。相手が子供で女の子で世間知らずで、恋を知らない幼さを知ってもなお、それでも好きだとリナは自認する。


 フェイに、自分の人生を捧げたい。フェイの人生にずっと寄り添いたい。誰よりフェイの側にいたい。


「ねぇ、ちょっと、聞いてくれる?」

「無論じゃ。リナのことなら、全て知りたい」


 どきりと心臓が高鳴る。いけない。こんなに近ければ、フェイに気づかれてしまうかも知れない。そうは思ったが、だが離れがたく、そのままリナはフェイを抱き締めたまま、語り出した。


「私、狩人だったお父さんのことが大好きだったの」


 一言では言い表せられない感情だ。自分でもどんな感情なのか把握しきれていない。

 悔しさ、もどかしさ、苛立たしさ、恨めしさ、悲しさ、寂しさ、羨ましさ、その他分類すら難しく胸の中で渦巻いていた気持ち。それら全てを説明はできないが、だけど知って欲しかった。

 情けないし格好悪いし、言ったことで嫌われたりしないかとか、不安もあるけれど。それでも言いたくて、フェイに理解してほしくて、受け入れて欲しかった。フェイならそうしてくれるだろうと、信頼していた。


「そんな頃、アンに誘われて、村を出たの。それから後は、話したわよね」


 冒険者となってからのことは、アンとの思い出話とともにおおよそフェイには話しているので省略する。フェイはうんうんと、声には出さずに相槌をうって聞いていた。


「うむ。そうじゃな。リナの家は、中々複雑な家じゃな」


 フェイの家は、あの環境で完結していた。他の何者も入る余地がなく、心地よい状態で完全に停滞していた。フェイの世界はたった二人と人工精霊だけだった。ブライアンの死がなければ、あのまま永遠に続いた可能性もある。

 リナの家族は、最初は母もいた。それが亡くなり、父と二人だけの生活が続き、そして義母と義妹が増えた。それだけではなく、村で生活しているので友人も近隣の住民もたくさんいた。フェイと比べてなんと騒がしく目まぐるしい世界だろう。

 リナの気持ちがわかるなんて、とてもじゃないが言えない。


「大変じゃなぁ」


 その気楽にすら聞こえるコメントは、人によっては腹が立っただろう。理解できずに聞き流しているようにも聞こえる。だが他ならぬリナにはきちんと伝わった。

 リナを思って、理解できなくても理解しようとして、そうして労ってくれているのだとわかる。リナの思いをそんなことかと馬鹿にせず、同意してくれたのだ。なんて嬉しいことだろう。


「うん」


 嬉しすぎて、何と言えばいいのか。何も言わなくても伝わっている気がした。


「こんなことを言って、慰めになるのかわからんが、私はずっと、リナとおるぞ。リナが一番じゃ。リナが嫌といっても、おるからな」

「……ありがとう、嬉しい」


 慰め、どころじゃない。慰めで終わらせて欲しくない。ずっと、ずっと一番一緒にいてくれるなら、それほど嬉しいこともない。

 例えフェイが意味をわかってなくても、恋や愛を知るまでのつかの間だとしても、そう思ってくれていることが、何より嬉しい。

 どうしても感情の制御なんてできない。頬は紅潮し、心臓はどきどきと音をたてていて、フェイにばれてしまうかも知れない。それでもいい気がした。フェイならきっと、リナを今のまま受け入れてくれるだろう。例え同じ気持ちでなくて、親友以上にはなれないとしても、それで十分だ。


「う、うむ。まあ、当然のことじゃよ」


 フェイはそんなリナのうるんだ瞳と紅潮した頬と言う、まさに恋する乙女と言う様を見てももちろん察しない。だがその可愛らしい姿には、確かにときめいていた。

 改めて口にしはしたが、当然のことだ。フェイはリナが大好きで、ずっと一緒だともうお互いに口に出して約束している。だから、当たり前のことだ。


「うん、そうね。当たり前ね」


 当たり前にずっと、一緒にいられたらいいな。









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