第21話 あの日
晴天の日。ナプスブルクとロッドミンスターの軍勢が共にフィアット軍との合流地点であるルアン峠を目指し、行軍を続ける。
ロイは行軍の馬上で思案する。
ルアン峠には日没までには到着する。その後一日に六マイル行軍したとして、アミュール城に到達できるのはおよそ半月後。それまでに敵の主力と遭遇することを仮定すると、長くとも一月以内に決着をつけることが可能だ。
やや楽観的だろうか? ロイは自省するように考えた。しかし現状では進撃を躊躇わせる要素は見当たらない。敵に時間を与えるわけにはいかない。
思えばこれが初陣だな。馬上から自らの軍勢の背を眺めながらロイはそう思った。
できるなら前線には出ずに城で政でもしていたい。それが本来の自分の領分だ。
だがそうもいかなくなってきている。未だ国内での自分の信望は高いとはいえない状況にある。そこへランドルフ、そしてグレーナーを始め血鳥団の戦功。摂政は城で何をしているのかとやっかみを持つ者もいる。だから例え不得手であろうともこの戦いには加わる必要があった。
かつての生活を奪われ奴隷の身となり、そして今こうして軍を率いている。
時折、もうあの穏やかだったかつての日々に戻ることはできないのではないかと思う。その度にロイは首を振る。そのために自分は戦っているのではないか。
下級貴族の慎ましい家庭だった。それに不満など何も無かった。愛する妻と娘。政務院での刺激の無い仕事。ただそれだけで良かったのだ。
全てが変わった、いや変えられてしまった。それも二度に渡って。
その小さな幸せが奪われたのは五年前のことだった。故郷の国の暮らしていたある日の夕暮れ時、いつものようにロイが政務院から自宅へ帰る途中、街が騒がしかった。
どこかで盗人でも入ったのかと思い、足早に家へ駆けると、家の周囲は衛兵によって取り囲まれていた。
「いったい何があったのですか」
近くにいた衛兵に声をかけると、暗闇に松明で浮かび上がった衛兵の顔は敵意に満ちていた。ロイがその意味を理解する間もなく、「捕らえろ」の一声でロイは地面に組み伏せられた。
「何を……何故」
痛みに顔を歪ませながらロイが衛兵の隊長に問うと、その答えは想像を超えるものだった。
「国費横領の罪で捕縛の令が出ている」
「馬鹿な」
家の中から悲鳴が聞こえる。そして妻と、幼いアビゲイル衛兵に捕らえられ家から荒々しく連れ出されてくる。
「やめろ!」
「言い訳なら獄を抱き、たっぷりと考えるんだな」
この日、ロイと家族は捕らえられ、暗く月明かりすら差さない地下牢での生活が始まった。
家族とは切り離された牢獄の中でロイは孤独に考えた。
濡れ衣だ。自分は横領などしていない。考えたことすら無い。誰かにはめられた。一体誰が。
ただの小役人に過ぎない自分をはめるなど……。
そこでロイの脳裏に一人の人物の顔がよぎった。
「ヒューベルト、まさか奴が」
政務院の同僚の男。卑屈な性格で自分よりも格下と見た相手には残虐性を隠さない小心な男。
ヒューベルトが隠れて不正を行っていたことをロイは見抜いていた。しかし恨みを買うような事はしていなかった。関わればろくな事にならないと思っていたから。
だがあの男はロイを嫌っていた。ロイがヒューベルトに先んじて二等内務官に任じられたことを、あの男の暗い瞳が見つめていたことに気づいていた。
それだけではない、ロイに関する根も葉もない噂が立ち始めたのもその頃からだった。ロイは気にしないよう努めていたが、奴が流したであろうことは明白だった。
あの男が罠にはめ、そして今家族が危険におかされている。
そう思ったとき、ロイの中に自身が初めて感じるほどの憎悪が沸き起こってきた。自分だけではなく、家族まで巻き込むとは。
何としてでも潔白を証明しなくては。政務院の上長に会うことができれば……。
しかしロイにその機会が訪れることはなかった。
投獄され一月が経った頃、ロイとその家族は突然牢屋から出された。
国外への追放。そう告げられたときはまだ心のどこかにほっとした気持ちがあった。生きてさえいればまた暮らしを取り戻すこともできる。
だが、乗せられた船が奴隷商人の船であることに気づいたときその願望は消え失せ、たどり着いた見知らぬ国で待っていたのは地獄の日々だった。
ロイは行軍の馬上でその日々を思い起こそうとして、首を振った。
妻はもう、どこにもいない。残されたアビゲイルも……いや、アビゲイルはまだ間に合う。
早く元の暮らしに戻りたい。アビゲイルと静かに、穏やかに。
ロイはそう思ってから、気の早いことだと自嘲気味に笑った。
はるか視線の先に、合流地点のルアン峠が見えてきた。
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