第9話 昔の話3

「よくそんなに笑えるものね。わたくしはお母様が亡くなったとき、そんな風に笑えなかったわ。あなたのことは、お父様が慰めてくれるのでしょう。でもわたくしはずっと一人だった。お父様はわたくしのことなんて見ていないし、お母様ももういない。それにみんなお母様のことを悪く言うのよ。あなたが来なければ、こんなことにはならなかったのに――!」


 そう言って、レイチェルお嬢様はライラ様の頬を叩いた。


「わたくしが何をしたっていうのよ。わたくしはこの家の長女で、ずっと一人で頑張ってきたのに――! どうしてあなたばかり愛されるの!」


 旦那様は見たこともないような剣幕でお嬢様を怒鳴りつけ、お嬢様を別館に追いやった。


 このことは、家の中、さらには社交界まで一気に噂が広がった。貴族たちは「心優しき異腹の妹をいじめた姉が幽閉されたのだ」と笑い物にした。今までの称賛は嘘のように、手のひらが返されたのだ。


 こうしてレイチェルお嬢様には、いわゆる「悪役令嬢」という札が張られることになった。


「たしかにお嬢様がアンナ様やライラ様に冷たくしたことも、ライラ様に手を上げたことも事実だけど、お嬢様だって辛い思いをされていたわ。こんなに世間に悪く言われるのは心外よ」

「本当に。レイチェルお嬢様がお可哀そうです。そりゃあまあ、アンナ様にもライラ様にも非はないですけど――、というかどちらも悪くないと思うんです! むしろ一番悪いのって旦那様では」


「こら、屋敷の中でそんなこと言っては駄目よ」

「そうですけど――でもでも、こんな仕打ちあんまりです。お嬢様はただ寂しかっただけなのに」


 私はマリーが八の字に曲げた眉をつつく。彼女は机に突っ伏した。まん丸い彼女の頭を撫でると、項垂れた声がする。


「貴族の人たちは自分よりも身分が高かった人が落ちていく様を見るのが楽しいんでしょうね。ひどいです、お嬢様をその標的にするなんて! ほんとに貴族って性格悪い!」

「マリー、貴族の方々を悪く言うのはおやめなさい。どこで誰が聞いているのか分からないのだから」

「はーい」


 ぷくりと頬を膨らませてマリーは渋々頷いた。

 それにしても、と私も頬杖をつく。


「ライラ様がここまで完璧なご令嬢でなければ、話はこじれなかったでしょうね」

「優しくて、可憐で、華があって、教養もある。私たちにも優しいし、今だってレイチェルお嬢様のことを気にかけてくれるなんて、完璧なご令嬢ですよね。私もライラ様のことは好きですけど、もうちょっと普通の人だったらこんなことにはならなかったでしょうに」


 そのとき、調理場の壁にかかっているベルがなった。このベルはお嬢様のお部屋と繋がっている。お嬢様が私たちを呼ぶときに鳴らすものだ。


「あ、私行ってきますね」


 マリーは急いで立ち上がると、扉をあけて駆けていった。

 その後ろ姿を見送って、私は一人で頬杖をつく。


「悪役令嬢か――」

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