第200話 さよなら、アデミーヴ

 嵐のように猛り狂うアデミーヴは驚くほどの敏捷さでリュウヤに迫ると、手のうちに巨大な光球を生じさせ、攻撃を放ってきた。リュウヤは寸前でかわしてみせたが、アデミーヴは攻撃の手を休めず、突進しながら連続して光弾を打ち立てる。

 かわした光弾は地上に落下すると、大地を深く抉って土砂を高く巻き上げ、禍々しく屹立する炎の柱が空を紅く焦がした。


 ――アイーシャと分かれてもこの力か。


 噴き上がる炎の柱を目にして、リュウヤは戦慄していた。アイーシャという宿主を失ったはずだが、まだアデミーヴは充分な力を残している。生き残った兵士たちの悲鳴が爆音に混じってリュウヤの耳に聞こえてきた。

 ごめんとアイーシャが耳元で言った。泣きそうで、随分と疲れきった声だった。


「あの影に……だいぶ力を持ってかれて……。ごめんなさい」

「謝らなくていい。気にするな」


 それだけ言って短く答えると同時に、背後から迫った光弾をかわした。アイーシャがぐったりしているのは、気持ちが落ち込んでいるだけではなく、体力も相当消耗しているようだった。

 ルシフィとテトラたちが後続で来ていたはずだったが、姿が見えない。鎧衣紡(プロメティア・ヴァイス)とアデミーヴとの衝突で近づけないのもあったが、さらに今の攻撃のせいで周囲には濃い煙が立ち込めている。もしかしたら、リュウヤの位置を見失ってしまったのかもしれない。


 ――煙に紛れて、二人をどこかに隠れさせるか。


 ふと、そんな考えが脳裏を過ったが即座に否定した。アデミーヴの破壊力はいまだに尋常なものではなく、安全と言える場所はない。今の弱りきったアイーシャでは死地に追いやるだけでしかなかった。

 ほんのわずかに生じた迷いを突くように、リュウヤの背後から強烈な殺気を感じた。振り返るとアデミーヴが手のうちに光球を溜め込んでいる。


「……くそっ、動けよ“鎧衣紡プロメティア”!!」


 叫ぶと同時に蝶の羽根がリュウヤたちを包み込み、辛くも寸前でアデミーヴの攻撃を防いだが、強烈な一撃はリュウヤたちの身体を軽々と弾き飛ばしてしまっていた。


「きゃあああ!!」


 強大な力同士がぶつかった衝撃音に紛れてセリナの悲鳴が聞こえた。天地上下がくるくると回転し、フルパワーで魔力を放出したおかげで、地上に着地することができたが、脇腹辺りに強い痛みを感じて、リュウヤは膝から崩れ落ちた。肋軟骨を痛めたらしい。

 

「二人とも無事か……」


 掠れた声でリュウヤが尋ねると、セリナとアイーシャが心配そうにリュウヤを覗き込んでくる。肋軟骨の怪我は、昔から稽古で何度も痛めたことがある。痛みの具合から大きな怪我ではないらしいとリュウヤが安堵したのも束の間、機械の駆動音のような声が空から響いた。はるか上空から流星のように突進してくるアデミーヴの姿がある。


「くそっ……」


 鎧衣紡プロメティア・ヴァイスがどこまで持つか。リュウヤが残った魔力をかき集めた時、不意に後方から猛スピードで何かが駆け抜けていった。

 ひらひら舞い散る羽根が、リュウヤたちの頭上でやわらかく空に光っている。

 たなびく結んだ銀色の髪。

 滑らかな褐色の肌。

 十二枚の白い翼。

 やっと来たかと救われるような思いで、リュウヤは空を見上げていた。


「ルシフィ様だ!」


 リュウヤが口にするよりも早く、アイーシャが疲れを忘れたような高い声をあげていた。

 自分に接近する敵に気がつき、アデミーヴは正体がルシフィだと知ると、軌道を変えてルシフィへと突進した。


 二人が間合いに入る直前、ルシフィは抱え杖の構えから手のうちで杖を返して持ち変え、肩で担ぐような姿勢で構えを変化させている。


『行くよ、アデミーヴ』


 身構えるルシフィに対し、アデミーヴはその巨大な目を細めてルシフィを睨み据えていた。見方によっては嘲笑っているように見えなくもない。ルシフィとの戦闘記録はアデミーヴの中に蓄積されている。守りや速さは類い希なる力があるが、肝心の攻撃力に欠けているというのがアデミーヴ分析で、力で遥かに優る自分が、このまま勢いで押しきれば勝てると判断していた。

