第23話 月下の夜襲①

 ロイは宿営地の陣幕の中でその知らせを聞いた。傍らにはランドルフらナプスブルク軍の幹部たちが緊迫した面持ちでロイの指示を待つ。


 摂政の表情は皆の予想とは裏腹に冷静そのものであり、流れるように下知を飛ばした。


「ランドルフ将軍、直ちに騎兵を率いフィアット軍の救援に向かえ。他の者もすぐに出立だ。時間を失うわけにはいかない、宿営の道具や糧秣はこの地に残して行く。ジュリアン、パッシェンデール勢はここに残り宿営地を守れ」


 正式に臣下となった事で呼び捨てにされたジュリアン・ダルシアクが「お任せを」と若い緊張を含んだ声を上げて指示を承服する。


「よし、準備にかかれ」


 その声を受けて将軍たちはロイに一礼すると、陣幕を足早に出て兵たちを集め始めた。


 誰もいなくなった陣幕の中で、兵士たちがたてる物々しい音を耳にしながらロイは眼下の地図に目を向けた。そしてその表情はみるみるうちに狼狽に包まれていく。


 まさか、これほど早く敵が動くとは。

 我々の進攻を予見していた者が敵にいた。そしてためらうこと無く先制攻撃を仕掛けてきた。それも数の上で同盟軍の主力ともいえるフィアット軍を狙って。

 フィアット軍が壊滅すればナプスブルク軍は戦の初戦にして圧倒的不利に追い込まれることとなる。


 この敵の策が一人の人間の手によるものなのだとしたら、その人物は怜悧な知恵者であるだけでなく、軍を動かすだけの権力も持ち合わせている。

 そのような人物がセラステレナにいるとするならば、一人しかいない。


 枢機卿──ヨハン・クリフトアス。

 アミアン王国制圧を画策し主導したセラステレナ教国の重臣。本国に召還されたと聞いていたが、戻ってきていたのか。


 ロイは鼓動が高鳴るのを抑えるように大きく息を吸い、そして吐いた。

 落ち着け、まだフィアット軍は救える。彼らの実力が未知数であっても、七千の軍勢が全滅するまでにこちらが駆けつけることはできるはずだ。


「摂政様」


 突然、陣幕の外からロイを呼ぶ声がした。


「失礼いたします」と言って現れたのは、新任の将校であるランゲだ。彼は最近までランドルフ麾下の兵卒であり、今回の進攻にあたって将校に抜擢されたうちの一人だった。


 ナプスブルク軍は急激な軍拡の途上にあり、特に中堅クラスの指揮官が絶対的に不足している。それを思ってロイがランドルフに使えそうな者を将校へ格上げするよう命じていたのだった。


 ランゲはロイへ一礼すると一通の手紙を差し出した。


「矢文です。差出人は不明ですが、摂政の名が書き記されております」


 この敵地において矢文だと。ロイは差出人について考えを巡らせたが、やはり思い当たる者はいない。

 ロイはランゲから手紙を受け取ると、それを開いた。


 夜襲は、罠。


 文には美しい筆跡で、短くそう書かれていた。


 罠。罠だと。この手紙の主はいったい何者か。そして何故自分に警告をするのか。

 旧アミアン貴族で今回の戦いに同行していない者か? いやそれならば堂々と姿を見せれば良い。ならばこれこそが敵の罠か?


 それもあり得ないことではない、ここで自分を足止めすればそれだけフィアットが窮地に陥る。


「ランゲ、君は小隊を率い、この手紙の主を探せ」


「はっ! すでに配下にはそれを命じております。私も直ちに捜索に向かいます」


「頼む」


 ランゲは再び一礼をすると、駆け足で陣幕を出ていった。


 ロイは息を大きく吐いた。これが戦。初めての戦とはいえ、これほど脳がかき乱されるとは。内政しか経験がない自分をロイは恨めしく思う。


 だが虚勢でも良い。動じる姿を見せるわけにはいかないのだ。

 自分の足元は砂上の楼閣。それを自覚している。


 矢文の主は不明。姿を見せないのは、見せることができないからだ。

 本性を明かせないという意味で自分も同じではないのか、ロイがそう思ったところでグレーナーが自分を呼ぶ声が聞こえた。


 出陣の支度が出来たということだろう。

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