第183話 ありがとう、みんな。私のために

「……なんで、お前がここにいるんだ」


 リュウヤは身体を起こそうとしたが、右腕から全身に激痛がはしり、顔を歪めながら地面に倒れ込んだ。

 右腕の骨が完全に折られたらしく力が入らない。肋骨も何本か折れているようだった。口から血が流し、呼吸も満足にできないでいた。ヒューヒューと喉が鳴るだけで、酸素がろくに脳にまわらず、自分に治癒魔法を掛けることも忘れて、佇む少女をぼんやりと見つめるだけだった。


「……アイーシャ」


 伸ばした左の指先の向こうに、自分の娘がリュウヤを冷厳に見下ろしている。今ごろはセリナたちと聖霊の神殿にいるはずだったし、見慣れない銀の甲冑をまとい、雰囲気もまるで違う。

 認めたくなかった。しかしどう見ても、リュウヤの前に立っているのは、自分の娘アイーシャ・ラングだった。

 そのアイーシャは、無言のままリュウヤから背を向けると、芒洋とした光に包まれて地にうずくまるゼノキアの下へと近づいていった。


『アイーシャ・ラングが何の用だ……』

「わたしのなまえは、アデミーヴ。全能なるマスターの使い」

『……アデミーヴ?マスター?』

「早くその傷を治すといい。あなたはマスターにとって、必要な存在」

『たかがリュウヤを倒したくらいで調子に乗るなよ……』

「いいから早く。そのままでは、あなたは死ぬ」


 アイーシャの身に何が起きたのかわからなかったが、空間転移の現れ方といい、この浮遊の仕方といい、アイーシャの秘めていた力が覚醒したのは間違いなかった。アイーシャの力を解き明かし、自分の物とするつもりだったが、そうなる前に危険な相手と化してしまった。


 ――だが、勝てない相手ではない。


 外見は幼い子どもにも関わらず、内から感じる力は尋常ではなく、恐るべき速さと威力を秘めている。しかし、リュウヤが今の一撃で昏倒したのは不意の攻撃と、突然現れたのが娘のアイーシャであること。そして所詮はただの人間の肉体だからだ。

 体力はかなり消耗しているものの、あの軽さなら、受けても自分なら耐えられるし、充分に対応できると思った。

 油断はできないということを前提にして。

 目の前にいるのは一個の化物。自らをアデミーヴと呼ぶアイーシャに容赦をするつもりはなかった。

 ゼノキアは治癒魔法を掛けて傷を治しながら、慎重に間合いを計っていた。

 目安は約三メートル先に、ぽつんと小さく咲いている名も無い草花。影が差した時がチャンスだった。

 いかにも疲労困憊といったふりをして、視線は荒野に咲く草花を注視している。


「やめろ……、ゼノキア……」


 ゼノキアの意図をリュウヤは察していたが、声を発することすらできず、口の中だけで呟くだけしかできない。アデミーヴは何も気づいていないのか、アデミーヴは無造作にゼノキアへと接近していく。

 注視する草花にアデミーヴの影が差した。


 ――入った!


 ゼノキアは右手にラグナロクを形成すると、一気に紅の刃を突き上げた。

 紅い閃光が、アデミーヴの眉間へ向かっていく。


『喰らえ、アデミーヴとやら!』


 だが、次の瞬間、ゼノキアの表情は凍りついていた。ラグナロクはアデミーヴが掲げた小さな手のひらに止められている。正確には、ラグナロクの刃は手のひらの前で細かな粒子のようになって拡散していた。その粒子はアデミーヴの手のうちに吸い込まれていく。

 身体から力が抜け、急にゼノキアの膝が崩れ落ちた。


『……この感覚、力が吸収されていくのか?』

「ラグナロクはあなたの力の象徴。それを出すのを待っていた」

『何だと……』

「すべてはマスターのために」


 アデミーヴの身体を包む金色の光が輝きを増すと、ゼノキアからラグナロクの闘気を吸収する勢いも加速していった。


『ぐ、ぐあああああああっっ!!』


 絶叫するゼノキアに対し、アデミーヴの身体から光の柱が立ち上り、空に巨大な金色の魔法陣を浮き上がらせていく。


『あの魔法陣……。まさか……』


 かつて、自分も使用した魔法。

 死の際でしか発動しない魔法なのに、何故ここで……。

 しかし、ゼノキアが思考できたのはそこまでだった。抵抗もできず力が吸われる感覚に恐怖し、自身の絶叫がゼノキアの心も身体も支配していく。

 ゼノキアが見上げる視界には、魔力の磁場に引かれたのか、空に不気味な暗雲が集まりだし、みるみる内に分厚い雲がグリュンヒルデ一帯を覆い尽くしていくのが映っていた。


  ※  ※  ※


「……なんじゃあれは」


 暗闇の空に浮かぶ魔法陣に気がつき、クリューネとエリシュナは戦いも忘れて魔法陣を見上げていた。二人はぼろぼろの姿で顔も腫れ上がっている。ただ、状況的にはクリューネが優勢で、倒れたところに叩きこんだクリューネの膝蹴りが、エリシュナの顔面をとらえて、いよいよ決着という段階だった。