 しかし、アデミーヴは分析を誤っていた。

 アイーシャに乗り移っていた時、ルシフィは凌いでいたのであって仕留めるために戦っていたのではない。今のルシフィは仕留めるための戦いをしている。


『“十二詩編協奏曲ラブソング……、最大神速フルボリューム”!』


 口の中で呟くと翼が輝きを増し、ぐんと勢いを伸ばしてアデミーヴよりも数歩の位置で先手を取った。


〈ア……?〉


 いきなり目の前に来たルシフィに、アデミーヴは面食らって、ただ目を見開いている。


『えいっ』


 ひどく優しげな掛け声を発しながら横に薙いだ杖は、轟と唸りを伴ってアデミーヴの横っ面に叩きつけられ、その身体は虚空のはるか先に飛ばされて揉んどり打っていた。

 材質は樹齢千年を超えるとはいえ樫の杖。

 どうして頼りない杖が何故何百倍もの大きさと圧力に見えたのかわからず、アデミーヴはただ空中でのたうちまわっている。装甲の破損とシステムの異常、敵の接近を報せる警報を同時に感知し、アデミーヴは敵の接近への対処を優先した。身構えた先にはルシフィが既に杖を下段に構えて接近している。


〈キシャアアアァァァァ!!〉

『君が何に怒っているかわからないけれど、可哀想だね』


 アデミーヴは雄叫びをあげ、両手に魔力を使った刃を形成するとルシフィへと突撃し、火を噴いたような凄まじい連撃を仕掛けてきた。だが、ルシフィはやわらかく杖でいなし、風が流れるようにアデミーヴの攻撃をかわしていく。


「ルシフィ様、ダンスを踊っているみたい」


 セリナが呟くのをリュウヤは耳にした。確かにルシフィの動きは優雅で可憐、舞い散る羽がその演出を際立たせていた。

 上段からの斬撃をルシフィはアデミーヴの小手を打って弾き、手を滑らせてから鞭のようなしなやかさで、アデミーヴの右肩を打った。強烈な一打で肩を守る装甲が砕かれ、中身の“影”が剥き出しとなる。


〈カラダ、カラダ……!〉


 アデミーヴは血相を変えて、肩の部分に手を置くと手の下から光が生じ、綺麗に修復されていた。鎧を修復する魔法など見るのは初めてだったが、ルシフィはアデミーヴの慌てようから、ある直感が閃いていた。

 ルシフィの直感は、勝利への確信とほぼ同じものがある。


『……君に怒りがあるということは、君には感情がある。感情があるということは君にも命があるということだ』


 アデミーヴを見て、自分は幸運だとルシフィは思った。

 忌み子と疎まれ祝福されない生を受けたが、それでも自分には今は亡き母がいて、ヤムナークがいて、鳥や花たちが励ましてくれた。色んな人と出会い学ぶことができた。何よりも父ゼノキアの存在は大きい。継承者としてゼノキアに呼ばれ、病床で握ってきた痩せ衰えた手の感触をルシフィは今も忘れないでいる。


