第2話

私こと、レオルト・フォン・エンベルガーはルヘルムで一番の貴族の娘である。自分で言うのはあれだが、一番、つまり、最強である。

 私の父は、この都市の貿易王と言われる人物で、母もまたこの都市でもっとも有名な音楽家。そんな貴族の一人娘こと私、レオルトは今日も今日とて家を抜け出し両親を困らせていた。



 本日はどこどこの貴族と会食がー、夜には舞踏会がー、っと、朝一番に使用人から今日の予定を聞かされている私だが、そんなつまらない行事に参加する気などさらさらなかった。舞踏会じゃなく武道会なら出場するのになぁ……、などと思いつつ適当に相槌をうって、早く使用人が部屋から出で行くのを待っていた。

 なにせ今日は久しぶりにこの街に帰ってくる友達に会いに行くため、屋敷を抜け出す計画を立てている。なので、さっさといなくなってくれないと困るのだ。

「以上が本日の予定です。では30分後、お迎えにあがります」

「えぇ、よろしくね」

 使用人が部屋から出て行ったのを確認し、すぐに計画を実行に移す。

 屋敷の敷地内に小さな古い小屋があり、その小屋からルヘルムの東区にある隠れ家に繋がる秘密の抜け道があるのだが、誰にも見つからずにその小屋に向かうにはひとつ問題があった。それは、使用人ケーテの存在である。

 お父様、お母様。そして当家の筆頭使用人ことケーテ。この3人に見つかってしまえば彼らから逃げるのは困難であり、この後、友達と会うことが叶わなくなってしまう。お父様とお母様は、今から2時間程は書斎から出てこないことは昨日のうちにわかっていたが、唯一行動が読めないのはケーテだ。筆頭使用人というだけあって、屋敷の至る所で仕事をしており行動が読めない。こればかりは運である。

 私の部屋の窓からは直接小屋が見えており、距離はおおよそ、200メートル程。

 そこで、私の計画はこうだ。

 この窓から小屋までを一直線で移動する。

 以上。

 あとはケーテに見つからないように祈ろう。

 部屋の窓を開けたあと、いったん助走をつけるため窓と距離をとり、そして脱兎の如く一気に窓の外に飛び出した。

 敷地内にはもちろん使用人が何人もいたが、私の存在を感知できたものはいなかった。それは別に私の影が薄いとか、透明になったからではなく、単純明快に速いのだ。

 そう、私は速すぎるのだ。

 速すぎて、人間の動態視力では、確認することができない。部屋に残った残像なら確認できるけど。

 しかし、先ほど挙げた3人は例外で、このスピードで移動している私を見ることができ、さらには捕まえることまで可能である。

 音もなく小屋の前に降り立ち、他の人に見つかる前にさっさと扉を開けて中に入る。

 今回は無事に小屋まで辿り着くことができたが、問題は帰りの方だ、出かけるときの入念で完璧な作戦と違い、何も考えていないのだ。

 まぁ……なるようになる! まずはやってみる!

 それが私の心情だ。

 帰りのことはとりあえず置いといて、秘密の抜け道からルヘルム東区の隠れ家に向かう。



 ルヘルム南区では多くの商人が店を構え、ルヘルムで最も賑わいを見せる地区である。そんな賑わいを見せる町の中を駆け抜ける一人の少女がいた。

 てか私だ。

「こんにちはヒルファさん。今日は何か面白いもの入ってます?」

 東区の隠れ家から人混みをすり抜け、ヒルファさんのいる場所まで駆け抜けた私は勢いよく店の前で止まり、見知った顔に声をかける——今回の脱走の目的、郊外に足を運び、モンスターや変わった食材、珍しい品を採取する商人、そして私の友達。それがヒルファさん。

「久しぶりに会った第一声がそれ?」

「ははは、冗談ですよ。お久しぶりです、ヒルファさん。一年ぶりくらいですね」

「うん。本当に久しぶりだね。なんか見ない間にまた身長伸びたんじゃないの?」

「へへん。育ち盛りですから。ヒルファさんこそ結構筋肉付いてきましたね」

「伊達に女一人で商人しちゃいないよ。筋肉は美しい女の象徴だからね。そうだ今回はレオの好きなルクスス・ハーゼのお肉捕ってきたよ」

 ヒルファさんはそういうと、お肉の入った袋を私に向かって投げてよこした。

「いつもご贔屓にしてもらってるから、レオにプレゼント」

「本当! ありがとうヒルファさん。早速今日の晩御飯にいただいちゃいます」

 このお肉は私のお気に入りの一つで、すりおろしたノイノを使い、ジャージン、クリガ、ペープリッチやクリメッタでお肉をマリナードし、クルミックココナで長時間煮込むと最高に美味しいのだ。

「今日も屋敷から抜け出してきたの?」

「そうなんですよ、屋敷にいてもつまらない行事や習いごとだらけで、私もヒルファさんみたいに、外でモンスターと戦ったり、冒険に出たりしたいんですけど、お父様が許してくれないし……」

「まぁ……大事な後継娘だもんね、レオは。でも昔はレオのお父さん、ヴォルフ様も、街を飛び出して何日も帰ってこなかったって、聞いたことあるよ。やっぱり親子は似るのかね〜」

