第90話 急報

 初めにその異変に気づいたのは沿岸に展開していたロッドミンスター王国海軍提督、ロベストール・メランとその艦隊だった。


「動き出したか。間の悪いことだ」


「間の良い敵がおるでしょうか、提督」


 副官の軽口を聞いたメランは苦々しく顔を歪めて見せた。


「逃げたところで行き先もなし、か。まったく性に合わないが」


「やれるでしょうか?」


「そのためにこちらにはあの艦がある」


 メランの目線の先には一隻の大型戦艦の姿があった。


「大型一等戦列艦ドレスデンですか。最新鋭艦であり対イシュマール戦の切り札。旗艦にしなくてもよろしかったので?」


「我が栄えある王立海軍の旗艦はこのロイヤルオークと決まっている」


 それを聞いた副官は思わずため息をつきそうになった。メランの本音を察していたからだ。


 ドレスデンは確かにイシュマールによるロッドミンスター侵攻に対抗するために建造されたロッドミンスター海軍最強の戦闘力を誇る軍艦である。


 しかしその巨体ゆえに速度が他の一等戦列艦に比べて遅く、また転舵にも時間を要する。


 圧倒的な防御力をもつため旗艦にふさわしいと誰もが考えたが、その機動力のなさゆえにメランは敬遠した。


 機動力を活かした戦術に適さないから、ではない。


 退却に不得手だからである。


 メラン提督という人間はロッドミンスターに忠誠を誓い有事の際には艦と共に運命を共にするなどという美学とは程遠い存在で、そうしたメランにとって新造艦ドレスデンはまさに鋼鉄の棺桶という他ない物であったのだ。


 とはいえドレスデンの防御性能、そして火力は従来艦とは一線を画しており、この艦をロッドミンスター海軍の新たな象徴として捉える水兵も少なくなかった。


「今回の戦いは」


 ふと、メランはそう言葉を切り出した。


「どうにも乗り気がしないな。うちの若君にイシュマールの老練な将帥どもの相手が務まるかいささか不安である」


「……陛下の悪口はまずいですよ」


「ここは海の上。海の上では私が王だ。誰の支配も受けはしない」


 そうは言ったものの、とメランは水平線の向こうにわずかに見えるイシュマール艦隊を眺めた。


「あれに蹂躙されれば私も若君もそろって奴隷かね。いや、イシュマール人は人を喰らうというしな」


「彼の国とはいえ、さすがにそれは迷信でしょう」


「ふっ、そうとも言えないのが蛮族よ」


 副官はそこで双眼鏡を取り出すと、水平線の敵艦隊を眺めた。


「接敵まであと三十分というところですな。退きますか?」


 副官はメランの心中を探った上であえてそう進言したが、メランは首を振った。


「ここは一戦交えるとしよう。なに、殲滅する必要はない。ドレスデンの長射程をもって先頭艦に打撃を与えて離脱し、先勝とすればそれで充分だ。いずれ帝国から援軍……あの忌々しいアミアン人の艦隊もやってくるだろうしな。本格的な交戦はそれからでいい」


「承知しました。各員、戦闘配置!」


 ロッドミンスター艦隊に旗艦ロイヤルオークに戦闘旗が堂々と掲げられ進軍を開始した。


 その姿は我こそが大陸最強の海軍だという自負を、言葉を使わずして荒海に示しているようだった。



 ***



 ロッドミンスター艦隊敗走。


 この報せはイシュマール帝国軍の侵攻の報告と同時にロッドミンスター王ウルフレッド・ゴトランドの下へもたらされた。


「最新鋭のドレスデンと戦艦グレデス・バリーを喪失、他三隻が中破。メラン提督は残存艦隊を率い一時帝国領ボルドー港へ退避した模様です。イシュマール軍は我が国東端の港湾都市ゼセックスへ強襲上陸、同都市は降伏したとのこと。しかし敵は未だ体勢が整いきっておりません、ここは早急に奇襲による反撃が有効かと思いまする」


