第36話 多種隔世遺伝

「――《火俱夜》っ!?」


 すぐに反撃しようとする《火俱夜》だが、その攻撃もあっさりとかわされ逃げられてしまう。


「まだよ《火俱夜》! ――《火球扇》!」


 扇を振るった瞬間、扇から小さな火球が放出され女へと飛んでいく。

 だが女は少しも動揺を見せず、あろうことか臀部近くから生えている細長い尻尾ではじき返してきたのである。


 火球は《火俱夜》の足元へ落ち、その衝撃で《火俱夜》は後方へと吹き飛んでしまった。


「《火俱夜》!? ……くっ!」


 悔し気におんなを睨みつけるソラネ。

 彼女も相手との力量差が分かっているのだろう。


 しかしさすがはAランクの仕事だ。確かにこれではソラネ一人じゃ荷が重い。

 相手はどうやら戦闘経験も豊富だし、まだ力を隠し持っていようだ。


「ソラネ!」

「待ってヒロ! まだアンタは待機してて!」


 ソラネは敵わないと思いつつも、まだやる気のようだ。


「でもお前がもしやられたら!」

「大丈夫! あと一回、試してみたいことがあるの!」

「…………分かった」


 ああなったソラネに何を言っても無駄か。まあ最悪、俺がフォローに入ればいいしな。

 ソラネも俺がいるからこそ無茶ができるんだと思う。


「やれやれ、まだやるつもりなのぉ? これ以上やるっていうんなら……殺しちゃうわよぉ?」


 女も本腰を入れ始めたのか、それまで比較的穏やかな雰囲気だったが、明らかに強い殺気を含ませてきた。


「っ……一つ聞かせない。二度と悪さをせずに大人しく暮らすことはできないの?」

「言ったでしょう? 人間のために自由を捧げるなんてことはできないわよぉ」

「別に自由なんて奪わないわよ! ただ人間の街に住む以上は、そのルールは守れって言ってるの! 人間だって守ってることよ!」

「知らないわよぉ、そんなこと。人間が勝手に決めたルールなんだからぁ」


 まあ『異種』にとっちゃ、その言い分も一理あるのだろう。

 ただだからといって、問答無用に他者を傷つけていい理由にはならない。


「……アンタ……それでも誇りある純血種の吸血鬼なの!」


 すると女がニヤ~と気持ちの悪い笑みを浮かべ、急に高笑いをし始めた。


「何がおかしいのよ!」

「さっきから何かおかしいって思ってたけどぉ、なるほどねぇ……私が吸血鬼……かぁ。何を勘違いしてるのかしらねぇ」

「!? 何ですって……?」


 俺も今の言葉には納得できない。コイツ、吸血鬼じゃなかったのか?


「私が純血種……それは間違いないわよぉ。でもぉ……吸血鬼じゃないわぁ」

「え……!? だ、だったら何の『異種』だっていうのよ!」

「フフフ、なら自己紹介をしてあげましょうかぁ」


 バサッと大きく黒い翼を開く女。月明りを浴びて、どこか神秘的な佇まいに映っている。


「私の名は――リリー・バット・ルネ。れっきとした――――サキュバスよぉ」

「サ、サキュバスですって!?」


 ソラネは愕然としながら声を上げたが、俺やしおんもまた驚嘆していた。


「う、嘘よ! ならどうしてあなたから吸血鬼の純血種が持つ波長を感じられの!」

「フフフ、そ・れ・はぁ~、私の先祖の一人が吸血鬼だからよぉ」

「……!? そっか、《多種隔世遺伝》!?」

「? 何だよそれは、ソラネ?」

「……百万人に一人いるかいないかって言われる極めて稀な隔世遺伝の持ち主のことよ。普通隔世遺伝っていうのは、祖父母とかそれ以前の世代が持つ遺伝が発現すること。でもそれはあくまでも一種の血族が目覚めるだけのものよ」


 しおんを例にしてみれば、彼女の先祖には吸血鬼がいるからこそ、たとえ両親が人間だったとしても、しおんは吸血鬼としての遺伝が発現し吸血鬼として誕生した。または吸血鬼としての能力が備わった人間として生まれることもある。


