18/ 宿題を片付けなければならないけれど
僕は非常に困っていた。
あの後、僕は雨宮さんと食堂で昼食を食べ、社員寮が立ち並ぶエリアの再奥にある雪永さん達が住んでいる社宅に移動した。
局長が住んでいるというだけあって、そこは平屋建ての一軒家。簡素ではあるが別荘のような広々としたお洒落な作り。
僕の部屋はその中の一室。元は昔雪永さんが使っていた部屋をゲストルームにしたらしい。
自宅の私室よりも広く、机とベット、一人がけのソファが一脚と本棚が置かれたシンプルな部屋。日当たりも良好で過ごしやすそうだ。
前もって部屋に届けられてあった荷物を整理し、ミーティングの最後に渡された明日からの予定表を確認する。
明日は午前中から体力測定に、訓練、異世界に関する講習などなど−−午前九時から午後五時までぎっしりと予定が詰め込まれている。
勿論その予定表の中に宿題をやる時間なんてあるはずもなく、異世界転移までの五日間のうちにヤツを片付けないとならないわけだ。
つまるところ今日のうちにできるところまで進めておかねばならず、僕は早速机に向かいはじめたワケなのだけれど−−。
「…………あの、雨宮さん」
僕は背後に向かって声をかけた。
「なに」
「その……ずっと見られてると、集中できないんだけど」
冒頭に戻ろう。僕は今非常に困っている。
部屋の扉の前に雨宮さんが立ったまま、じっとこちらを見ているからだ。
何をするわけでもなく、話すわけでもなく。ただ黙ってじっと視線を送られていたら、いつか僕の背中に穴があいてしまう。
「今の私の仕事はあなたと一緒に行動することだから」
「……そ、そうかもしれないん、だけど」
机に向かって十分が経つが、雨宮さんの視線が気になって全く集中できない。
後ろを振り返ってみれば、彼女は非常に不服そうに眉を顰めている。まるで僕が悪いみたいに。
「そんなに見られていると全然集中できない……と、いうか……」
「そんなこと私にいわれても」
「それに一緒に行動するってことは、お互いのことを良く知っておけって意図だと思うんだけど……黙ったままじゃ僕も雨宮さんもお互いになにも分からないよね」
僕の言葉に雨宮さんは少し考えた後、そうね、と頷いた。
確かに部屋に来て早々に宿題を初めてしまった僕にも非があるのかもしれない。宿題をやる時間が今日しかないというのであれば、雨宮さんとこうして多くの時間を共有できるのもまた、今日しかないのだから。
「ここだと雨宮さんも座るところないだろうし……もしよかったらリビングに移動してもいいかな?」
ダイニングテーブルで向き合えば、彼女も立っている必要もないわけだし。
お互いに向き合って作業をしつつ、時折会話もできるかもしれない。その提案を雨宮さんはすぐに飲んでくれて、場所を移動することにした。
「………………………………」
「………………………………」
が、しかし。場所は変われど、状況は変わらなかった。
僕は宿題を開いていて、その向かいには雨宮さんが座っている。しかし、彼女は何もせず先ほどのようにじっと僕を見つめていた。
雨宮さんがコーヒーを淹れ、お茶菓子にとクッキーやらチョコレートを用意してくれたが、僕たちは未だにそれに一切手をつけていない。
会話ひとつない室内はしんと静まり返っている。やはり宿題は全く手につかず、困り果てた僕は頭をかいた。
これはもうこちらから会話を振るしか方法はないのかもしれない。
「雨宮さんは夏休みの宿題とかないの? もしあるなら一緒にやらない?」
僕と雨宮さんは同い年。であれば、きっと学年も一緒のはず。
学校は違えど習う内容は似通った部分もあるだろう。どうせなら一緒にやれば宿題も捗るし、分からないところがあれば質問しあって自然と会話も生まれるだろうとの魂胆だった。
「宿題はないよ」
「え」
たったの数秒で僕の作戦は儚く崩れ落ちた。
長期休暇に宿題を出さない学校なんて今時珍し−−。
「私、学校行ってないから」
「え」
全く予期していなかった発言に、僕は思わずぽかんと口を開ける。
「これ、一冊見てもいい?」
すると今度は雨宮さんが動いてくれた。積んでいたワークの一番上を指差す。
「あ、うん。もちろん」
我に返った僕が頷くと、雨宮さんはそっとワークを手にとってぱらぱらとページを捲った。
「学校の勉強って思ったより簡単なんだね」
「は」
さらなる爆弾発言に、僕は開いた口が塞がらない。
「これ、全部終わらないと広瀬くんは異世界に行けないのよね」
「そう、だね。五日で終わる気はしないけど……」
国語数学理科社会、全教科出されたワーク課題。
一月以上の休みとあればその量もかなりのもので。五日間丸々時間があれば終わるかもしれないが、そういうわけにもいかない現状。最悪夏休み終了前日に徹夜をしてやる覚悟もしなければならない。
「手伝うよ」
すると、雨宮さんは突如白衣のポケットからボールペンを取り出すとワークに筆を走らせようとしているではないか。
「え……ちょっ、ちょっと待った!」
突然のことに一瞬反応が遅れたが、ボールペンが紙に触れる前に、僕は慌てて雨宮さんの手を掴んで止めた。
「……どうして止めるの? 二人でやれば早く終わるのに」
意味が分からないと雨宮さんは僕を睨む。
「いや、そうなんだけど。いや、でも、そういうワケにもいかなくて。これは僕に出された宿題だから自分でやらないといけないもので……」
「学校ってとても面倒なのね」
雨宮さんは腑に落ちない様子で首を傾げる。どういうワケか宿題という仕組みを理解できていないのだろう。
僕も僕とて宿題というものを改めて説明するのも難しく、どう表現したら良いのかも分からない。
答えを丸写ししてもアウト、代筆なんて以ての外。けれど、手伝ってくれるという雨宮さんの気持ちは非常に有難い。
「ねぇ、雨宮さんはこの問題全部わかるの?」
そう尋ねると、彼女は全てのワークを順番にぱらぱらと捲っていく。
「うん。これくらいなら全部解けると思うよ」
雨宮さんはさも平然と頷いた。
学校に通っていないといっていたが、下手したらウチの学年上位者よりも頭がいいのかもしれない。
当然僕はこの問題を全てわかるはずもなく、目の前に良い先生が現れたことで視界がぱっと明るくなった気がした。
「……じゃあ、さ。分からない問題があったら聞いてもいいかな? それなら雨宮さんも宿題を手伝う形になるし、僕も助かるし……交流にもなるし」
「わかった。なんでも聞いて」
こうして雨宮さんは、僕の先生となった。
二人で力を合わせて、夏休みの宿題討伐作戦は幕を開いたのであった。
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