『蛇紋様の魔法陣……。でも、あれはゼノキア様のものではない』

「この感じ、……アイーシャか?」


 クリューネは竜眼を使って魔力の流れを探ると、身覚えのある魔力が魔法陣から伝わってくる。何故、アイーシャがここにいるのか訝しく思ったが、何かリュウヤの身に起きたのを感じとり、力を使って駆けつけたのかもしれない。


「ティア、行くぞ!」


 クリューネはリュウヤの危機を感じると、大空に向かって叫んだ。魔王軍と竜族の戦闘が起きている上空でも、突然の出来事に互いの動きが止まっている。クリューネの声に応じて、一匹の青い竜が雄叫びをあげながら戦闘を離脱し、地表すれすれまで滑空してきた。

 クリューネは青竜リンドブルムの背に飛び乗ると、うずくまるエリシュナには一顧だにせず、「あの魔法陣の下までじゃ!」とリンドブルムに怒鳴って空に翔んでいった。


『エリシュナ様、ご無事ですか』

『やかましい!』


 隙を見て救助に来たグリフォン騎兵をエリシュナは叱りつけると、騎兵を蹴り飛ばしグリフォンを奪ってクリューネたちの後を追っていった。


『エリシュナ様を追うぞ!』


 魔王軍も竜族もしばらく呆然として声を失っていたが、不意に魔王軍の誰かが叫ぶと、夢から覚めたように他の騎兵たちや魔空艦“ペルセウス”も動き始めた。竜族も誰が言うともなしに、光柱から生じる魔法陣へと向かっていった。

 両軍入り乱れて飛行する光景は、端からみれば珍妙なものではあっただろうが、彼らにしてみれば、最早戦いどころではなくなっていた。


  ※  ※  ※


 ラグナロクが消失した後、アデミーヴの前にはひとりの老人がうずくまっていた。ミイラのようにやせ衰え、生気のない白い髪は豊富に生えたままなだけに、より異様な姿に映る。

 彼はかつて、魔王ゼノキアと呼ばれていた。


『ま……、ま……さか』


 しわがれた声を発しながら、老人は震える自分の腕を見た。木の幹のように太くたくましかった腕が枯れ枝のように細くなっている。分厚かった胸も、まるで洗濯板のように薄くみすぼらしい。


『これが……、これが私なのか。私なのか……?』

「あなたの力はすべて貰った。あなたは、ただの無力な老人」

『無力だと……?』

「何もない。魔法も力も、すっからかん。脱け殻」

『……』

「あなたはただの死にかけた老人。遠からず死ぬ」

『随分と偉そうな口を叩くな、小娘が!』


 自分の身に起きた現実が信じられず、バカなと無理して一笑するとゼノキアは立ち上がろうとしたが、足に力が入らず転倒した。病に伏していた時のような状態で、自分の身体ではないように思えた。

 地でもがくゼノキアを、アデミーヴは道端に捨てられたぼろ雑巾を見るような目で眺めていたが、やがて空に浮かぶ魔法陣に視線を移すと、ゆっくりと両手を掲げた。


マスター。今、あなたがくぐる門は開かれました。あとは、あなたのお言葉を」


  ※  ※  ※


「魔王ゼノキアの魔力はほぼ消滅。代わりに新たな高エネルギー反応を確認!……ゼノキアのと同じもの!?」


 レーダー係がコンソールのモニターを確認して叫ぶと、正面の巨大モニターに新たな戦闘状況を示すデータが表示された。

 一瞬の間の後、ムルドゥバ軍旗艦“レオナルド”の艦橋も突然の事態に騒然となり、他の艦や部隊との激しいやりとりが続いている。喧騒渦巻く中、アルドだけが静かに正面モニターを見つめている。泰然とするアルドの姿に、艦長以下乗組員の誰もが、どんな不測の事態に動じないものだ、さすがだと、それぞれが感心しながら任務にあたっていた。

 そんなアルドがおもむろに「諸君」と口を開いた。乗組員たちの視線が、一斉にアルドへと注目した。


「ご苦労だった。これで、この戦いは我らの勝利だ」


 微笑を湛え、一人一人の顔を見るようにアルドは乗組員たちを見渡していた。勝利と聞いて、乗組員たちは続く言葉を待つために、アルドから目を離さなかった。

 誰もが、誇りと高揚感に満ちた顔をしていた。


「ゼノキアは力を失い、魔族によって怯える日々は今日で終わる。新たな時代の幕開けだ」

「……」

「だが、その新たな時代を維持継続していくためには、それだけでは足りない。あとわずかな犠牲が必要なのだ。それは君たちだ」


“犠牲”という奇妙な表現に、乗組員たちは怪訝そうに顔を見合わせた。何故、犠牲なのか。「力を尽くす」という意味だろうかと首をひねる者もいたが、アルドは微笑を絶やさずに乗組員たちを見渡している。


「私はある手に入れることができた。かつて紅竜ヴァルタスがリュウヤ・ラングを呼び寄せ、魔王ゼノキアがサナダ・ゲンイチロウを召喚した召喚転生魔法“聖魂寄生ハレルヤ”。その本来、魔法は死の際でしか発動しないものだが、アデミーヴとなったアイーシャ・ラングの力を借りて、発動条件をいくつか変えることに成功し、私は魔法の使用が可能となった」