「なんかそうらしいですよね、自分ばっかりずるいなー。もう私なんてお父様より強いんだから、心配しなくていいのに」

「もう、またまた冗談を、だってヴォルフ様って国で1番強い剣士でしょう? あの剣士長を一瞬で倒しちゃうような人が、さすがに娘に負けないでしょう」

「あー、信じてませんね。本当ですから、私、お父様をボコボコにしたんだから」

「夢で?」

「夢じゃない!」

「じゃあそこまで言うなら、今度一緒に採取に来てもらおうかな。もちろん、ピンチのときは私が守ってあげるから大丈夫」

「もう……」

 どうにも信じてくれないもどかしさはあったけれど、久しぶりにヒルファさんと話せたことの方が嬉しくて、すぐにどうでもよくなった。



 長々と話していたら、あたりはすっかり夕暮れ、そろそろ屋敷に帰らないとヤバイ。

「それじゃあヒルファさん。また」

「うん、また遊びに来てよ。しばらくは街にいるからさ」

 バイバーイっと、陽気に手を振るヒルファさんを横目に、急いで東区にある隠れ家を目指す。

 急ぐと言いながらも、久々の外出を満喫しながら歩くこと30分程、目的地に到着。

 隠れ家といっても、一見普通の家でーーていうか本当に普通の一軒家なんだけど。

 場所はルヘルムの東区に分類されているが、限りなく北区に近いところにあり、隠れ家というだけあって、人通りの少ない路地裏にひっそりと建っている。

 そんな隠れ家のリビングには明らかに不自然な石像が一体、この国の女神信仰の象徴である女神像が、リビング中央に置かれているーーそこそこの大きさのため結構邪魔になっており、インテリアとしても場違い感がすごい。

 女神像の右胸を軽く押すと、女神像の後ろの正方形の床板が、パカッっと開き、地下に続く階段が現れる。

 しかし、なぜ、女神の胸がスイッチとなっているのだろうか?

 新手の変態……、いや、女神を愛するが故に、信仰心から作ったものなのか……、まぁ、どちらにしても変態か。

 着ている外用の服を脱ぎ捨て、綺麗に折り畳んでおいた屋敷用の服装に着替えると、早々に女神像の裏の階段から屋敷を目指した。



 結果から言えば、失敗であった。

 何が失敗か、おそらく全てである。

 見つからなければバレない、なんて浅はかな考えだったのだろうと、行事や習い事をさぼった時点でバレるという初歩的なことが、完全に頭からこぼれ落ちていた。ヒルファさんに早く会いたくて仕方がなくて——なんて言い訳をしてみたくなったけれど、私は誇り高き貴族の娘、甘んじて、この叱責を受け入れよう。

 さて、失敗といえばもうひとつ。小屋から自分の部屋に飛び移った際に、ケーテに見つかったのである。見つかったというより、私がケーテの前に現れたのだが……。

 さすがの私にも透視能力なく、私の部屋にいたケーテと鉢合わせしたのであった。

「お嬢様、お帰りなさいませ」

「た、ただいま。ケーテ。もしかして、ベットのシーツを交換してくれてたの? いつもありがとね」

 私はちょっと棒読み気味で言った。

「いえ、仕事ですので」

 その後に続く言葉はなく、ただ黙々とシーツを交換している。

 これは、相当怒っていらっしゃるのでは? ケーテを怒らすのはまずいな……どうしよう。

「あのー、私が行事をサボったこと、怒ってる?」

「いえ、怒ってなどいません。お嬢様がいなくなったせいで、先方に頭を下げたりとか、関係各所に誤ったことなど、まったく、気にしてません」

 語尾の方をはっきりと、強調して言った。

 これめっちゃ怒ってるやつー。

「ご、ごめん、今日はどうしても外に出ないといけない用事があって……」

 反対に私は、言葉がどんどん小さくなり、最後の方はモゾモゾと喋る感じになってしまった。

「冗談ですよ、今日はたまたま、先方の方からキャンセルがあったのです。どちらにしろ、今日お嬢様はフリーになる予定でした」

 それを聞いて一気に体の力が抜けた、まるで急死に一生を得たような、いやほんとに得たのだ。なにせこの屋敷で、怒らせると1番怖いのはケーテなのだから——いつだったか、まだケーテが筆頭使用人なる前、私もまだ11歳のときに、ケーテが大事に取っておいた、お菓子を私が勝手に食べちゃったら、本気で怒ちゃって、気付いたら屋敷が半壊、その後めちゃめちゃお母様怒られた記憶がある。

 それ以来、ケーテをあまり怒らせないように、できるだけ意識している。

「シーツの交換が終わりましたので、私はこれで失礼いたします。もうすぐ御夕食の準備ができますので、のちほど」

 パタンっと、扉が閉まり、ケーテが部屋から出て行った。

 いや〜、危なかった。

 本当にラッキーだった、先方の貴族グッジョブ。



 時々屋敷から抜け出すだけの毎日、正直もう飽き飽きしている、私の人生はこの屋敷で終わってしまうのだろうか、どこかに、非日常ともいえる出来事が転がっていないだろうか。少なくとも、この屋敷にいたのでは見つかるものも見つかりはしない。だから私はこれからも屋敷を抜け出し、非日常、非現実を見つけるため、屋敷を抜け出すだろうーーまぁ……ケーテを怒らせない程度に……。

 あー、どこかに私をさらってくれる王子様はいないかしら、この退屈でつまらない世界から、私の手を強く握って引っ張ってくれる王子様……。

 私らしくもない弱音。

 叶えたい夢があるなら自分で手に入れる。

 それが私、レオルト・フォン・エンベルガー。

 誰にだって邪魔はさせない。もし、邪魔をする奴がいるなら、ぶった斬る。

 そう、これが私、これこそが私。

 弱音なんて私に似合わない。


 そんな弱い心など、剣を握ったときに捨てたのだから。

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