第35話 おじいちゃん

「その本、じいちゃんのですね」


 眠る前に少しだけ話がしたいということで、お嬢様の部屋にエマが訪れていた。

 レオンはこれ以上お嬢様の部屋にいると本格的に緊張で倒れてしまいそうだったため、客間で休んでもらっている。マリーが世話をかってでた。


 ベッド脇のテーブルに置いてある本を見つけたエマが嬉しそうな顔をする。それはお嬢様がいつも読んでいるパッサン卿の著書だ。

 お嬢様は本を手に取ると、その緑色の表紙を撫でた。


「この本は、もともとお父様の書斎にあったの。昔はよく書斎から本を勝手に拝借してきたのよ。借りたきり返す機会がなくなってしまって、今もずっと持っているのだけど」


 エマは困ったように眉を寄せる。バルド家の内情はエマも知っているだろう。まずいことを聞いてしまったという感情がありありと読み取れる。


「本当に小さい頃から本を読まれていたんですね」


 苦し紛れにそう言ってエマは笑った。お嬢様はそうねと呟く。


「前に話したと思うけど、内容を理解できるようになったのは最近のことなのよ。エマが本を好きなのはパッサン卿の影響かしら?」

「そうです。うちにはたくさん本があって、赤ちゃんのときから本に囲まれていたんだって母さんが言っていました。私のよだれでべちゃべちゃになった本もあったのよって」

「それは可愛らしい想い出ね」

「ただの恥ずかしい話ですよ」


 二人の笑い声がする。私はその声を聞きながらお茶を淹れた。湯気の出る二つのティーカップをベッドサイドの机に置く。


「じいちゃんに教育係をしてほしいっていうのは、本気ですか?」

「本気じゃなかったら、あんなに通わないわ」

「そうですよね。私、素直に嬉しいんですよ。自分のじいちゃんが評価されて、頼りにされるの」


 エマは頬を染めてはにかんだ。


「あなたは本当にパッサン卿のことが好きなのね」

「はい。私に勉強の楽しさを教えてくれた、大事な先生ですから」

「そう――」


 そのあともしばらく他愛のない話をして過ごした。もう遅いからと、挨拶を交わす二人を見届けて部屋の灯りを消し、エマとともに部屋を出る。

 ランプで廊下を照らしながら、客間へとエマを送るために歩く。


「レイチェル様、思ったよりも元気そうで安心しました」


 客間のドアをあけ、エマが眼鏡をはずしベッドに入るのを確認して、ふと思い出した私はポケットの中を探る。


「エマ、眠る前で申し訳ないですが、これを」

「なんですか?」


 小さなエマの手に、包みに入った飴をのせる。本当は昼の掃除を頑張ったマリーにあげようと思っていたのだが、エマたちの訪問でつい忘れていた。


「今食べると虫歯になってしまいますから、明日にでも食べてください」


 エマはパチパチと目を瞬いて、くすりと笑う。


「ありがとうございます。なんだか、じいちゃんみたいですね。じいちゃんも私によくお菓子をくれるんです」

「おじいちゃんですか――」


 マリーのおばあちゃん発言には慣れてきたが、次はまさかのおじいちゃん発言ときた。さすがにそれは予想外だ。

 パッサン卿がお菓子を用意しているのも想像がつかなくて笑ってしまった。

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