 艦橋内に小さなどよめきが起きた。その声は戸惑い困惑といったものに近い。

聖魂寄生ハレルヤ”という魔法とは、何のことなのか。

 アデミーヴは、乗組員の多くにも噂でしかない存在だったし、アイーシャ・ラングとどう繋がっているのかわからない者、そもそもアイーシャを知らない者が大半だった。要はアルドが何を言い出したのかわからないと言った方が正しい。


「あとはマスターである私が魔法を唱えれば、私はあの魔法陣の下へ行き、アデミーヴが吸収した力、魔王ゼノキアの力を手に入れることができる」

「……」

「しかし、人が無理してつくった魔法。ケイン・キューカ博士の話では、召喚時には莫大なエネルギーが生じて爆発を起こしてしまうそうだ。そうなると、この“レオナルド”も、ひとたまりもないだろうな」


 アルドの不穏な言動にようやく異常さを覚り、艦橋は静寂に包まれた。

 ある程度の事情を知る、艦長の顔色は蒼白となっていた。


「君たちは、この戦いで尊い命を散らすこととなる。しかし、君たちは永遠に我がムルドゥバの英史に名を刻むだろう」

「待ってください将軍!」


 隣の艦長が、席から身を乗り出すように叫んだ。


「散らすだとか犠牲だとか、さっきから何を言っているんです!」

「艦長、ここまで君もよくやってくれたな。感謝する」

「ふざけるな!私らはおもちゃじゃないんだ。何なんだ。ちゃんと説明しろ!」

「まったく……」


 今にも掴みかかろうとする艦長の剣幕に、アルドはまいったと言わんばかりに苦笑して肩をすくめた。


「極端に言えば、この世には、支配する者とされる者しかいない。だが、時代を経ればどんな優れた体制も人も驕り腐敗し、やがて滅びる。人間より超えた存在の竜族や魔族ですらそうだ。この世には、もっとわかりやすく、腐敗しない、絶対的で永遠に続く支配が必要とは思わないかね?」

「……」

「艦長なら“人型兵器ホムンクルス”アデミーヴの他に、プリエネルの存在を耳にしたことがあると思う」

「プリエネル……」


機神オーディンプリエネル”。

 ファフニールとヒュドラの残骸を回収し研究して製造したものだが、二体の機神オーディンように竜の死骸をベースではなく、ゼロから造り上げた戦闘兵器と耳にしたことがある。


「プリエネルは私の器となるもの。リュウヤ・ラングの鎧衣紡プロメティア・ヴァイスのように、内なる力を増幅させる力がある。それも何百倍も」

「……」

「私は魔王ゼノキアの力を得、我が聖剣エクスカリバーとともプリエネルと一体となる。そして全てを凌駕した“マスター”となり、新しい時代を永遠に守り続ける。艦長たちの尊い犠牲は忘れないよ」

「……これ以上のご託はたくさんですよ。“マスター”なら、犠牲だとか出さずにやってみせろ!」


 説明しろと言ったのは君だろと、アルドは呆れ顔をした。


「わかってないな君は。私はまだ、ただの人間。アルド・ラーゼル将軍でしかないのだよ」


 やかましいと艦長が吼えると、艦長席から躍りあがり、手を添えた腰から鋭い光が瞬いた。艦橋に悲鳴があがった。動揺を見せる乗組員たちを制するように、艦長は叫んだ。


「他の艦にも通信!アルド将軍の気が狂ったぞ!」


 艦長もムルドゥバの戦士として、若い頃は腕を鳴らした男である。怒号しながら抜いた短剣の切っ先が、一直線にアルドへと伸びていったが、刃はアルドの眼前でピタリと止まり、やがて重い音が立てて艦長の身体が床に転がり落ちた。流れ出る大量の鮮血が床を濡らした。

 艦長の身体から、首が無くなっている。

 首は瞬時に抜いたエクスカリバーの刀身に載せられ、怒りで醜く歪めたままでいる。

 意識はアルドに向けられ、自分が死んだとも理解していないのかもしれない。


「こういう死に方は、ある意味、一番幸せな死に方かもしれないな」


 アルドは剣を振り、艦長の首を遺体の傍に放り捨てた。胃の底に響くような不快な音とともに頭部が割れ、脳しょうが血に混じって床を汚したが、艦橋の乗組員は恐怖に支配されて誰も身動きできないでいる。

 アルドは寂しそうに彼らを見渡していた。


「死を間際にして、恐怖に怯えながら何も出来ずに死ぬ。最悪とは言わないが、酷い死に方のひとつかもしれないな。死後、魂がアーク・デーモンにならないことを祈るよ」

「……」

「さようなら。私は君たちに感謝する」


 やめてくれと誰かが口にしかけたが、それは最後まで言葉にすることが出来なかった。言う前に、アルドが荘厳な声音がその声を被せて遮ったからだ。


「ありがとう、私のために。“聖魂寄生ハレルヤ”!!」

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