「けどね、《多種隔世遺伝》っていうのは、複数の血族の能力や姿を持って生まれるのよ。多分アイツは……姿や能力そのものはサキュバスでも、霊力自体は吸血鬼として生まれてきたのよ」

「な、なるほど……そういうことも有り得るんだな」


 奥が深い世界だ。

 しかしそのお蔭で、目撃者が吸血鬼だと推察したのも無理からぬこと。


 何せ隔世遺伝によって吸血鬼の波長を持って生まれたサキュバスなのだから。


「『理事会』も、まさかそんな稀少なケースが対象だったなんて思いもしてなかったみたいね」


 う~ん、どうだろうか。ただ吸血鬼かもしれないという記述があった以上は、こういう場合も想定していたような気もするけど。


「さあ、名乗ってあげたわぁ。できればあなたたちのことを教えてもらえないかしらぁ。特に……君のことぉ、知りたいわぁ」

「は? お、俺?」


 何故かご指名を受けたんだが……。


「と~っても美味しそうな……精気。今まで見たことがないほど濃厚なオーラだわぁ。早く食べたい……」


 思わずゾクッとするものを感じる。本来なら美女に迫られるのは嬉しいのだが、虎さんみたいになってしまうくらい求められるのはノーサンキューだ。


「相手はこのアタシよ、リリー・バット・ルネ!」

「あらん、そうだったわねぇ。じゃあまずは邪魔者倒してから、ゆ~っくりとあの子を頂くとしましょうかねぇ」


 するとリリーが物凄い速さでソラネへと迫っていくが、その場からソラネがスッと消えてしまう。

 女の爪による攻撃も、そのせいで空を切った。


 ソラネがどこに行ったのか。彼女は――空の上にいた。


 だがソラネ一人じゃない。彼女を横抱きにしている存在がいたのである。


 ――しおんだ。


「!? ……まさかそっちのお嬢ちゃんが『異種』だったなんてね。しかもこの波長……」


 女が面倒そうに発言する。さらにしおんの正体にも気づいたようだ。

 あの瞬間、しおんが自身の吸血鬼としての力を解放し、女と同じように翼をはためかせ、ソラネを抱いて空中へ飛んだのだ。


「ナイス、しおん!」

「うん! けど全力で飛ばれたら、今のわたしじゃ追いつかれちゃうよ」

「分かってるわ――《火俱夜》!」


 吹き飛ばされたはずの《火俱夜》だったが、驚いたことに切断された腕を復活させただけでなく、背中から翼を生やしソラネの傍まで飛翔してきた。

 事前にソラネには一応この能力について聞いていた。


 これは《霊気変装》といって、ソラネが触れている者の特徴を、霊気を物質化して《火俱夜》に装備させることができるらしい。


 あの翼は、しおんの翼を模して作ったもので、ソラネの霊気の塊というわけだ。ちなみに復活した腕も、同じように霊気を費やして元に戻した。

 ただ当然そらなりの霊気量を必要とするので、長期戦は圧倒的に不利になる。


「これで空中戦も問題ないわ!」


 相手を翻弄するかのように、ジグザグに飛行しながらリリーへと迫る《火俱夜》。


「こしゃくなんだからぁ」


 それでも余裕の笑みを崩さず、リリーは逃げることなく迎え撃つ。

 《火俱夜》の振るう扇に対し、両手の爪でいとも簡単に捌いていく。


「たかが空を飛べるだけで強くなったつもりかしらぁ!」


 確かに攻撃手段が増えたというだけで、別段強さが増したわけじゃない。

 しかし徐々に《火俱夜》の攻撃速度が上がっていく。


 するとピッ……と、リリーの頬に扇が掠め傷がついた。


「!? ……何ですってぇ?」


 そう、リリーは知らない。ソラネは、触れている者の霊気を自分のものに加算し、それを《火俱夜》の強さへと変換できることを。

 今、《火俱夜》にはしおんの霊気も備わっているのだ。


 しかも純血種の吸血鬼の霊気は強力ということもあり、徐々にだが《火俱夜》の力が増した結果、ようやく一撃を当てることができたのである。

 まさか攻撃を受けるとは思っていなかったのか、その表情が驚愕と同時に憤怒の感情を露わにしていく。


「こ、この私の顔に傷を……っ!」


 怒りで震えるリリーの全身から、それまで見たこともないほどの霊気が溢れてくる。




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