『きちんと人から学ぶ機会があれば、君も微笑むことだってできたかもしれないのに』


 刮刮とアデミーヴの刃と合わせながら、ルシフィは鋭い猛撃を的確に返していく。リュウヤの目にもルシフィの繰り出す樫の杖が一個の生き物のように映っていた。

 辛いことも多かったが、自分はたくさんの出会いがあった。しかし、目の前にいる鎧を着た影にはそれも無い。ただ利用されるだけの人型兵器ホムンクルス


『悲しいよね、そういうの』


 沈痛な面持ちのまま身を沈めたと思った瞬間、羽を散らしてルシフィの姿が消えた。


〈アデ……?〉


 アデミーヴ内に搭載されたのセンサーがルシフィを認識する前に、アデミーヴの傍らにはルシフィが転身していつ、杖を脇に抱えて次の用意をしている。

 ルシフィはふっと短く息を吐いて一気に杖を繰り出しすと、杖の先端はアデミーヴの胸や兜な小手を突いて、トトンと軽リズムで音が鳴った。


『君は元の世界へおもどり』


 アデミーヴは呆けたように停止している。先ほど頭部に受けた一撃と違って衝撃がほとんどなく、自分が何をされたのかわからないようだった。


「何が……起きたんですか」

「ただの打突さ」

「……」

「ただし、恐ろしく速いけれど」


 残心をとるルシフィを見据えながら、リュウヤはそれだけ言った。あまりの速さについていけず、セリナは目を白黒させている横で、リュウヤはいささか興奮していた。

 全部で四発。

 極限まで練り上げた突きの鋭さに慄然とし、手の内が汗で滲む一方、やはりすげえなと胸が熱く沸き立っていた。


“そんなこけおどしに騙されるな!敵は目の前なんだぞ!”


 プリエネルの激しい叱咤が飛び、アデミーヴが再び攻撃を仕掛けようと身構えると、アデミーヴは自身の聴覚にパキリと乾いた音を捉えた。


〈ア……?〉


 自分の小手に小さなヒビが無数にはしっている。それはやがて蜘蛛の巣のように広がっていき、小手全体がヒビで覆われた。小手だけではなく頭部や胸部等、ルシフィに突かれた各箇所に細かな無数のヒビがはしっていった。


〈ワタ、ワタシノ、カラダ、カラダ……〉

『やっぱり、その鎧が君の身体を維持しているんだね』


 アデミーヴの甲冑はみるみる内に崩壊を始め、肉体である“影”が蒸気のように割れた箇所から噴出しはじめた。アデミーヴは崩壊していく自分の鎧を手で抑えようとするが、もはや何の役にも立たない。抑えていた手も、小手が砕け散ったために手だった部分も煙と化して形を維持できなくなっている。


〈アアアアア……〉

『……さよなら、アデミーヴ』


 鎧は完全に崩壊し、身体を維持できずに四散していくアデミーヴが哀れで見ていられなくなった。

 ルシフィが思わず背を向けると、凄まじい剣気が頭上からのし掛かる。見上げると、上空からテトラ・カイムがミスリルの剣杖ロッドを八双に構えてルシフィに突進してくる。食いしばった歯を剥き出しに、見開いた目には尋常ではない殺気がこもり、雰囲気がまるで違う。


『テトラさん……!?』

「ルシフィ後ろだ!」

「ルシフィ君、頭を下げて!」


 テトラとリュウヤが同時に叫び、反射的にルシフィが身を屈めると猛然と振るった剣杖ロッドがルシフィの頭上をかすめていった。ルシフィが肩越しに後ろを向くと、煙と化したアデミーヴがいつの間にか背後にまで迫っていた。アデミーヴだった黒い塵に紛れて、紅く煌めくものがある。小指の爪ほどの小さな石が、塵にまぎれてほのかに光っていた。


『魔石……、あれが本体か』


 テトラの剣杖ロッドから解き放たれた猛気は魔石を一閃し、石はパリンと小さな音を立てて割れていた。

 途端にアデミーヴの勢いが途絶え、塊だったものが塵と化しさらさらと空に流れていく。そのアデミーヴだった塵もやがて闇の空と同化していった。


「怪我はない?」


 空に消えていくアデミーヴを見送っていたルシフィの耳に、テトラの声がした。先に回り込んでいたリンドブルムによって受け止められ、その蒼い背に跨がっている。突風では多少の動揺を見せたものの、盲目の身でアデミーヴとの戦いを買ってでただけあって、断崖から飛び込むような一連の行為もテトラにとっては何でもないらしい。


「援護しようにも入る隙がなくて、このまま出番無しかと思ってたよ。リュウヤ君から話には聞いてたけど、凄いね、君」

『いえ……、完全に油断してました』


 いくら何でも感傷に浸りすぎたと、ルシフィの中で苦いものが浮かんで、テトラから視線をそらした。

 視線を落とした先にリュウヤ・ラングと目があった。リュウヤが小さく頷く傍らで、安堵した表情で見詰めるアイーシャとセリナがいる。

 今回は何とかなった。

 しかし、とルシフィは思うのだ。


 ――まだまだ修行が足らないなあ。


 帰れたら稽古し直さないと、と自省しながら自身の杖を握り直していた。

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