 臣下の将軍、エリクセン・マクガフィンがそう報告をあげると、ウルフレッドはもう一度口を強く噛み締めた。


 その様子を気にしつつ側近のホランド・ガスケインが言った。


「イシュマールめ、海軍の実力がこれほどとは。それも全軍ではなく、わずか一個艦隊で」


「なんだビビってんのか? 久々の戦じゃねえか」


 傍らの熊のような大男、ジドゥーバル・ダクバルが豪快に笑い声を上げた。


「どうしてお前はそう田舎の青ガキのような発想しかできんのだ」


「ホランド、お前こそ田舎の年寄りみてえじゃねえか」


「なんだと」


「こら二人とも、喧嘩はやめい」


 年長のエリクセンが割って入って仲裁する。


 南方からの圧力が増してきてからというもの、ウルフレッドの側近たちはずっとこの調子だ。


 ウルフレッドはそれに最初こそ反応を示していたものの、今はまるで相手にしない。


 何を言うでもなく眉間に皺を寄せてずっと何事かを考え込んでいるのだ。


 だからこそ側近の三名は余計に不安になるのか、こうして言葉を互いにぶつけあっている。


 しかし今日ばかりは業を煮やしたという様子でジドゥーバルがウルフレッドに詰め寄り言った。


「大将。出陣だ、早くしねえと他の城も落ちちまう。負けが込めば寝返るやつだって出てくるぜ」


 しかしエリクセンがすかさず首を振る。


「いや、相手は五万を超える。こちらはかき集めても二万だ。野戦で戦っても勝ち目はあるまい。ここは諸侯の兵力をここロッドミンスター城に集結させ、籠城するべし」


「籠城だあ? 帝国の連中が助けに来てくれるとでも? やつらは遠征の最中でこっちに兵を向けるどころじゃねえだろ」


「それでも本国には数万の兵を置いている。その一部でもこちらに向けたのならイシュマールの上陸部隊を撃退することも可能だ。早々と野戦を挑んで敗れでもしたらそれも叶わぬのだぞ」


「歳をとってボケてきたんじゃねえか? エリクセン。戦は攻めだ。攻めない限り勝ちは絶対にねえ」


「貴様、私はまだ三十代だぞ」


「黙れ」


 黙れ。突如としてそう言い放ったのがウルフレッドだったため、騒いでいた二人は驚き沈黙した。


「陛下……」


 ホランドが遠慮がちにそう声をかけたが、ウルフレッドは目線を下に落としたままだ。


 やがてそのままの姿勢でこう問いかけた。


「……帝国は動くのか。摂政……あの皇帝は俺たちを捨て石にする腹じゃないのか……どいつもこいつもそんなことばかり言ってやがる」


 ウルフレッドの言葉は重く、妙な気配を側近たちは感じ取っていた。


 いや、彼に長く仕える者であればこのウルフレッドの雰囲気には覚えがあるはずだ。


 光の王子とも呼ばれたマシューデル第一王子とか違う、第二王子ウルフレッドの本性。その奥底に宿る暗く湿った黒い感情の波。


 それがふとした瞬間に表へと溢れ出すことを、側近たちは知っていたのだ。


 だからこそ彼らは緊張をせざるを得ない。


 この状態の我が君は危険だ。逆らえば我らとてただでは済まぬだろうと。


 ウルフレッドはそんな側近たちの感情を知ってか知らずか、言葉を続けた。


「帝国の動向ばかり気にしている。あのスカした皇帝の気分如何で俺たちの運命が決まるとでも? 奴らが助けに来なければただ蹂躙されるしかないのか? 確かに俺達は弱小だ、帝国の事実上の属国に甘んじている。だがやつらの助けを求めて慌てふためくお前らは、自ら首輪をはめたがる奴隷と同じだ」


「陛下……」


「イシュマールが来た? ドレスデンが沈んだ? 上等じゃねえか。ここで奴らを倒せばイシュマールと有利な講和を引き出せる。そうなれば……」


 それに続く言葉を、ウルフレッドは一瞬ためらったように見えた。


「……後顧の憂いがなくなる」


 その言葉を意味を、三人の側近はよく理解していた。


 だから彼らは瞬時に思い出した、自分たちが窮地においてなぜ踏みとどまろうとしているのかを。


 誰の支配でもない。それを甘んじて受けるというのなら、マシューデルを討つ必要などなかった。


 だからこれは生き残るための試練の一つ。過程に過ぎない。


 この場にいた四人は共通する価値観を改めて認識したのである。


「……やめだ」


 最初に口を開いたのはエリクセンだった。


「籠城なんぞ好みではない。ロッドミンスター軍の強さはこの大平原で培った騎兵を中心とした野戦軍だ。己の長所を生かさぬ手はあるまい」


「おう、まだ老けきったわけじゃねえなエリクセン。ホランドはどうだ?」


 ジドゥーバルが上機嫌にそう尋ねるとホランドは答えた。


「私はそもそも野戦で奇襲をかけるべしと言ったがお前たちが聞いていなかったんじゃないか……」


「そうだったか、すまん。お前はどうも、地味でな……」


「なんだと」


 ホランドがジドゥーバルの胸ぐらを掴む。


 その様子をわずかに楽しげに見ていたエリクセンがウルフレッドの方を振り返って言った。


「ご命令を、我が君」


 ウルフレッドはそこで初めて顔を上げた。


 そして側近たち、そして居並ぶロッドミンスター王国諸侯を見渡し、こう号令した。


「出陣だ。奴らを海へ叩き落としてやる」


 諸侯がその激に応じ、爆ぜるように王の間を出ていく。


 その背を見ながらウルフレッドは静かに思った。


 とはいえ、あの皇帝が俺たちを見捨てるかどうか。


 もし見捨てたのであれば、俺は。


 戦の足音がウルフレッドの思考をそこでかきけした。

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